ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.10.12

12ブラジル(2) サンパウロとサッポロ


 サントスでブラジル第一次移民の人たちとの(想像上の)出会いをゆったりと果たしたあと、サンパウロへ戻った。サンパウロの地下鉄は都市規模のわりに路線は少ないので、乗り換えにも迷うことなく、2号線の終点駅まで。この街では、数年前にヨーロッパの演劇祭で知り合ったダンサーで振付家でもある、エドゥアルド・フクシマの家に泊めてもらうことになっていた。
 ところで、「サンパウロ」をポルトガル語で発音するとき、日本語では「サンパウロ」より「札幌」と言うほうが音としては近い。と思ってインターネットで「サンパウロ 札幌」と検索してみたら、サンパウロと札幌はその発音も似ているけれど、どちらの市外局番も「011」だという情報を見つけて、おもしろい符合だなあと思った。だからなんだというわけでもないけれど。姉妹都市が札幌だとさらにおもしろいなと思ったが、サンパウロの日本の姉妹都市は大阪市で、アジアではほかにソウル、北京、上海、マカオだそうだ。
 サンパウロに来たのは、ぼくにとっては2回目のことだった。初めては、アスンシオンに住んでいた小学校5年生のときのこと。日本に一時帰国をするときに、家族旅行で来たのではなかったかと思う。世界最大規模と言われる日本人街リベルダージのレコード屋で、ZARDCDを買った。初めて買ったアルバムがこれで、そのことだけよく覚えている。どこに行ったのか、どんなホテルに泊まったのか、誰かと会ったのか、あとのことは全然覚えていない。そういうわけで、サンパウロは今回が初めてと言ってもいいだろうと思う。

 

 

 エドゥアルドと合流したのは、午後2時くらいのこと。駅まで迎えに来てくれた。彼とは前年(2016年)に彼がブエノスアイレスにソロダンスの公演に来たのを見に行って、そのあと遅くまで飲んだ。会うのはこれで3回目だったが、最初に会ったときから意気投合していつまでも話が尽きない仲で、今回もサンパウロ訪問のことを伝えると、家に泊まっていいと言ってくれた。「いつでも歓迎するよ」
 エドゥアルドは父親のほうの祖母が福島出身の日系人で、母方はイタリア系(やほかのヨーロッパ系)という、ぼくより2つほど若いブラジル人である。彫りの深い顔立ちに天然パーマの髪の毛、上背はないがそれゆえに足腰がしっかりしていて、足の裏を全部、地面につける歩き方をする。と思ったら急にひょこひょこと爪先立ちで歩いたり、上半身を上下に振って話すリズムを作ったり、独特の体の動かし方をし、口を大きく開けて笑う陽気な人だ。ブエノスアイレスで見た彼のダンスは、そういう彼の体のリズムをうまく利用しつつ、どこか抜けている印象を受けるが、厳しい制御も効いているという感じで、とても魅力的だった。
 そんなエドゥアルドとの再会を喜び抱き合い、さっそく彼の家に向かう。そのまえに、駅近くの食堂で昼食をとった。フェジョアーダ。ブラジル料理といえば、という豆と豚肉の煮込んだやつである。ビールを頼んで料理を待ちながら、エドゥアルドと近況を報告し合った。彼はスペイン語も理解するが、英語のほうがお互いコミュニケーションが取りやすい。南米では演出家や振付家といった「アーティスト」と呼ばれる人たちは、ほぼ皆英語を流暢に話すので、コミュニケーションに困ることはなかった。
 ぼくはこの年(2017年)の秋、アルゼンチンでの滞在経験から戯曲を執筆し、アルゼンチンの俳優たちと、京都で開かれるKYOTO EXPERIMENTという舞台のフェスティバルで新作を発表することになっていた。けれども、パラグアイに滞在中、出演を交渉中だった俳優のひとりから出演を辞退する旨の連絡を受けてしまい、ほかの出演者を探さなければならない状態だった。その役には、セリフがほとんどないかわりに、体にキレがあり強い存在感の人物を求めていたので、エドゥアルドのことはすぐにその候補に浮かんだ。しかし彼は国内外のフェスティバルに引っ張りだこの印象で、忙しいだろうけどと、ダメもとで、豆を食べながら京都公演の話をし、彼のスケジュールを聞いてみた。
「……というわけなんだけど、興味ある? 忙しいよね?」
「ある。すごいある。めっちゃある。出る。スケジュールはなんとかする。正式にオファーしてくれたら、今日にでもスケジュールを空ける」と、彼は踊り出さんばかりの動きで、前のめりになって喜んだので、ぼくはびっくりした。数年前彼は、企業がスポンサーにつくアーティスト・イン・レジデンス(ある土地に滞在しながら作品制作をしたり、アーティストが創作のアイデアを得られるようその土地に招聘する滞在プログラム)で、台湾の台北に1年間住んでいたことがあって、そのときに数日間だけ大阪・京都を訪れたことがあるらしい。日本食、特にお好み焼きは彼の好物で(リベルダージにはお好み焼き屋もある)、祖母の母国である日本にはいつか仕事で行ってみたいと常々思っていたそうである。自分の作品で行くと思っていたけど、まさかYudaiのプロジェクトで行けるなんて、運命は数奇だ、とかなんとか言っていた気がする。
 そうなったら話は早い。さっそくレストランのWIFIにノートパソコンをつないで京都のプロデューサーに、エドゥアルドが出演する気満々なこと、それから正式なオファーの話をしてほしい旨のメッセージを送った。けっきょく、数日後にあっさりと彼の出演は正式決定した。エドゥアルドはチリのサンティアゴだかブラジルのどこかの都市だかでワークショップをやる予定があったらしいが、それは来年に回すことにしたと言っていた。

