ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.6.8

05パラグアイ(2) 安藤家

 

 「パラグアイには4歳のときに来たので、日本でのことはほとんど記憶にないんですけど、幼稚園のときにひなちゃんていう友だちがいたのは覚えています。もう連絡もとっていないけど。いまごろどうしてるんだろう」

 雅さんに話を聞いたのは、安藤家にお世話になって10日くらい経過してからのことだった。着いて早々風邪で数日間寝込み、そのあと紀代美さんといっしょに近所の1世のおばあちゃんに話を聞きに行ったり、移住地の農家の様子を見せてもらったり、日系移住地対抗のフットサル大会を見学したりという取材っぽいことをしながら、風邪がぶり返したり、駿斗くんが朝からテンション高く飛びかかってきて起こされたり、そのことに怒ったり、紀代美さんと雅さんと一緒にラーメンの麺を打って鶏ダシのラーメンを作ったり、ラーメン談義をしたりしていた。そのような感じで徐々に打ち解けていったとぼくは思っているのだが、ラパス滞在もそろそろ終わりかなと思っているとき、雅さんに改めて話を聞かせてもらえることになった。


 ラパスに来てからすでに何人かに話を聞かせてもらっていて、インタビューにも慣れてきたと思っていたが、人の話を聞くということは、自分の手の内を明かすことでもあるように感じる。相手になにを質問するのか、どこに自分の興味があるのか、ということについては、ぼくと相手とのあいだだけにしまっておきたい気持ちがある。
 けれども、雅さんの話を聞かせてもらった安藤家の居間には、もちろん清一さんも紀代美さんも駿斗くんもいて、自分のやりくちをみんなに見られている気になってしまって、恥ずかしくなってしまった。
 清一さんと駿斗くんは、ソファに座ってテレビを見ている。その後ろのテーブルに、雅さんが座り、その向かいにぼくが座り、横には紀代美さんがいた。

 「お母さんの里帰りについていくかたちで、小学校二年生と六年生のときに、日本に行きました。あと中二のときには研修で行った。だから、わたしは三回行ってるのか日本には。お父さんは一回だよね?」
 「そう」
 「二年生のときに一緒に行ったよね。六年生のときは仕事があるからって、お父さんは行かなかった」
 「お父さんのぶんの飛行機代がなかった」とすかさず清一さんが言って、みんなが笑う。ぼくは気恥ずかしさがどうも抜けなかったので、ビールを飲むことにした。紀代美さんが、「雅も飲んだほうがよくしゃべれるんじゃないの?」と冗談を言って、笑いながら雅さんが断っていた。駿斗くんはインタビュー中は静かにしてなさいと言われていたので、がんばって黙っていた。

 「学校では、国語(スペイン語)のほかに英語とグァラニー語(パラグアイの先住民グァラニー族のことば。パラグアイ人の9割以上は先住民族との混血とされ、いまでも多くの人がスペイン語とグァラニー語のまざったもの、もしくはグァラニー語を日常的に使っている)も勉強してます。スペイン語よりグァラニー語のほうが得意かもしれない。それに、心理学、人類文化学、論理学とか歴史とか。あと、ジオグラフィアって日本語でなんて言ったらいいのかな、お父さん」
 「わからん。……ジオグラフィックじゃない?」
 「地理ですかね」とぼくは安藤家のマカダミアナッツをつまんだ。
 「そうか。地理。あと、ふつうの理科の、なんかいろいろ実験したり」
 「そうなんだ。けっこう広域にわたるんだね」
 「うん。ほかにも、神様のことを勉強する科目とか」
 「宗教学? キリスト教?」
 「キリスト教だね。フォルマシオン・クリスティアーナっていう。あと芸術とか、体育もあるし、全部で16科目を勉強してる。週5で」
 「すごいね。そのなかで好きな科目は何なの?」
 「強いて言うなら、心理学かな。うちの学校はけっこうグループ作業があるんですよ。四人グループぐらいでプレゼンやらなきゃいけなくて。心理学のときのテーマが恋愛だった。わたしが言わなきゃいけなかったのは、「恋愛の悪いところ」。恋人ができたらこういう悪影響がある、みたいな。学校で成績が落ちるとか」
 「雅も成績落ちるかな」と清一さんが笑いながら言えば、「でも相乗効果で、頭のいい子と付き合ったら、いっしょにいたいってがんばるよね」と紀代美さんが言う。家族で話しているときの雅さんの顔は生き生きとしている。駿斗くんががんばってしゃべらないようにしているのがぼくはおかしくて、ビールを飲んだのだけど、いま思えば、雅さんの恋愛の話を聞けばよかった、飲んでいる場合ではない……。

