言葉ことはじめ 池内紀

2018.1.25

23正月・二月・三月

 

  
 奈良・東大寺には二月堂と三月堂がある。正式には観音堂と法華堂であって、それぞれのお堂で二月に始まる修二会(しゅにえ)、三月に取りおこなわれる修三会から、わかりいい通称が生まれたのだろう。修二会は別名「お水取り」。それが始まりであって、僧たちが長々とお籠もりをして日夜祈願し、三月中旬の儀式の終わりに華麗な一場が披露される。静かに経を読んでいた僧たちが一転して大松明を突き上げ、舞い踊るのだ。これを称して「ダッタン(達蛇)の踊り」。厳しい祈願祭が、なぜか異様な火の踊りでしめくくられる。不思議といえば不思議である。いずれにせよ二月堂の前庭に赤々と火花が散って、はじめて関西一円に春が訪れる。
 それにしても二月堂と三月堂があるのに一月堂がないのは、どうしてだろう? 華やかな祝典には前夜祭がつきものであるように、二月に始まる荘重な儀式には、それに先だち、ひそかな祈念の祭礼があってしかるべしではなかろうか。となれば、その舞台は必ずや一月堂、あるいは正月堂でなくてはならない――
 そんなことを、なんとなく考えていた。だが、東大寺に正月堂がないことはたしかである。奈良の寺々をことごとくあたったわけではないが、やはり一月堂には出くわさなかった。それでも気にかけていると、思いがかなうらしいのだ。ひょんなことで知ったのだが、暦の第一の月を名のって正月堂、そこで取りおこなうのは当然のことながら修正(しゅうしょう)会、その寺をつきとめた。
 ちなみに、「正月」には二通りの意味がある。

 しょうがつ〔正月〕 (一)一年の第一の月。 (二)年の初めの祝
 いをして、仕事を休む期間。(普通「松の内」を指す)
                       (新明解国語辞典)

 

 幼いころはもっぱら(二)の正月だった。だから正月が終わったのに大人たちが「正月の二十日に」などと言いかわすのを、けげんな思いで聞いていた。
 奈良発亀山行、JR関西線で約一時間。島ヶ原駅下車。駅から少し歩いたところが旧大和街道の宿場町で、木津川をはさみ、二つの集落がある。三重県阿山郡島ヶ原村(現・伊賀市島ヶ原)。
 三重県の村ではあるが、あたりの景観はあきらかに奈良である。土地や民家のたたずまいは、大和平野そのもの。たぶん廃藩置県の際に機械的に伊賀国を三重県に割り振ったせいであって、ながらく伊賀国は大半が東大寺の寺領だったし、大和街道と山沿いの道によって、さらに荷舟の上下する川によって、平城の都と何重もの糸で結ばれていた。
 ゆるやかな傾斜の一本道を二十分ばかり北へ歩くと、前方に小さな池、うしろは小山が近づいてきた。石段の右手の古雅な石に太い大らかな字で「正月堂」と刻まれている。むろん、この正月は子供の待ちこがれる「お正月」ではなく、(一)の意味である。
 石段を上がると、朱塗りの美しい楼門があって、正面が金堂、左は白砂の小さな庭。青銅の亀が大きな水盤を背負っている。境内全体が小山を背にした高台にあり、吹き上げてくる風に松の古木がサワサワと音をたてていた。
 いただいた刷り物に寺の縁起がしるされていた。正しくは観菩提寺といって、聖武天皇の御世、実忠(じっちゅう)和尚が創建した。最盛期には大門、中門、三金堂をはじめとして三十余の堂塔伽藍が建ち並んでいたという。多くが織田信長の伊賀攻めの際に焼かれ、以来、楼門と金堂のいまの姿に落ち着いた。
 本尊は十一面観世音で、実忠和尚みずからが笠置山中の龍穴(りゅうけつ)に籠もり、感得したところを刻んだといわれている。秘仏であって、三十三年ごとの御開帳でないと拝めないが、受付に掲げられた写真によると、すこぶる異様の面相をしている。
 実忠和尚は東大寺開山良弁(ろうべん)僧都の片腕として大寺経営に腕を振った人物である。宗学はもとより儀軌、財政、建築、土木に深く通じていた。そんな高僧でありながら庶民にしたわれ、「じっちゅうさん、じっちゅうさん」とよばれていたらしい。お水取り行事も、このアイデアゆたかな和尚のあみ出したもので、五十年にわたり工夫して、修二会を現在みるとおりの型に仕上げた。
 それほどの人物なのに、どこの生まれとも知れない。『東大寺要録』には「生国不明」とある。天笠から渡来した帰依人で、バラモン僧だったともいわれている。もしもそうだとすると、修二会フィナーレの「ダッタンの踊り」に納得がいく。晩年、大寺につきものの政争に巻き込まれてイヤ気がさしたのか、齢(よわい)九十にして奈良を去り、若狭方面をめざしたまま行方を絶った。
 実忠さんは当然、旧暦一月のプログラムをつくっていた。それはおなじみの二月堂のお水取り行事の原型にあたると思われる。規模は小さいが終了を告げる「ダッタンの踊り」があって、写真で見るところ、舞い手は異様のお面をつけて烈しい踊りを踊っている。正月、二月、三月、意味深い水と火の祭祀が春を招来する。

(第23回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年2月5日(月)掲載