言葉ことはじめ 池内紀

2017.3.24

03かぶれる

池内紀「言葉ことはじめ」(かぶれる)

ヤマウルシの図譜

 よくうるしが元凶にあげられるが、「かぶれ」の原因はうるしにかぎらない。薬品などの成分が強すぎてもおこる。皮膚に発疹ができたり、ただれたりする。かゆいので閉口だ。「かぶれた」と言わずに「(皮膚が)まけた」と言ったりもする。
 以上は肉体的な現象だが、精神的な面でもかぶれることがあって、明治のころは「西洋かぶれ」が流行した。何かというと西洋をもち出して賞讃する人種である。「思想にかぶれた」といえば、左翼に走ったタイプを指した。影響を受けすぎて、その状態が好ましくない場合にあたる。かぶれの兆候である発疹は小さな吹き出物だから、思想の吹き出物が出た状態をいうのだろう。発疹チフスにかかると高熱が出て全身に小粒の発疹があらわれる。思想にかぶれた当人は気づかないが、精神の発疹チフスと見ればいいわけだ。
 それはそれとして、ふつうかぶれが問題になるのはうるしの場合だろう。ハイキングに行って、どこでうるしに接触したのか、帰ってくると体のあちこちがかゆくてならない。人によっては全身がかぶれて地獄の辛さを味わうはめになる。ころげまわってもかゆみは消えない。
 林道や渓谷沿いに生えているヤマウルシや、つる性で岩や木にからみついているツタウルシに触れたのだ。蕾や若葉のころが、いちばん危い。ツタウルシは秋になると紅葉して、赤や黄の葉が美しい。ついつい手を出して、泣きをみる。
 うるしに含まれている漆酸(ウルシオール)のせいであって、一時的な皮膚炎をきたす。誰でもかぶれるというのではなく、うるしに強い人もいて、よほどのことがないかぎりかぶれない。一般に柔肌の人はかぶれやすいようだ。ウルシオールは耐食性が強いので塗り物に使われる。うるし塗は日本の誇る高度な工芸だが、うるしに弱い人は、うるしの器にも警戒する。実際、うるしの器物でかぶれたことがあるからだ。
 だが、それは何かの理由により、うるしが十分に乾いていない器だったまでで、うるしに罪はない。完全に乾いていれば、どんなにかぶれやすい人でも決してかぶれない。
 ただうるしの乾き方は洗濯物などの乾きぐあいとまったくちがう。うるし液を塗ったのが固体に変わるのを「乾く」というが、その際、うるしは多量の酸素を吸い、その酸化作用によって固まる。だからうるしを乾かすためには適当にしめりけを与えるほうがいい。水分が蒸発する際、酸素をうるしに供給して、酸化作用を促すからだ。
 松田権六(一八九六‐一九八六)は金沢の生まれで、早くからうるしに親しみ、うるしひと筋の名工となった人である。人間国宝で「漆聖」ともいわれた。その人の『うるしの話』(岩波文庫)によると、何かのおりに酒の効用に気がついたそうだ。うるしを乾かすために湿気を与える際、水よりも酒のほうが乾きが早い。酒のほうが酸素の供給を旺盛にするらしいのだ。しかもうるしは特級などせびらず、安酒でも嬉々として乾燥を早めてくれる。
 「いうことをきかない人間に一杯飲ませるように漆もいっぱい飲ませるとたいへんよく乾く」
 権六先生は仕上げの日が迫っているときなど、日に何度となく酒で「接待」した。名工は技倆だけでなく、ここぞのときの遊び心をこころえている。
 うるしの硬化現象が酸化作用によるとすると、水や酒よりも直接酸素を与えたほうが、はるかに効率がいいはずである。ところが何度やってみてもうまくいかない。それというのも、うるしという「生物(いきもの)」のせいだろうと、権六先生は述べている。いかにもこのマカ不思議な液体と生涯つき合ってきた人の言葉ではあるまいか。

 

(第3回・了)

 

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次回2017年4月10日(月)掲載