言葉ことはじめ 池内紀

2018.5.7

30ぼうふら



 ぼうふらという生き物がいる。瓶(かめ)などに水をためっぱなしにしていると、いつのまにか、ぼうふらがわいている。生き物だから「わく」わけではなく生まれたまでだが、突如出てくる現象からして、わいたとしか思えない。
 瓶にかぎらず、汚いところに水がたまっていると、きまってぼうふらがいる。そんなところから、町の裏通りに巣くっていて、何かあると、もの欲しげにあらわれる連中を称してぼうふら野郎という。江戸の狂言作者はこの手の人種をよく知っていて、チョイ役で上手に使ったし、ぼうふら連中にふさわしい名づけをしている。まめ助、すぶ六、かんぺら門兵衛、なまこの八、あんこの次郎、鯰(なまず)坊主といったぐあいだ。

 ぼうふら 水たまりにいるカの幼虫。赤色をしており、からだを曲げ
 のばしして泳ぐ。
                       (新明解国語辞典)

 ワヤワヤと泳いでいるのが、瓶のふちをポンとたたくと、大あわてで底の方へと沈んでいく。「からだを曲げのばし」しているのだが、全員で踊っているように見える。
 宮沢賢治は農業指導員という仕事柄、いたるところでぼうふらを見ていたのだろう。よく親しんだ生き物であって、大あわてで逃げる姿に、いっぱしの踊り手を見てとり、ドイツ語の「環状動物(アンネリデン)」と「舞い手(テンツェーリン)」を合成して「蠕虫舞手(アンネリダ・テンツェーリン)」と名づけた、ぼうふらをうたった人がほかにいると思えないから、世界で唯一のぼうふら詩人というものだろう。そこでは赤い小さな蠕虫(ぜんちゅう)が、水中で金色の光をあびながら、せわしなく踊っている。

 (えゝ 8(エイト) γ(ガムマア) e(イー) 6(スィック
 ス) α(アルファ)
 ことにもアラベスクの飾り文字)

 たしかに8の字にも、eにも見える。アルファになったり、6の字になったり。賢治は水がめをのぞいている。ぼうふらの背中に輝いているのは泡つぶであって、真珠まがいのもの。泡を背負っているのはラクじゃない。だからぼうふらはそのうち動きもにぶくなり、どうかするとガンマアのまま、水に浮いたりしている。
 そのとき瓶をまたトンとたたくと、せわしなく踊りだす。

 ことにもアラベスクの飾り文字かい
 あゝ くすぐったい
 (はい まったくそれにちがいありません エイト ガムマア イ
 ー スィックス アルファ
 ことにもアラベスクの飾り文字)

 異名がぼうふり。漢字は「孑孒」と書いてぼうふら。もともと「げっきょう」と読んで、蚊の幼虫のこと。辞書をひいて知ったのだが、孑(げつ)は右腕のないの意で、孒(きょう)は左腕のない意だという。だから孑孒とくると、あのようにフラフラ踊るわけだ。孑はさらに「ひとり」の意があって、孑立とくると孤立と同じくひとり立つ意味になり、ぼうふらは立派な孤立集団にもなる。
 詩人の谷川俊太郎は、友人の音楽家、武満徹が譜面に向かっているのを見たのだろう。

 白い大きな五線譜の片隅
 音は湧き始めていた
 孑孑のように

 音譜はなるほど、せわしなく踊っているぼうふらそっくりだ。
 狂言作者のナマぐさい世界にもどっていうと、俗に「狸角(たぬかく)」と総称されるぼうふら仲間がいる。「仮名手本忠臣蔵」の六段目に登場する「狸の角兵衛」にちなんでいて、チョイ役だが、それなりの役まわりを果たす連中のこと。
 政界や官界、財界といったところにおなじみだろう。強い後ろ盾をかさにきて、弱い者をいじめにかかる。いじめぐあいが、ご主人への忠誠度のバロメーターとこころえている。自分が糾問(きゅうもん)されると、シラをきるか、すっとぼける。トップに無理難題をいわれると、トップの腹の内を読みこんで、ていよくコトを押しきり、批判にはお得意の頬かむりで、世の中が忘れるのを待っている。木鼠忠太、またの名が、ぼうふら忠助。

(第30回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年5月21日(月)掲載