旅の食卓 池内紀

2016.5.2

22最終回 デニムとサワラ

 工場でいただいたパンフレットに「井原デニムの歴史」がまとめてあって、はじまりのころに「GHQに販売」とある。GHQとは戦後日本の舵とりをした連合軍総司令部のこと。井原の業者は目ざとく、アメリカ兵の日常にはいているズボンが、自分たちの厚地藍染衣類とそっくりなのに気がついた。さっそく製品化して幹部クラスに販売をかけたところ、彼らは品質の高さに目をみはった。しかも値段はリーバイの何分の一ときている。基地のショップで、とぶように売れた。
 一般への生産・販売に乗り出したのは、昭和三十五年(一九六〇)とある。ジーンズの登場は何を告げていただろう? 管理社会がすすむなかの小さな反抗。わざと粗野ぶったオシャレ。貧しい若者や庶民だけでなく、しだいにインテリやエリートたちが、休日になると好んでジーンズを身につけだした。有名ブランドや仕立てがこったヴィンテージ・ジーンズともなると、高級ウールのズボンよりも高価なのだ。
 ジーンズはまた新しいエロスの発見でもあった。「ウェストサイド物語」のデニムにつつまれた若い女性の肢体が、なんと新鮮なエロティシズムを発散していたことだろう。ジーンズ第一期生にあたる私はよく覚えているが、昭和四十年代はジーンズ中古品の大ブームがあって、藍色の色褪せズボンが一挙に普及した。恋人のジーンズのお尻におもわず見とれていたことを、昨日のことのように覚えている。
 ついでながら井原デニム・ヒストリーによると、昭和四十五年(一九七〇)、「ジーンズ年間一五〇〇〇本、国内の75%の生産量」。このころがピークだったのだろう。同じ岡山県の倉敷市児島は井原に先立ち、いち早く縫製を専門化していた。ジーンズの普及と拡大につれ、児島が生産量で井原にとってかわった。
 井原駅頭にもどってくると黒山の人だかり。内陸の町へ瀬戸内の魚が運ばれてきて市が立つ。氷づめの木箱がいせいよくセリにかけられ、娘やおかみさんがセリ落とし、オートバイや自転車につみかえる。そろいもそろってジーンズで、お尻がいかにもたくましい。
 ビジネスホテルでシャワーをあびてから夕食に出た。先ほどの魚市の魚が居酒屋メニューにきちんと納まっている。旬の子持ちイカの刺身、タイの染焼、それに煮魚。黄ニラを煮魚に入れるのがご当地の習わしだそうだ。
 おすすめをたずねると、サワラの叩き。岡山ではタイよりもサワラを賞味して、魚というと、まずサワラだそうだ。焼魚もいいが、叩きが最高。骨の強い魚であって、背中が青い。
 「エー、サワラ一枚ィー」
 無骨なデニムには硬骨魚がお似合いだ。

 

「旅の食卓」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
今秋、大幅な加筆や追加原稿も加え、書籍として発売予定です。ご期待ください。【編集部】