言葉ことはじめ 池内紀

2018.4.20

29「自」のつく字



 昭和天皇が世を去って平成天皇が登場したころ、つまり、きっかり三十年前、町々に見なれない言葉があらわれた。
 「服喪の礼につき、営業を自粛いたします」
 いたるところに貼り紙がしてあった。なかには入口を黒い布で覆って「自粛中」と書いたボール紙をぶら下げた店もあった。建物に喪服を着せかけたわけである。
 そのうち、箒(ほうき)で掃き出したように町から消えた。忘れかけたころ、再び通りにお目見えした。
 「即位の礼につき、営業を自粛いたします」
 このたびは数が少なく、自粛は風俗関係の店に多かった。ふだんはハデな音楽が鳴りひびき、めまぐるしくネオンが点滅している辺りなのだ。客引きが通行人に声をかけている。その手の営業の自粛には、「その筋のお達しにより」などと書き添えてあった。カッコして「店はいつもどおりやってます」
 「自」はもともと、鼻の形だそうだ。たしかに人がよくする手つきであって、鼻を指して、自分を示す。そこから、おのれ、本人の意味が生まれた。それにつらなって、自愛、自慰、自虐、自尊、自堕落、自嘲……。どれといわずイヤな言葉であって、なろうことなら使いたくない。
 遠い昔、中学のときの校長が、月曜日の朝礼のとき、よく口にした。「自主的に」「自覚して」「自信をもって」。朝の太陽の下で立ちっぱなし。貧血で倒れる生徒もいた。自画自賛の長ばなしである。あれ以来、「自」のつく言葉が嫌いになった。
 自伝、自叙伝―おおかたの場合、自分は、自分はと言いたがる自惚屋の自慢ばなしだ。自首、自供、自白と発表されていたのが、さんざん痛めつけた上のことだったと判明する。自炊のわびしさ、自足した人間の夜郎自大ぶり。自家用車となると、大のオトナがおもちゃを手にした子どもにもどってしまうらしく、ガレージの前で一日中、車を磨いている。
 自治会という名のおせっかい屋。何かと自説を言い立てる人のわずらわしさ。陰々滅々と自虐的なセリフを言いたがる人。自称作家のひとりよがり。自衛隊のバルコニーから、誰も聞いていないアジ演説をして、自決した小説家がいた。自尊心の強い自信家だった。
 自粛沙汰の一件がヘンてこだったのは、本来なら「みずからすすんで行動をつつしむ」はずが、「その筋のお達しにより」とか、「町内会の申し合わせにより」とか、断りつきで使われたせいだろう。なかには「警察の要請により」とうたって内情を暗示する向きもあった。言葉の不自然さが、行為自体の不自然さの何よりの証拠だった。
 そもそも「自粛する」が自己矛盾というものなのだ。「する」というからには、何らかの動きなり力を加えること、働きかけて影響を及ぼす。これと、みずからつつしんで何もしないことが組み合わされた。上下が逆を向いており、用語自体が自己矛盾をかかえている。
 平成の世がまもなく終了して、新しい年号になる。このたびは服喪がないので営業の自粛も大幅にゆるめられ、せいぜい「当局のお達し」程度ですむのではあるまいか。そんなわけで、「自」のつく字は大嫌いだが、一つだけ例外がある。「自然」は好きだ。そういえば、これ一つは読み方が違っている。

(第29回・了)

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次回2018年5月7日(月)掲載