旅の食卓 池内紀

2016.5.2

22最終回 デニムとサワラ

 岡山県は私の生まれた兵庫県の西隣りだが、幼いときから、まるきりなじみがなかった。住人の目は東の神戸や大阪や京都に向いており、情報はつねに東からきて、西が話題になることはほとんどない。学校の行事で岡山へ行くとなると、未知の遠い他国へ出かけるような気がした。
 ごくたまに岡山が口にされたのは、メロンやマスカットがお目見えしたときである。たいていはいただきもので、白桃のこともあった。「岡山のメロン」「岡山のマスカット」「岡山の白桃」と、品質保証のしるしのように岡山がついた。実際、岡山産はとびきり旨いのだ。幼い頭に岡山=果実がすりこまれた。
 高校生になって、新しくデニムが加わった。デニムを生地にしてジーンズをつくる。ジーンズがまだ珍しかったころであって、田舎の高校生は「リーバイ」とともに「イバラ」に憧れた。リーバイは本場アメリカのジーンズの名門。イバラは岡山県井原市のことで、井原製デニムは世界最高の品質をうたわれ、わざわざアメリカの業者が買いにくる――
 わが世代では、二十四歳で死んだ俳優ジェームス・ディーンと、ジョージ・チャキリス主演の映画「ウェストサイド物語」の影響が大きかった。ジェームス・ディーンはジャンパーにジーンズがよく似合った。ウェストサイドの貧しい若者たちには、ジーンズ以外のはきものなどなかっただろう。高校生は神戸へ出かけて、アメリカ軍放出品専門店を探しあて、なけなしの財布をはたいて夢のズボンを手に入れた。しかしながら、ディーンにもチャキリスにもなれなかった。なにしろ脚にはりついた硬いズボンであって、チャリキスのように跳んだりはねたりするなど、とんでもない。どんなにポーズをとってみても、色の褪せた汚らしい古着としか見えなかった。うかつにも粋にジーンズをはきこなすには、スラリとした長い脚が不可欠の条件であることを忘れていた。

  その「デニムの町」は地図で見ると、岡山県の西端、瀬戸内海からへだたった山間にある。井原鉄道というのが走っているが、倉敷とも福山ともつながっていなくて、倉敷からだと伯備線、福山からだと福塩線に乗り継がなくてはならない。直線距離だと倉敷と福山の中間の笠岡がもっとも近くて、ここからバスを使えば約三十分だが、便数が少ない。どうしてこんな不便なところに、リーバイと張り合うメーカーが誕生したのだろう?
 とにかく少ない便数をメモして、お尻のポケットに押しこんだ。おもえば二十年来愛用のジーンズで、洗いざらしがいいぐあいにこすれて、いうところの「ヒゲ」になった。知られるようにジーンズの場合、新品をわざわざ軽石でこすって中古感を生み出したり、シェービングして「ヒゲ」をつくる人もいるのだ。そんな特性一つからしても、これが衣服史のなかのとびきりの異端児であることがよくわかる。