言葉ことはじめ 池内紀

2018.5.23

31関西弁のスピード



 関西の生まれ育ちなので、最初に身につけたのは関西弁だった。大学入学とともに関東の言葉、東京弁の中に移ってきた。教師になって赴任したのが関西だったので、関西弁に舞いもどった。数年で勤め先が変わって、またもや東京弁。
 はじめて東京に来たとき、話すスピードにとまどった。最初の恋人は、いわゆる下町生まれで歯ぎれがよかった。関西訛で返事をすると、「おっとりしてるわね」と言った。まだるっこしいのを、そんなふうにカモフラージュしたのだろう。こちらもすぐわかって、なにやら劣等感を覚え、速く言おうとして舌がもつれた。
 ずっとあとになって気がついたが、おっとり言葉であっても、スピードの点で劣るわけではないのである。

 (東京弁)         (関西弁)
 いらっしゃいますか     イハルカ
 行きません         イカヘン
 してくださいますか     シトクナハレ
 ちょっとお待ちください   チョットマチ 

 文字数からして、すぐにわかるが、音節、途中の音をとばしてつなぎ合わす。極限まで省略する。「私は先に帰ります」などと口せわしなく言うことはない。「ウチサキカエル」と電文体ですませるからだ。意味は速いのに速度感に乏しいのは、メリハリのきいた音が少ないせいだろう。「買った」といわずに「買(こ)うた」と言うように、歯ぎれのいい促音を嫌う。そのくせ清音に代わる濁音の場合は促音を入れたりするから、よけいにもっちゃりした感じがする。たとえば「ソーダッシャロ」「違イマッシャロ」「損ダッセ」……
 マッシャロとはへんな言い方だが、「ますだろう」が変化したのだろう。ダの子音が脱落して、スが促音化し、さらに語尾を短音化した。「損ダッセ(損ですよ)」のダッセがどうしてできたのか。国語学の先生によると、「損ダスゼ」のゼの音が脱落するに際して、マッシャロと同じような促音化の変化が生じたというのだが、私にはよくわからない。
 「知らない」を「シレヘン」と言うのはまだしも、丁寧語として「シレシマヘン」となるのは奇想天外というほかない。いずれにせよ、巧みな省略と結合のもとに、まだるっこしい口調であれ、意味が時空を矢のように飛ぶことはたしかである。
 接尾の助詞が融通無碍(むげ)で、「勉強シタンヨ(勉強しました)」のヨ、「ソヤガナ(そうですがね)」のナ、「エロウオソナッタワ(すっかり遅くなりました)」のワ。東京弁で「知らないワ」「いやだワ」と男が言うと、ヘンな目で見られるが、関西弁では男女平等である。そんなこと知ランワ、それエーワなのだ。
 ナンヤネ(何ですか)、ソヤロカ(そうだろうか)、イツヤッタカイナ(いつだっただろうか)のように、やわらかなネやカやナがつくと、意味は早いが、のんびりした言い方にとられるだろう。タノンマス(たのみます)、スンマヘン(すみません)、ヤッテハッタンカ(していなさったのか)などの省略話法は、どんな手続きであみ出されたものか。母音が脱落して変化したのか、はたしてどうなのか。成り立ちは私には見当もつかないが、使うとなると、らくらく使えるのである。「何をしておられたのか」と問うのに、「ナニヤッテハッタン?」とおしまいの「ン」を上げてすませるなど、効率化きわまったケースにちがいない。
 省略しすぎて、同じ形でも意味がまるきり違うことがある。

 タベントソンヤ(食べないのは損だ)
 タベンノヤッタラ(食べるのであれば)

 同じ言い方で正反対にあてている。
 関西人がよく口にする「サヨカ」もそうで、「さようですか」というからには疑問形にちがいないが、「そんなことはありません」の意味を、どっちつかずに言った場合も大いにある。ことさら、はっきりさせない商人の知恵から出たのではあるまいか。
 ―などと、したり顔して述べたりすると、大阪の人は神妙な顔つきで、「サヨデスナー」「ソウデッシャロ」とうなずいてくれるだろうが、真意は誰にもわからない。

(第31回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年6月11日(月)掲載