言葉ことはじめ 池内紀

2017.12.25

21シャンパン

 

  姪の結婚式に出たら、乾杯はシャンパンだった。テーブルごとに一本ずつあてがわれ、ボーイさんが栓の針金をほどいて、こころもちコルクをゆるめた。あとは列席の人が栓抜きをする。そんな演出になっていて、どのテーブルでもお役目の押しつけ合いがあった。「シャンパンは苦手」というのが辞退の理由で、引き受けた人もへっぴり腰。やがて次々と派手な音がして泡が噴き出した。コルクが天井まで吹っとんだテーブルがあって、ワッと歓声が上がり、座が一気に盛り上がった。
 ヘンな飲み物である。栓を抜くときがいちばんの「ごちそう」で、噴き出す泡が中身なのだ。少なくとも泡が消えると、へんてつもない甘味飲料である。ワインらしからぬ甘さは、醸造の最後の段階で砂糖入りの混合液を加えるからで、醸造業者は「門出のリキュール」と称している。そんな異端のワインが、どうして世界中の祝事に欠かせない飲み物になったのだろう?

 シャンパン Champagne  フランスのシャンパーニュ州原産の、炭酸
 ガスを含む白ぶどう酒。おもに祝事の席で使う。
                       (新明解国語辞典)

 シャンペンとも言って、その音に合わせ、かつては「三鞭酒」と書いた。
 地図でたしかめると気がつくが、シャンパンの故里シャンパーニュ地方は、広大なパリ盆地の東部にあり、マルヌ川流域にあたる。第一次世界大戦最大の激戦区で、「マルヌの会戦」のあったところだ。殺し殺されの戦闘が果てしなくくり返され、一メートルあたり死者何人と数えるほど多くの戦死者が出た。とすると祝事につきものの白い飲み物は、ひとしお赤い血に染まった土地の産物ということになる。
 とりわけ貧しい土地が、良いシャンパンをつくってきた。またこの白ワインのもとは「黒いぶどう」ときている。さらに伝わるところによると、はじめてシャンパンを商品化したシャンパーニュ人は、泡を取り除くために悪戦苦闘したらしいのだ。そんな矛盾だらけの条件のもとに、泡が中身であるような飲み物が誕生した。
 かつて瓶を開けるのは、たいてい女性の役目だった。コルクが飛んで泡が噴き出る。その情景に何を連想したのか、カトリックの司祭が詩を作っている。

 ごらん、歓喜にみちた甘美な液体が
 美しい指先の下でほとばしり
 流れ出るのを
 (ドン&ベティ・クラドストラップ、平田紀之訳『シャンパン歴史物
  語』白水社)

 結婚式の披露宴にシャンパンがつきものなのは、「美しい指先」と「歓喜にみちた甘美な液体」が別の何かを思い出させるせいらしい。少なくとも、この詩が暗示するところを思っていると、退屈な結婚式の祝辞も苦にならないのではあるまいか。
 シャンパンメーカーは商品向上につとめるかたわら、独特の「外交販売員の小さな軍団」を育て各地に派遣して、きわめて短期間のうちに祝いの飲み物を世界中にひろめていった。ナポレオン戦争のころ、一気に販路がひろがったという。ヨーロッパのいたるところで、ナポレオンの軍団のうしろには、きっと「小さな軍団」がつきそっていた。勝ち戦となれば将校たちの祝勝会となる。外交販売員が手早くシャンパンを運びこみ、そうやって征服した土地に販売網をひろげていった。コルクが吹きとび、泡が噴出するしくみは、いかにも戦場の祝勝会にピッタリである。
 第一次世界大戦勃発の年は、例年になくぶどうが完熟した年だった。砲弾がふりそそぎ、人々がとめどなく死んでゆくのを目のあたりにしながら、農夫たちは摘み取り作業をつづけた。シャンパンには原則としてヴィンテージはつかわないが、とびきりの秀作年には、その権利がある。人間の血と引き替えに国宝級の一九一四年物が生まれた。
 いいことばかりでもなかった。シャンパーニュの人々にとって、ロシア革命は忘れられない出来事だった。ロシア貴族をヨーロッパ最大の上得意としていたからで、革命で一気に大顧客を失った。ロシア共産党はシャンパンを排撃して、ウォッカを愛国的な飲み物として推奨した。シャンパンメーカーはロシア貴族には信用貸しで販路をひろげた。その没落とともに数百万本の売掛金が踏み倒された。
 シャンパンは「エスプリの味」をキャッチフレーズにしている。たしかにエスプリと同じで、多すぎれば中身が吹っとぶし、足りないと気の抜けた飲み物になる。

(第21回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2017年1月8日(月)掲載