 「勉強が特別好きなわけじゃないし、お父さんもお母さんも勉強しろとは言わないな。部屋片付けろとは言われるけど」
 「それはね、雅の部屋がもうあんまりだからだよ」と清一さんが笑いながら言った。雅さんは苦笑いしながら続ける。
 「でも、成績がよくないと進級できないから、しっかりやってる。わたしはスペイン語より日本語が得意なので、将来的には日本の大学に入りたいと思ってます。大学生活のあいだにその先なにがしたいかを考えたい。いまのところ、心理学に興味があるけどまだどんな分野のことを勉強するかは決めてない。でも、漢字は日本の子よりもわかる自信がある」
 「ちょっと話してもいい?」と我慢の限界が来た駿斗くんがしゃべると、雅さんが「いいよ」と優しく言ったので、駿斗くんが食べたい動物の話を始めた。駿斗くんは動物が好きで、しかも捌いたり料理にして食べるということに興味がある。

 ところで、海外では年に1、2回、国際交流基金と日本国際教育支援協会の運営による日本語検定試験が開催され、パラグアイでは現地の日本人連合会が実施している。ここで満点をとるか、成績がトップになると日本に来て研修を受けられる制度があるそうだ。
 パラグアイの日系の若者たちは、日常的に日本語を使っている。それは、パラグアイの一世世代が日本生まれで、存命であることが多く、身近にいる祖父母が日本語をしゃべっているというのが、大きな理由の一つだと思う。日本に研修に行く日系の若者のなかでは、言葉に関してパラグアイ出身者はいつも優秀らしい。しかし、漢字の読み書きは苦手な人が多いそうだ。実際、ぼくがラパス移住地で出会った若者は雅さんをのぞいて皆、そんなことを言っていた。彼らが通う学校はあくまでもパラグアイの学校である。
 それに、日本語検定で好成績をとった人間が日本に招待されるという仕組みには、疑問が残る。語学の能力というのは、やる気よりも環境にまず左右されることが多いと思う。日本出身で日本国の教育を受けてきた親を持つ子どものほうが、そうではない子どもより有利ではないか。
 また、紀代美さんによると、日本語検定では日本に住んでいる人を想定した出題のされ方をしているのではないかということだった。たとえば、「コンビニに行きました」という例文があったとして、それはコンビニがあるという前提で出題されている。南米では、日本的なコンビニがない国がほとんどである。問題の解答以前に、まずそういうローカルな日本事情を知らなければならないというのは、ちょっと不公平な感じがしてしまう。こういう出題の仕方をしていては、日系人が多く住む移住地のような場所でも、日本語を勉強しようという意欲は徐々に小さくなっていってしまうのではないだろうか、とぼくは思った。

 すこし話はずれるが、パラグアイにはほかの国と比べ日系移住地が多いこともあって、JICA(国際協力機構)の支援が手厚い。日本政府から出されるお金で道路の整備や日本語教育の強化が行われているが、清一さんはそれがパラグアイの日系社会の「ぬるさ」を生んでいるのではないかということだった。
 日本政府の資金に依存している状況では、金銭的な負担を自分たちでしてまで、日系コミュニティの会合やイベントなどを守っていく、という自立心が育たないのではないか。そう、清一さんは言った。日系人の団結力はだんだん弱まってきているように感じているそうだ。

 「最近、とくに感じるようになったけど、歴史は違えど、パラグアイの日系社会もブラジルや周辺の国と同じような道をたどるんじゃないかと思ってる。日系人の組織はもう必要ないんじゃないかと思う人も増えてきていて、話を聞くとブラジルもそういうふうに実際、組織がなくなったところもあるとか。そして、実際になくなってみると、やっぱりそういうのは大事だったんだって、失くしてから初めて気付く。ブラジルみたいに日本語がどんどん失われてしまった社会では、なんとかしなきゃって思って、自分たちで金銭を負担してでも、もう一度立ち上がろうとするんだって。日本語を大事にするっていうのは、日本人の道徳心とかモラルみたいなものを継続していくことにつながるし、やっぱり日本とのつながりを持つってことなんだと思うんだよね。ぼくはどうにかいまの流れを避ける道はないか、って思うんだけど、でも一方で、やっぱり一度失ってしまったほうがいいのかなとも思うんだよね」
 いつも冗談を飛ばしながら、家族を和ませる清一さんだが、このときは言葉を選びながら真剣な眼差しで話していた。

 ぼくの生まれたペルーの日系社会では、日本語を話す人はもう少ない。だから清一さんが言うように、一度失ったものを取り戻そうという意識があるのかもしれない。あるいは完全に消えてしまわないように、その火を守ろうという意識が発生しているのかもしれない。
 ペルーで、沖縄祭りや新年会などのイベント、普段からの集まりなどで、ぼくが感じたのはそんなエネルギーだったかもしれないなと思った。自分がペルーに育っていたら、コミュニティでの取り組みに積極的だっただろうか。清一さんの話す日系社会の課題と、いま日本で吹き荒れているように思われる「日本のプライドみたいなもの」とはずいぶん違う質のもののように感じた。

 

 

(05・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年6月21日(木)掲載