ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.7.20

08パラグアイ(5) 河野光浩

 

 街の中心部の近くを通る国道沿いにラパス農協があった。工具や機械などが売られているホームセンターとその裏には農業機械をメンテナンスする工場が併設されていた。今回紹介する河野光浩(こうのみつひろ)さんは、ホームセンターのほうで働いているという。農協のとなりにあるガソリンスタンドに併設された売店の、イートインのスペースに、仕事の合間に彼は来てくれた。

 光浩さんは当時26歳のラパス日本人会の青年部部長で、先日のフットサル大会でもラパスチームのキャプテンを務めていた。ぼくはそのとき彼と話せなかったが、安藤さんにつないでもらい、時間をとってもらったのだ。

 青年部というのは、ラパスに住む日系人の独身男性の集まりで、ラパス内で開かれる催し物の手伝いや準備をするのだそうだ。

 「だいたい雑用係なんすよね、力仕事は青年部がやらされる。メインは1月末か2月頭くらいにある夏祭りで、地区(移住地)によってやり方は違うんですけど、ラパスの場合は主催が青年部です」光浩さんはさすが部長さんという感じで、物腰は柔らかく口調も丁寧で人当たりがいい好青年という印象だった。エンカルシオンで生まれ、12歳までラパスで育ち、その後イグアス移住地に6年、高校卒業後はアルゼンチンの大学に通った。心理学を専攻していたという。

 「いまは農協で、いわゆる売り子の立場なんですけど。いずれは心理学を活かして人事部とかいけたらいいなあって思ってて」

 

 心理学で人事部というのがつながらないぼくに、光浩さんは丁寧に説明してくれた。

 「心理学というと、みんながイメージするのはクリニックでカウンセラーとしての仕事だと思うんですよね。それはもちろん王道で、みんなそれを目標に勉強するんだと思うんですけど。その他にも、日本語でどう言うかよくわかんないですけど、スペイン語で言うとpsicología laboral(職業心理学)っていう、まぁ仕事の分野での心理学で、そっちのほうを専攻したいな思って。おもに人材の確保や職場に入るときのインタビュー(面接)で適合試験的なものを取り扱ったり、それ以降ですと新しい人材の育成だったり、セミナーとかやったり。motivaciónっていうのは日本語で何て言うのかな?」

 「そのまま、モチベーションでいいと思います」

 「働く人のモチベーションをあげるだったり、事故の防止に取り組むだったり、そういうことをやっていけたらなあと考えているんです」

 

 なるほど、わかりやすい。そして、実直で好感の持てる人柄だ。そして、そういう人物を目の前にすると、いちいち物事の裏側を見ようとしてしまう自分のことが恥ずかしくなってしまって、もうちょっと彼の芯なるものをブレさせてみたい、と考えてしまった。

 「いま独身ですか?」と、ニヤニヤしながら聞いてみた。彼のような人物はきっと放っておかれないだろう。案の定、光浩さんは照れ臭そうに言う。「一応婚約してまして。来年のいいころに式を挙げたいと思って、いま頑張ってるところです。それもあって青年の部長をやらされたんですよね。今年は『青年』の最後なんです。結婚以降はもう青年部は卒業ですから」

 「相手はこっちのラパスの方ですか?」

 「いや、ピラポの方ですね」

 「じゃあ日系の」

 「はい、日系の。同じ日系3世です」

 

 日系人の彼女ということで、以前直記さんと話したときに感じた、日本人/日系人の使い分けのことがここでも気になった。

 「ふだん、その彼女さんと会話は日本語ですか?」

 「だいたい日本語ですね。パラグアイとボリビアぐらいですよ、移住地でこんだけ日本語が強く残ってるのは」

 ボリビアの日系移住地でも、人々は日本語を生活のなかで使っているそうだ。

 

 「あとやっぱ、その地域の元の、cultura(文化)が強いとこは日本語は押され気味で。ブラジルとかアルゼンチンとか、地元の人がほんとブレないじゃないですか。そういうとこは、日本語はだんだん失われていってるっていう感、ぼくはすごくあると思うんですよね」

 「それに比べてパラグアイっていうのはあんまりってことなんでしょうか」

 「すごく日本語が残ってる場所だと思いますね」

 「それはパラグアイの文化がそんなにってことですか?」

 「そうですね。パラグアイは、ふたつ大きい戦争をして、だいたいそのふたつが終わった後にいろんな移民が来たんです。戦争で労働者が少なくなったから」

 パラグアイは、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの三国同盟軍を相手に戦ったパラグアイ戦争(1864-1870)で成人男性の3分の2以上(9割とも言われる)を失い、さらにその50年後にボリビアと戦ったグラン・チャコ戦争(1932-1938)により国内はさらに疲弊したと言われている。

 

