言葉ことはじめ 池内紀

2018.2.20

25通・通人

 

  ひところ通人とよばれる人がいた。実際によばれていたかはともかくも、雑誌などに登場するとき、肩書は「通人」となっていた。そんなに遠い昔ではない。私は高校生のころ、果たしてこの人は何をする人なのか首をひねった覚えがあるから、一九六〇年代にはまだ健在だった。今では政策通、財政通、競馬通などといわれる人はいるが、通人は跡を絶ったようだ。
 通人とくると、まっ先に思い浮かぶのは菅原通済である。姓はたしかにスガワラだが、名前はこのとおりかどうか、「ツーサイ」とよびならわしていた。通人の代表のようにして、よく『文藝春秋』などのグラビアページを飾っていた。いつも着物姿で、白足袋をはいていた。着物というより「お召物」といった感じで、品がよく、高そうで、威厳すらあった。白髪を揃え、面長で、キレイどころをはべらせ、にこやかな顔。場所は神楽坂や赤坂の料亭が多かったような気がする。
 いまだに何ものであったのか、まるで知らない。通人は表向きで、裏は政界のフィクサーといわれるタイプ、そんな噂を耳にしたことがあるが、事実だったかどうか。黒幕であれば、そうそうオモテには出ないと思われるが、スガワラツーサイ先生は世間に知られた顔だった。ともあれえたいの知れぬ人物であって、通人とでもワクづけるしかなかったのかもしれない。

  つう(通) ①芸能、花柳界、趣味、道楽などに関する面におい 
 て、特殊な知識を持って(内部の事情に詳しく通じて)いること、ま
 たその人。
                       (新明解国語辞典)

  なるほど、政界の内部事情に通じていれば、その「特殊な知識」を背景に、隠然とした力を発揮することもできる。そういうナマ臭い場合のほかに、可愛げのある意味もあるようだ。

  ②人情の機微、特に男女間の関係について、自己体験上、思いやり
 の有ること。

 スガワラ先生がキレイどころにモテたのは、こちらの意味によってかもしれない。「自己体験上」がキーポイントで、自分も男女間のことでさんざん苦労したことがあり、元手をたっぷりかけた上でのアドバイザー役である。そこから「通なはからい」といった言い廻しが生まれたものと思われる。ときには身銭を切ってでも味のある解決策をこうじてやったのではなかろうか。

  「何の通だと言われることは、何によらず身ぶるいするが、特に、
  食物の通だと言われることはつらい。
                  (池田彌三郎『私の食物誌』)

 いま、ある世代以上の人は池田彌三郎(一九一四‐一九八二)を憶えている。銀座に名代のてんぷら屋の生まれ。長じて折口信夫のもとで日本芸能史を学んだ。慶応大学で教えるかたわら、芸能、民俗、さらに人生一般について洒脱な語りで人気があった。『私の食物誌』は一年三六五日、一日ずつ割りふって食物を語ったものだが、よほどの学識とともに、並外れた舌の教養がなくてはかなわないことである。
 ある日のくだり。通ぶって、白魚は博多名物「シロウオのおどり食い」にかぎるという人を、やんわりとたしなめている。シロウオと白魚は別の魚であって、白魚は「シラウオ科」、シロウオは「ハゼ科」の魚。自分もためしに「おどり食い」とやらを食べてみたが、「博多っ子には悪いが、うまいとは思わなかった」
 白魚の値をいうのに「ひとちょぼ」いくらという単位があったそうだ。ひとちょぼは二十尾のこと。バクチの隠語の「ちょぼ」は二十一のこと。漁師の女房が「二十でひとちょぼ」にしてしまい、ごまかしの値が定まってしまった。だから『江戸名物図会』の「佃煮白魚網」の景に「白魚の値あるこそ恨みなれ」の句があらわれている―
 彌三郎先生はこういったことを、ごく自然に言える人だった。生まれ、育ち、また学識からも、自他ともに許す「大通」というものだが、『食物誌』をしめくくる大晦日の頃に、右のセリフを書きつけている。通ぶった人に特有の自己顕示と自己満足、またつけ焼刃の教養が鼻もちならなかったのだろう。
 ついでながらこの日の食物はてんぷらで、右の言葉につづけて、気取ってレモンをかけて食べるような大層なものより、ごまの匂いのぐっとくる、こってりしたのがいいと述べている。「野暮といわれたって、そのほうがうまいのだから何も遠慮することはないと思っている」
 ほんとうに食に通じた人はこのようにこだわりがなく、味覚に忠実で、自由なものだ。揚げもののなかでは「カツレツが一番好き」というからうれしいではないか。

 

(第25回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年3月6日(火)掲載