 駅からの道のりは坂が多く、いったん登っては下り、また登るという感じに入り組んでいて、緑も多く、小ぎれいな建物がところ狭しと並んでいて、その一つがエドゥアルドの家だった。駅から10分くらい。近くにはヤマウチという日系のスーパーチェーンもあった。サンパウロは治安が悪いというイメージだったが、このエリアはそうでもないらしい。3階建てで、部屋が56くらいあって、どの部屋にもシャワーがついているというような日本で言えば豪邸だった。元は叔父の家だということで、家賃も払う必要がないという。だから、彼は知り合いのアーティストに無償で部屋を貸していて、2人のダンサー、料理人、ミュージシャンという4人のブラジル人が住んでいた。皆、エドゥアルドと同じかそれより若いアーティストたちだった。ぼくが泊まったのは、そのうちのひとつで、ビアトリス・サノという日系のダンサーの部屋だった。彼女は公演でしばらく部屋をあけていて、好きに使っていいということだった。
 一階はガレージになっていて、ここは知り合いのファッションデザイナーがアトリエとして使っているという。三階に上がると、広々としたオープンスペースの洗濯場にソファが置いてあって、住人のひとりであるミュージシャンのアトリエとしても使われているらしい。そのすぐ隣には、20畳くらいはある部屋があって、木のフロアにリノリウムのシートが敷かれていた。エドゥアルドやビアトリスは、ここでダンスの創作やリハーサルをしているという。なんともうらやましい環境だ。
 夕方になったら外に遊びに行こうとなって、まだ少し時間があったので、エドゥアルドのリハーサルの様子を少し見せてもらい、そのあと溜まっていた衣類を洗濯させてもらった。

 



 夕方、エドゥアルドと一緒に地下鉄に乗ってリベルダージに出かけた。7月のサンパウロはパラグアイと同様に寒かった。日系人コミュニティが点在する南米のなかでも、移住者の多いブラジルの、サンパウロは別格というイメージだった。その象徴的な場所としていまなお日本人街としての性格を残すリベルダージ。
 リベルダージ駅(20188月に名称が「日本-リベルダージ駅」に変わったらしい……)を出ると露店が出ていて、きなこ餅が売られていた。その先には日本のお城を模したような建物(中は銀行)があったり、その隣は日本書籍を扱う本屋だったり、あたりの街灯はすべて提灯の形をしていたりしていた。歩行者信号はシグナル部分が鳥居の形になっている。道の両側には日本食レストランやアジア系雑貨屋などがひしめき、しばらく歩くと大阪橋という橋があって、その先には赤い鳥居が見える。パラグアイの移住地にも鳥居や日本食屋があり、それ自体は珍しいことではないけれど、それがサンパウロという南米一の大都市の、ほとんど中心部に位置するところにあるのが驚きだった。東京で言えば新大久保みたいな感じ。リベルダージは日本人街として発展したため、街は日本っぽさを残しているものの、近年は中韓系の移民も増え、いまや東洋人街と認識されているという。そういうところも新大久保と似ていると思った。そしてそういう「文化が混ざる」ところは人で混む。たくさんの人で活気づいていた。駅近くの白い壁に瓦葺きの建物には、マクドナルドが入り、その隣にはすき屋が店舗を構えていた。街全体が、アルファベット、ひらがな、カタカナ、漢字などで構成されている。
 ぼくたちは、エドゥアルドのお気に入りだという、リベルダージの入口にある「弁当屋」という名の簡易レストランに入って夕食をとった。ここは、白米や味噌汁に、いろいろな惣菜を選んで自分好みの定食にすることができて、近所にあると重宝するな、という店だった。
 ほかにもこの界隈には居酒屋もあって、後日エドゥアルドとビアトリスと一緒に行った居酒屋は、カウンター席しかない、まさに日本の居酒屋という感じで、もうここが地球の反対側だということを忘れるような場所だった。違うのは日本よりもずっと多くの人種が交わり、多くの言語が飛び交うところ。ブラジルについて、あるいはブラジルの日系移民(とその文化)についてぼくがイメージしていたのは、まさにそういうところで、いつかの日本文化がそのまま保存されているのではなく、当地でべつの考え方と混ざり人が行き交うことで、独自に発展した日本文化があるということ。たとえば食事について、そこで提供されている日本食は、日本の日本食を正義だと考える人にとっては別物の味付けや風味ではあるかもしれない。けれども数々の文化的、環境的な影響を受け、試行錯誤を繰り返した結果、新たな日本食が生まれたのだと考えたら、こんなにわくわくすることはないと思う。
 夜も更けてきて、 このあとどうしようかとなっていたら、ばったりエドゥアルドの友人のフランス人たちと出くわしたので、そのままみんなで近所のカラオケ屋に行った。ここは、カラオケボックスではなくて、カラオケスナックというかカラオケ飲み屋という感じ。客はたぶん340人くらい、それぞれがファミレスのようなテーブルに座り、奥にステージがある。ステージ脇にカラオケ機材があって、担当のおじちゃんが待機していて、酔っ払いのみんなはそのおじちゃんに曲をリクエストする。歌本は日本のそれと同じイメージ。とにかくカオスティックに混んでいてうるさく、隣の人の声もよく聞こえない。焼酎を飲みたかったがなかったので、ビールをしこたま飲んだのだった(もしくは焼酎は高くて手が出なかっただけかもしれない)。

 

 

(12・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年10月25日(木)掲載