 「あとぼくが個人的に思うのは、財力だと思うんですよ。パラグアイで日本人って言ったら金持ちっていうイメージがあるんですよね。偏見でもありますけど、でも、やっぱりある部分は合ってると思う。ほかの国(の日系移民)と比べても、農協も結構デカいですし。日本人会や日本語学校を維持できるっていうのは、その地域の日系人に多少財力があるから成り立つんだとぼくは思ってるんですね」

 「なるほど。では、将来的にお子さんもできるかもしれませんが、その子どもには、日本語をしゃべれるようにしていきたいですか?」

 「もちろん、それはそうですね。いろんな国に行くことがあって、やっぱ2ヶ国語をしゃべれるっていうのがすごく、他の人は持ってない良いものなんだなって思いましたね」

 光浩さんもやはりスペイン語の身体性を持ちながら、日本語をしゃべっているところがあると思った。たとえば、パラグアイという単語を発するときは、カタカナのパラグアイというより、スペイン語のParaguayの発音だ。実際、スペイン語と日本語のどちらがしゃべっていてより楽なのだろうか。あるいはどちらも違いはないのだろうか。

 

 「ぼくはわりかし、しゃべるほうは両方問題ないと思ってるんですがね。スペイン語も日本語に負けないぐらい話せる自身はあります。ただ、書く部分ではダントツでスペイン語ですね。日本語は漢字とかすごく忘れてまして」

 彼らとメッセージのやりとりをすると、日本語の文がローマ字の綴りで送られてくることがよくある。たとえば、「genkidesuka」というふうに。書いたり読んだりするのは、スペイン語、というかアルファベットのほうが楽なんだろう。テレビは、ほとんどNHK(ワールド)を見ると言うから、音としての日本語を彼らはよく知っているのだ。

 直記さんや光浩さんと話していて面白いなと思ったのは、彼らはあくまで日本語をメインに考えているという印象を受けることだった。「スペイン語も日本語に負けないくらい」という表現からもそれが推測できる。けれども、読み書きでは光浩さんが言うようにスペイン語のほうがすぐに頭に入ってくるというのは、受けた教育を考えれば当然なことだと思う。

 しかし、いまになって思うのは、直記さんにしても光浩さんにしても、ぼくが日本から来た日本人であるから、日本語メインであるような話し方をしたのかもしれない。彼らの日本語だけ聞いて、それを判断してしまうのは、日本語をメインに使うぼくの乱暴な解釈のようにも思った。

 光浩さんの祖父は広島県の出身で、光浩さん自身も13歳のときに、広島市の招待で10日ほど広島に来たそうだ。ぼくはこのころ、日本人であることの意識が強いのであれば、将来的には日本に住みたいと思うのではないだろうかという考えがどこかに残っていて、そのことを確認したい気持ちもあって、将来についてどう考えているのか質問した。光浩さんはしっかりとした口調で以下のように話してくれた。

 

 「ぼくはパラグアイに、そしてラパスに残りたいと思っています。近い将来で言うと、ちゃんとした家庭を作って、自立できてみたいな。で、もう少し遠い話をすると、もちろん、どうなるかはよくわかんないですけど、ここに住むってことは、ここの社会を良くしていかなきゃいけないと思う。自分が住んでいる社会ですし。住みやすく、日系人がみんな公平に、差別とかないようにしたい。もちろん日本人だけに偏ったやり方じゃなくて、日系社会とパラグアイ社会との共存みたいなことも考えていかないといけない。そういうことに役立てたらいいなって思ってるんです。教育の面に携われたらとか、もっと大胆に言うと政治家になったりとか」

 「教育改革みたいなことですか」

 「改革とまでは言わないですけど、汚職とか……。南米全体がそうなんでしょうけどね、クリーンなイメージは全然ないんですよね。資源は限られてるし資金も限られてるし、そういうのをもっと、個々人の利益じゃなくてもっとみんなが裕福に豊かになれるような、公平な社会みたいなことは考えてますね」

 日系社会と同時にパラグアイ社会についても、よくしていきたいと考えているというのは、パラグアイに暮らしていく上で当然のことにも感じる。

 一方、光浩さんが話すなかで、やはり「日本」と「日系」という単語の使い方が揺れているように感じられることがあった。ぼくはちょっと意地悪な質問をするつもりで、直記さんのときと同じく、自分のことをパラグアイ人だと思っているか日本人だと思っているか、聞いた。光浩さんからは意外な返事が返ってきた。

 

