言葉ことはじめ 池内紀

2017.2.21

01やにさがる

三谷一馬「女の旅」(岩井良衛『新修 五街道細見』より)

 

 先に図版を見ていただこう。「女の旅」のお題に、風俗画家の三谷一馬が絵をつけた。女二人の旅に、お供が荷物を担いでいく。もう一人、男がついていて、どうやら用心棒をたのまれたらしい。女同士が何やら話している。「やはり頼りになる男がいると安心だねェ」ないしょ話みたいだが、お世辞まじりに聞こえよがしに言った。男が聞きつけて、「なんてやんでェ、オレだって忙しいんだ。ゼヒにというから来たまでヨ」とか何とかほざいて、しかしうれしくてたまらず、口にくわえたキセルの先っぽをグイと上にあげた――いうところの「やにさがる(脂下がる)」である。

 紙巻きタバコの出る前は、刻(きざ)みタバコをキセルにつめてふかした。タバコにはやに(脂)がつきものだ。キセルの先端を雁(がん)首(くび)といって、取り外しができる。ときおり取り外し、くだのところのやに取りをした。

 図の男は空のキセルをくわえただけだからいいが、もし喫煙中だと、熱いやにが下にさがってくる。いい気になってニヤついていると、「アッチッチ」とばかり、とび上がった。やにさがった男に見舞うおなじみの風景だった。

 歌川広重の浮世絵旅シリーズ『東海道五十三次』を見ていくと、いたるところにタバコのみが描かれている。腰掛けの飛脚が休息して一服、馬子が一服、ひとり旅の武士が歩きながらキセルをふかしている。客にアブレた駕籠かきが一服。宿場人足、茶飲みの老夫婦、山仕事帰りの男、きまってキセルを口にくわえている。

 荷をせおった女がくわえギセルの男に、キセルを差しつけているのは、火を借してもらいたいと声をかけたのだろう。キセルからキセルに火を移すとき、単に雁首をくっつけただけではダメであって、借りる方が勢いよく吸いこまないといけない。そんなときのちょっとしたやりとりから、男女の仲が始まったりした。

 タバコが日本に伝来したのはいつのことか、正確なところはわからないが、たちまち全国に広まって、やがて各地に名煙が生まれた。甲斐には小松、葉袋、信濃には玄古、保科(ほしな)……味とともにシャレたネーミングでブランドを競った。

 「花は霧島、タバコは国分(こくぶ)――」

 コマーシャルソングが名前を覚えさせた。「たばこと塩の博物館」に見る資料によると、文政三年(一八二〇)に生産地から江戸に運ばれたタバコの量と、当時110万と推定される江戸の人口から喫煙率を割り出すと、「非喫煙者は100人のうち、2、3人」だったはずだという。老いも若きも、男も女も子供までもプカプカやっていたわけで、喫煙率97.8%。花のお江戸は世界でも類のないスモーカー都市だった。

 だからこそ「やにさがる」といった愉快な言葉が生まれたのだろう。パイプと比べるとよくわかるが、パイプは、やにが直接口元にこないように先端とのみ口のあいだがグニャリと曲がっていて、やには底にたまる。いっぽうキセルはまっすぐであって、羅宇(らう)(またはラオ)とよばれる竹のくだの部分にやにがたまり、いい気分になって得意げにキセルの先端をもち上げると、舌をやけどするはめになった。

 刻みタバコは細かく刻むほどマイルドになった。広重版画に見る往来のタバコのみの会話には、火の借り貸しのついでに刻みぐあいも話題になっていただろう。タバコ職人のなかには、「こすり」とよばれ、髪の毛の細さに刻む名人気質もいたらしいのだ。

 キセルにかぎらず、当時のタバコ盆やタバコ入れ、火付け道具など、どれといわず工芸品のように美しい。

 江戸だけではなかった。つい昨日の昭和にもタバコ文化はあった。健康とからめてタバコが嫌われものとなった当今では想像もつかないが、「今日も元気だ、タバコがうまい」のコマーシャルがまかり通っていた。成人になると若者はいそいそとタバコをふかした。シャレたシガレットケースやライターを見せびらかす手合いがいた。モテた話をするとき、気どった手つきでタバコを指にはさみ、ついでくわえ煙草で顎をつきだした。巻きたばこでヤニさがっていたわけだ。

 

 

(第1回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2017年3月9日(木)掲載