ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.8.4

09パラグアイ(6) 秦泉寺明

 

 光浩さんの話を聞いている途中で、たまたま秦泉寺明(じんぜんじさや)さんが店にやってきた。彼女は22歳の女性で、フットサル大会のあとにエンカルシオンの日本食屋「ヒロシマ」で開かれた打ち上げで知り合ったのだった。秦泉寺という珍しい名字は、高知の名字らしく、彼女の祖父も高知出身だということである。

 パラグアイでも洋裁学校(と料理学校)を卒業した彼女は2016年、東京は新宿にある文化服装学院に1年間研修生として通った。毎日の課題がたいへんで、遊ぶひまも全然なかったらしい。
 打ち上げ会場で聞いていたのは、パラグアイに帰国後、日本人の友だちとはあまり連絡をとらなくなってしまったことや、東京で仲良くなったのはむしろ外国人のほうだったということだった。
 「わたしは、日系ではない外国人たちが泊まってる寮にいたっていうのもあったんだけど、東京に行ったらいろんな人種の人が集まってて、最終的に仲良くなったのはエジプトの人たち。けっきょく日本人とは一度も飲みに行かなかったな。そもそもわたしがお酒飲まないっていうのもあるけど」
 彼女は引っ込み思案なタイプではなく、物事をはっきりと言う人という印象だ。友だちを作るのが苦手という感じはしなかった。正直に言うと、ぼくは打ち上げでけっこう飲んでしまったので記憶が曖昧なのだが、「日本人の友だちたちは、あんまりストレートな物言いをしないから、なんとなく距離を感じてしまった」というような話をしていたと思う。せっかくまた会えたので、そのへんのことを聞こうかなと思ったが、友だちが何人(なにじん)か、というくだらない話より、彼女が興味を持っていることの話を聞くほうが楽しかったので、日本人の友だちとのことはあまり聞かなかった。唯一聞いたのは、自分と同年代の子たちより年上の人たちと仲良くなるほうが多かったということ。
 「なんか年上の人とのほうが気が合うんだよね。30代とか。若い人とあんまり話が合わなくて。なんていうか、キャピキャピした感じが苦手」

 

 

 たしかに彼女は22歳という年齢のわりには落ち着いた雰囲気があった。けれども、若い人らしい目標というかやりたいことに満ちているエネルギーを、話の端々に感じた。

 「わたしはすごい外に出たくて仕方がないんだよね。もうここ(ラパス)にいるんじゃなくてほんとに。言語学を勉強したいって思ってて。言語の起源とか、その歴史のこと、どこから言葉が来てどうやって変化していったか、とかを勉強したい。わたしが一番好きなのは言語で、その次に料理で、その次が洋裁。絵も大好きなんだけど、絵ってやっぱアートでしょ。言語もアートなんだよね。エジプトの象形文字に興味があって、そういうのを研究してみたい。とにかく文字を読むとか書くとかがすごい好きなんだけど、そういうのを深める勉強ってここじゃできないから、チャンスがあれば外に出てそういうことをしたいなって思ってる」

 東京でエジプト人たちと仲良くなった影響もあるのだろうか、アラビア語やアラブ文化に興味をもっているようだ。スペイン語とアラビア語の類似性についての話がたのしい。たとえば、スペイン語で「牛」のことは「vaca(バカ)」と言うが、アラビア語ではバカラというらしい。砂糖は「azúcar(アスカル)」で、アラビア語ではスュカル、シャツを意味する「camisa(カミーサ)」はカミス、ズボンの「pantalones(パンタロネス)」はパンタロンというふうに、単語が似ているという。つまり、歴史的に相互に影響しあっているということだ。こういう話はぼくもとても好きで、そういえばぼくにとって響きが好きなスペイン語の単語のひとつである、「¡ojalá!(オハラ!)」は日本語で「そうだったらいいのに!」というような意味だが、これはアラビア語の「イン・シャ・アラー(もし神がお望みになるのなら)」から来ているらしいというのを、アルゼンチンの友人から聞いた(それを聞いてより好きな単語になった)。
 明さんは、そのほかにもロシア語や韓国語なんかも少し勉強しているらしい。さらには、そのときは6月の半ばの、ちょうどラマダンの時期で、エンカルナシオンにいるというアラブ系の人たちのその様子を絵に描いたという。とても興味を持っているようだ。ぼくはそもそも(ラマダンじゃなくても)飲酒できないというのが難しいと感じているが、彼女はお酒を飲まないし、イスラム教の教えに考えが合うところもあるということだったから、試しにラマダンの断食をやってみたら、と言ってみた。

