私のイラストレーション史 南伸坊

2016.5.25

10おもしろい絵が一番えらい

 

 ルネ・マグリットを知ったのは、高校の図書館でだったと思う。まだ日本でマグリットの画集は出ていない頃で、だから「みづゑ」で連載していた澁澤龍彦さんの美術エッセーで図版を見たのがはじめてだろう。
 バルテュスや、ゾンネンシュターンや、ピカビアや、デルボーやといった、今でも私の大好きな画家のほとんどが、この連載で紹介された澁澤さんの好みの影響だ。といって、これは後になって知ったんだけど澁澤さんと好みのほとんどが重なるってわけじゃなく、むしろ三分の二くらいは、自分の好みじゃなかったんだなと、わかったりした。
 好みじゃないから、名前も覚えていなかったブローネルが、2011年のシュルレアリスム展で、なんだかけっこうとぼけてておもしろいぞと、好きになったなんていう例もある。
 とにかく澁澤さん御自身が、自分がとりあげる画家は、自分の好みで選んでいるんだし「研究してるわけじゃないんだから、勝手なことを言ってるだけだ」というスタンスなので、私は物心のついた高校生の時分に、こういう先生に影響を受けたおかげで、芸術に対して至極「まっとう」な向き合い方ができたと思っている。
 澁澤さんは印象派なんか、まるっきり興味ないとハッキリ書いて、つまり自分が「全然面白いと思わないから」なんだけど、そのことが高校生をしてなんとも「我が意を得た!」気分にさせたのだ。
 私が、美術や芸術、といったものにはじめっから恐れ入ってなかったのは、もうひとつ一コママンガが好きだったことも関係している。
 たとえばアメリカの一コママンガに、モンドリアンの絵の前で、紳士が二人で話しているのがある。
 ニューヨークの、モダン建築の美術館内。紳士の一人がステッキでちょっと絵を示してるんだけどその下のキャプションに、この角を曲がったこの辺りが自分の勤め先だ、みたいなことが書いてある。
 漫画家はモンドリアンの絵が、まるでニューヨークの地図みたいだと言ってるのか? あるいは、たまたま勤め先の説明をしようとしてたら、おあつらえにモンドリアンの絵があったんでちょっと役立ててるとかってことだろう。
 アメリカの漫画家が、実は画家にコンプレックスを持っていて、それでそんなマンガを描いているって可能性もなくはないんだろうけど、マンガ好きの中学生にとっては、そんなこと以前に、おもしろいことの方が断然えらい。だから漫画家と画家のランクの違いとかはじめっから眼中にないのだ。
 一コママンガではこういったいわゆる「画家もの」が一つのジャンルになっている。
 私が高校生の頃に描いたこの「画家もの」マンガは、ピカソが例のとんでもないことになってる顔の絵を描いてる向こう側に、そっくりそのままあの顔のモデルがいるっていうやつだった。といって、私はピカソの絵を「風刺」したいってわけじゃなかったし、ピカソのあのへんな顔の絵も「アイデアとして」すごく好きだった。
 そういえば、あのマンガを 友人達に例によって見せた時、秋山道男が、絵描きが石膏デッサンをする時に、片目をつむってエンピツの軸で比例をたしかめるみたいなしぐさをしてみせたのに、とても感心してしまった。私のマンガでは単にたんたんとリアリズムの絵をピカソが描いてるだけだったのだが、その動作が加わると、さらに「正確に」モデルを写生しようとしている様子がわかりやすくなる。
 そうだ。マグリットの話だった。私はマグリットの絵を好きになって、ずいぶん長いけどそれはマグリットの絵が、まるで一コママンガを楽しむみたいに楽しめるからだと思っている。
 絵のアイデアがおもしろいのだ。そのアイデアも、そんなに力こぶを入れたアイデアじゃない。絵に「たいそう」なリクツがついたり、意義があったりしない。
 一目見て、おもしろい。奇妙だったり、なるほどだったり、おかしかったり、絵を見るだけで、いきなりこっちの脳ミソが波立つ。
 たとえば「白紙委任状」である。森の中を馬に乗った淑女が横切っていく、その姿が木々に見え隠れする感じが、奇妙なトリックになっているのが何気ないふりをしていて「アレ?」と気がついた時のその感じが楽しいのだ。この感じと前回模写してのせた、スタインバーグの歩く線描の人は、同じ種類の面白さだ。

マグリット
 この「白紙委任状」について、マグリットが自作解説のような文章を書いている。画集にのっていたのは次のような文章だ。
「目に見える事物が見えないこともある。誰かが馬に乗って通り抜ける場合、その馬と人物はときどき見え、ときどき見えなくなる。だがそこにいることは察知できる。〈白紙委任状〉では馬上の女性は樹木を隠し、樹木は女性を隠す。私たちの思考は見えるものと見えないものの両方を認める。思考を目に見えるものにするために私は絵画を利用するのだ。(ルネ・マグリット)」
 なんじゃこりゃ? と私は思う。どんなシチュエーションで、マグリットがこの文章を書いたのか、あるいは書かされたのか知らない。が、画家がこんなことをする必要はまったくないじゃないか。
 字に書いたくらいなことは、絵を見て一瞬のうちに知覚しているのだ。世の中にはこういう解説をありがたがったり、要求したりする人がいて、そういう人々はき っと絵は見ていないのだろう。
 こんなことを言いたかったわけじゃなかった。
 私はこのマグリットの絵が、実は私が高校二年生の時に制作されていたのだったという事実に、つい最近になって気がついてビックリしたのだ。
 たしかに、私が高校生の頃に、マグリットもピカソもミロもキリコも、デュシャンだってまだ生きていた。
 それより、ウォーホルやリキテンスタインなんか、私が中学生くらいにやっとデビューしたての新人だったのだし、高二の頃にはバリバリ新作を発表していた最中だったのだ。ポップアートは当時全盛だったのだ。
 いつのまにか絵画史の中の名画みたいになっている絵が昨日今日に生み出されているまっただ中に私はいた。そして、自分もいまの自分が思っているように誰かがおもしろがってくれるような絵を描きたい! と思っていた。

ウオーホル

リキテンスタイン

 

 

(第10回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2016年6月29日(水)掲載