 「ぼくは自分のことはパラグアイ人だと思ってます」

 「日本人だとも思ってる?」

 「いやー自分はパラグアイ人ですね。現に今日遅刻してきたし」

 「いやいやそれは全然大丈夫ですよ」

 「日本人だったらもっと時間にキッチリなんだろうなみたいな」

 「なるほど。それはつまり、日本人はたぶんこうだろうっていうのに対して、自分はちょっと違うっていうふうに考えてるってことなんですか」

 「はい。まぁそうですね」

 こうした発言とは裏腹に、実際には光浩さんのメンタリティはもっと複雑な印象を受ける。単にパラグアイ人というには、日本人としての意識を感じるし、しかし、日本人というには(こういう言い方をしていいのかわからないが)、本人のなかで足りないものがあると感じているのかもしれない。だから、そもそもぼくがした質問はずるく誘導尋問のようなものだった。

 ぼくはそれでも、自分の興味を追求するがごとく、政治とアイデンティティについての話を続けた。というのも、自分自身、国籍だけを考えれば、日本人とペルー人の両方の権利を持っていて、どちらの国にも住むことができる。その一方で、国籍というのは単に「政府」という、(自分からすれば)実態を感じることのできないものから与えられる切符のようなもので、自分のアイデンティティとは本来関係ないものではないか、と思いたい気持ちもある。

 ぼくにとって、アイデンティティは常に政治と妙な関係を持とうとしてしまうから、その揺れを解消したいという思いがどこかにあって、光浩さんがなんでも実直に語ってくれるから、そのことを彼に負わせようとしたのだ、といまとなっては思う。

 「駐日パラグアイ大使って歴代、日系の人が多いですよね(正確には、2004年-2009年のイサオ・タオカ氏、2009年-2017年のナオユキ・トヨトシ氏の2名)。やっぱり日本語通じるっていうのもあるのかな」と、ぼくは光浩さんと日本という国をいつまでも切り離そうとせず聞いた。ぼくはもう、「こんなところに日本人が」というような、「日本人推し」をしたいテレビ番組と同じようなものだった。それでも、光浩さんは思うことを話してくれた。

 

  「いずれはそういう仕事もできたらって思ったことはあります。やっぱ政治っていうのはコネなんで、日系社会にいることでコネが増えたらいいなーみたいなのは思ったことありますけど、そんなに具体的に考えたことはないです。駐日大使だったタオカさん(http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1152/)はパラグアイに帰ってきて、いまの大統領の補佐というか、相談役みたいなのをやってるんですよね。だから、大統領にまでならなくてもそういう政治に関してちょっとは意見できる立場に日系人がいたほうがいいと自分は思ってます」

 「タオカさんはどこ出身なんですか?」

 「ラパス出身です。ラパスに住みながら、その仕事をしています。あと日会の会長もしています」

 「すごいですね」

 「いい例だと思うんですけどね。去年のラパス市の選挙でタオカさんは立候補してたんですよ。でも勝てなかった(タオカ氏は初代ラパス市長でもある)。だからもう、ただ日本人だからっていうのでは通用しないようになってきたんだと思うんです。これにはぼくたちもちょっと学ぶべきことはあって、そんなに簡単ではないなって。やっぱある程度の地位がないと、ものを言っても届かないなっていうのは身に沁みてわかるようになってきた。自分がやりたいことをやるには相応の財力と権力がないとダメだな、みたいな。まぁだから今回青年部の部長にって話が出たときも拒むことはなかった。いい経験だしやってみよっかなって」

 「大事ですよ、そういうのは。あんまり政治の話ってしないのかなと思ってたから」

 「基本的に関心ないですね、みんな。現にタオカさんが立候補する前の市長は、日系人だったんですよ。たとえば、その人の息子さんは『政治なんて知りたくない』みたいな感じ。でもなかには何人かね、『市長にまでならなくてもいいけどその補佐とかには絶対に日本人がいたほういい』って言う人はいますよね」

 「なるほど。ラパスのなかで日系人の影響力を持っておきたいみたいな、そういう考え方ですよね」

 「それもあります、もちろん。「現地の人を信じてない」とは言っちゃいけないんだろうけど、『現地の人と日本人だったら日本人のほうが絶対ちゃんとやってくれるよね』みたいなふうに思ってるところはあります」

 「そうなんですね」

 「日系の社会は、組織で動くのがもともとうまいんだと思います。婦人会は婦人会で婦人部長・副部長といて、でまたラパス市の中でも日会のなかでもそういうのがまたあって。ちゃんと組織化してますし」

 「じゃあ、さっき光浩さんが自分のこと、パラグアイ人だって言ってたのはどういう感じなんでしょうか? というのも、例えば市長とか、あるいはその影響力のある役職などのなかに日系人がいたほうがいいと言うこととと、自分はパラグアイ人だと言うことって、ちょっと矛盾しているところがあるように感じてしまうのですが……。『日系パラグアイ人』いう感じですか?」

 「あぁ、そういうふうに考えたことなかったですね。でも確かにそうかも。同じパラグアイ人でありながらも、無意識にあるのかもしれないです」

 

 

(08・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年8月2日(木)掲載