 「やってみたいけど、実家にいるかぎりはちょっと難しい。親たちがすごい心配する。テレビで見るイスラム教関連のニュースってテロのことばかりだから、どんなに説明しても、『イスラム教=テロ』ってなっちゃう。『そうじゃない人もたくさんいるよ』って言っても全然わかってくれない」
 たぶん、彼女の両親だけがそういう反応をするわけではなく、残念ながら日本でもそういうふうに思っている人は多いんじゃないかと思う。ぼくは2012年に初めてアラブ世界の国のひとつであるモロッコに行った。それまでまったくアラビア語ともイスラム教とも接点がなかったので、やはり少し不安なところもあったが、実際に行ってみると、建築にも人の様子にも食べ物にも感動することが多く、テレビで見ているだけではわからないものだなと思ったのだった。たとえば、その自分が見聞きしたものを誰かに伝えようとするとき、どうすれば相手にその人自身が実際に体験したかのような感覚を与えることができるだろうか。もしくは、自分が実際に行ったことのない場所や、会ったことのない人たちのことを想像するとき、どうしたらあるステレオタイプのような先入観を持たずに、それができるだろうか。結局のところ、ぼくが思うのは、興味を持つことができるかどうかが重要なのだということなのだけど。
  
 「わたしはよく、遺跡とか古典とかのドキュメンタリー観るんだよね。そしたら、お兄さんの奥さんがそれを見て、『サヤ、そんなの見てるの?』って。普通の女子が見るようなドキュメンタリーじゃないから、『変だね』って言われた(笑)。でも、そういうのを見てるとすごいロマンを感じる。でも、そういうことわかってくれる人、このへんじゃいないから、あんまり友だちとも話さない。話したいけど、相手につまらないと思わせるのも嫌だから」
 明さんの話には、大なり小なり移住地に対する不満が顔をのぞかせる。光浩さんの地域社会についての視点と、彼女の外への憧れにも近い眼差しは、逆方向のベクトルに同じだけのエネルギーで引っ張り合っているように思えた。コミュニティから出ようとする人たちと留まろうとする人たちが同じ場所に住んでいる。

 「こういう、移住地に住んでいる人ってなかなか外の人を受け入れられないんだよね。人種差別的なというか。前にブラジル人の男の子と付き合ってたことがあるんだけど、それも親に反対された」
 「それは、ここの日系の人じゃないとダメってことなの?」 
 「できればここがいいんだけど、(ラパスの)外でも日系がいいってこと。日本人だったら、なおさらいいのかも。とにかく、親としては外の人でもラパスに連れてきて、こっちにずっと住んでてほしいみたい」
 ぼくは外部からやってきた人間だから、究極的にはコミュニティの事情を語ることはできないが、それでもたしかに、そういう傾向があるように感じることもある。そしてどうして自分がそれを感じるのかというと、いくつかの例を並べて、自分にも、そして自分が属している社会にもそういう感覚がある、ということからなんだと思う。外からやってきたものに警戒する、もしくは拒絶する。そういうことが差別と呼ばれてしまうことは頭ではよくわかっているし、しないように努めたいと思う。けれども、外の刺激に対して「適切な反応」をすることが我々は本当にできているのだろうか。60年以上前に日本からやって来て、切り開かれたこの地に根を下ろし、違う文化のなかで生活するために蓄積された団結から、副産物的に発生しているかもしれないそういう意識を、ぼくは安易に否定できないと思う。

 

 

 「そのときの彼と将来のことを話してたときは、もしかしたらブラジルでもなくパラグアイでもなく、その中間がいいかもって。中間ってどこ? っていう話だけど(笑)。アルゼンチンでもいいしもっとぜんぜんべつの場所でもいいし。わからないけど。エジプトも絶対行きたいし、ペルーとかチリ、イースター島とかにも行ってみたい。とにかく外に出たいんだ」
 ぼくがごちゃごちゃ考えたり、反省したり、あるコミュニティの閉鎖性に思いを馳せたりしたところで、そのことが明さんの将来を縛ることにはならない。彼女の話が見据えている将来は頼もしく聞こえてくるのだ。

 「やっぱり親っていうのは、自分の子どもの幸せを一番に願ってるものでしょう? 普通に日系人と結婚して普通に嫁いで暮らしてほしいんだろうね。だけど、わたしは昔からそういう考えが全然ないんだよね。お父さんお母さんたちが『外国人はダメだよ』とか『日系人にして』とかって、ずっと言われ続けてきたからてたから、わたしも3年、4年前までは『ここで勉強して、普通に生きていこうか』って考えたりもした。だから、ここでわたしが勉強できる好きなものって言ったら、料理のこととか洋裁のこととか、あと英語の勉強ぐらいだったけど。でも、自分が歳重ねていくごとに、本当にこれでいいのかなって思うようになって。だって、本当にやりたかったこと、ずっと我慢して死ぬときにやっぱりやっとけばよかった、ってなるのも嫌だしと思ってね。だからいまは親と格闘してるところなんだ(笑)」
 明さんは、「わかってくれないなら出て行く!」というふうにならず、しっかりと親を説得するつもりだという。彼女の曾祖父母の代に、日本からパラグアイにやってきて、きっと彼女にはその〈移動するDNA〉みたいなものがしっかり自分の中にあるのだろう。彼女は、足がかりとしてまずは日本にもう一度戻って、仕事をしながら勉強をするつもりだということだった。
 日本に来たら、また会って話しましょうと言うと、そうだね、と言ってから、彼女はこんな言葉を使った。「Si Dios quiere(もし神がお望みになるのなら)」

 

 

(09・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年8月16日(木)掲載