ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.8.28

10パラグアイ(7) 北川モニカ/ラパスとお別れ

 

 いろいろな人の話を聞きに回ったり、あいさつしたり、風邪を引いたりしていたら、腰痛がひどくなった。ラパスにマッサージをしてくれるところがあって、それも日系の子だというから、渡りに船。日会のすぐ近くにある薬局に行った。薬局のなかに、目隠しされただけの簡易的な診療スペースがあって、ベッドが置いてあった。26歳の北川モニカさんがそこを間借りして、依頼があればマッサージをするのだそうだ。

 正直に言って、南米での腰のマッサージに関してはまるで期待していなかったが、モニカさんのマッサージはとてもよかった。マッサージというか施術だった。聞けば、それもそのはず、理学療法士だそうだ。エンカルナシオンの大学を卒業したあと、1年別の仕事をして、それから福岡県移住者子弟留学生として、福岡県にある福祉系の大学に1年留学したという。なぜ、理学療法士になったのかというと、「なんとなく」だそうだが、それでも留学までするのだから、その仕事を気に入っているということなんだろう。いまはティラピスも習っていて、将来的にはそれも仕事に活かしたいらしい。

「ラパスにはそういうの(ティラピス)ないから。いつかは店を持ちたいっていうのはありますね。ここだとマッサージしに来るっていうのは贅沢なことだと思っている方がまだまだたくさんいるので、そうじゃなくて必要な健康管理だと伝えたいと思ってます

 焼け石に水、腰痛にお湯くらいのつもりでここにやってきたが、モニカさんはぼくの状況を看て、マッサージだけではなく、温めたり、姿勢の矯正をしたり、テーピングをしてくれたりしたので、すっきりした。

 ぼくは体が固い。演劇のワークショップでストレッチを紹介することもあるのだが、その一切が自分ではできないので参加者には説得力を持てたことはない。それから、よく風邪をひくのだが、それは体が固いせいなんじゃないか? と常々考えていたので、モニカさんにその疑問をぶつけてみた。「それは聞いたことないです。たとえば肩こりがひどいと循環が悪くなるから、頭痛の原因になったりはしますけど」いずれにしても固くないほうがいい。

 もしもモニカさんがお店を持つなら、やっぱりラパスがいいと言う。「生まれもラパス、ずっとラパスで、高校と大学はエンカルだった」

 この先も、ずっとこのラパスに住んでいきたいそうだ。ブラジルのサンパウロは比較的近いが、サンパウロは人が多くてあんまり、という感じらしい。パラグアイの首都のアスンシオンならまだ大丈夫と言っていたが、積極的に行きたいという感じを受けなかった。

 この移住地で何人かの若者たちに会って話を聞いてきたが、わりとそういう、将来も移住地のなかで暮らしていきたい、というふうに考えている人が多い印象を受けた。モニカさんもそうだし、光浩さんもそうだった。むしろ明さんのように明確に外へ外へという意志を持っている人は珍しいように感じた。だが、移住地に住む多くの若者は、一度は日本という両親や祖父母の故郷を訪れている。それは学生時代の研修だったり、親の仕事の関係だったり、あるいは留学だったりするが、そういう外であり、そして内でもある日本(のどこかの街)を見て体験して、「それでもラパスがいい」と思うのは、60年以上の月日を経て、移住者たちが土地に根付いたと言うこともできるのではないか。パラグアイの地に住みながら、故郷として内面化されてきた日本を、受け継ぎながらも徐々に客体化させていくのが、これからの若者なのではないだろうか。そして、そうすると、清一さんが言っていたように、ブラジルやアルゼンチンのように、日系社会自体が徐々に日本から離れて行くかもしれない(もしくはペルーでぼくが見たように、日本とはべつの「日本」を内面化させていくのかもしれない)。そんなふうにも考えた。まあ、いずれにしても、せっかくバイリンガルなのだから、もっと外を向く人が多いといいんじゃないかなとも思うのだけど。

 ラパスでは、ほかにも、日本には一度も行ったことがないという農家の若者や、自家製の梅干しを旅のお供にと瓶に詰めて渡してくれた2世の女性、戦争体験を聞かせてくれた1世のおばあちゃん、宗教の普及に日本からわざわざ移住地にやってきている一派の人たちなどなど、たくさんの人に会った。相手の家を訪ねるとたいてい煎茶が出され、家のなかではNHKの衛星放送を見ていることがほとんどだった。ペルーの祖母の家を思い出した。ぼくもペルーの家では、よく「のど自慢」を見たり、朝ドラを見たりしていた。日本に帰ってきてから、知り合いの俳優でNHKに出ている人に会うときは、南米でも(というか世界中で)見られているよ、と言うことにしている。

 2週間も泊めてくれた安藤さん一家に見送ってもらい、イグアス移住地方面へ向かうバスに乗った。駿斗くんは「もうすぐぼくの誕生日なのに」と言いながら、別れを惜しんでくれた。そういうのにぼくはすぐ泣きそうになるから、イグアスに行ったらラーメン屋に行くんだ、みたいな話をしてごまかしていた気がする。バスは思ったよりすぐに来た。わりと豪華なバス。せいぜい3時間程度でイグアスに着くだろう。

 イグアス移住地は、イグアスの滝で有名なブラジルのフォス・ド・イグアスやアルゼンチンのプエルト・イグアスへと接続する国境の街、シウダー・デル・エステから40キロほどのところにある1万人ほどの人々が住む街だ。ぼくはここにはすでに何度か訪れ、お世話になっている人もいたので、顔を出すのが目的だ。そのあとほかの街をいくつか見て、今度はブラジルのサンパウロに向かう。サンパウロには、小学生のとき行った以来、25年くらい行っていない。南米随一の大都市で治安のこともあまりいい話は聞かないので、ちょっと緊張している。それにポルトガル語は話せないのだった。

 

 

(10・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年9月6日(木)掲載