私のイラストレーション史 南伸坊

2017.11.6

26水丸さんの発明

 

イラスト1

 「絵描きとして名を残した」ほどの人は、たいがい印象に残る「発明」をしているものだ。たとえば、アンディ・ウォーホルは、コカ・コーラの瓶の広告画をそのまま「芸術」のフィールドに持ち込んだ。
 「そのまま」持ち込んだことが、当時高く評価されたのだった。アメリカではデザインとアートが峻別されてるらしいので、つまりデザインの技法でそのまま描かれたタブローがビジュアル・スキャンダルであって、新鮮な刺激だったのかもしれない。
 しかし、コンセプトに驚いたり評価したりするのは批評家だけだ。絵を楽しむ鑑賞者はコンセプトというより、広告なのに芸術だったり、漫画なのにアートだっていう、そのことに単純な「めまい」を楽しんだのだし、漫画の一コマが巨大になって美術館のカベにかかっている。スープ缶のカンバンがキャンバスに描かれている。そのズレにこそおもしろさや味を見つけていたはずなのだ。
 マルセル・デュシャンは、小便器をへんな具合に倒して陳列して、そこに「泉」を出現させた。単に街で売ってる小便器だけれども、それを違うものにして見せたところがおもしろかったのだ。
 「美術館に芸術として小便器を持ち込む」というのがコンセプトだとして、この陳列法がつまり小便器を彫刻にしたのだろう。
 しかし、どうだろう、その小便器を、人々はその前でゆっくり味わうだろうか? しげしげと細部を見るだろうか?
 ああ、これがあの有名な…と見たらそういつまでも見てやしない。小便器の前では後ろの人は、さっさと順番をかわってほしいのが普通だ。
 ウォーホルが、はじめに発明したのは、スーパーマンやディック・トレイシーの漫画のコマをキャンバスに描く、というアイデアだった。しかし、それはリキテンスタインが、もうはじめていたのだ。
 ウォーホルのディック・トレイシーは、漫画のコマを拡大してキャンバスに描く、という「コンセプト」だけじゃなく、アートらしいタッチや、絵具のたれ跡みたいな、らしさを残して「絵」にしてあった。

 

イラスト2
 ところが、リキテンスタインのほうは、印刷の網点までソックリに再現していたのだ。ウォーホルはこの後、コカ・コーラを広告そっくりにキャンバスに描くことになる。この時点でこのように「コンセプトを徹底する」のは、その後の成功にとっては正しかったのかもしれない。が、「絵を味わう」「楽しむ」鑑賞者の側から見るとどうなんだろうとボクは考えている。
 コンセプトは、わかったらそれまでだけど、絵具のかすれだったり、タッチだったり、手描きの網点の微妙なばらつきだったりを、鑑賞者は味わい楽しむことができる。
 もっと言ったら、デッサンのゆがみだったり、クセだったりは作者が「言わんとする」ことなんかより、ずっと絵を見る楽しみだ。長々とアンディやロイの話をしてきたけれども、ボクが「言わんとして」ることは、実は安西水丸の発明のことだ。
 「ポップアートは似顔絵だ」
 と言ったのは私です。いま思いついた。こう言ってみると、水丸さんの絵の人気の秘密が説明できる。
 水丸さんの発明。それはポップアートが、捨ててしまったところに気づいたところにある。当時の批評家が言っていたことと裏腹に、ポップアートのおもしろさは広告や漫画を「絵にしたこと」にあったのだ。リキテンスタインにせよ、ウォーホルにせよ、さかのぼってデュシャンにせよ、実は、「味わう」要素「絵になる」魅力を放棄してしまったわけじゃない。絵描きは、やはり絵を「絵になるように」描きたいのだ。
 デュシャンがレディメイドの物品を選ぶとき、それは選んでいるのであって何でもよかったわけじゃない。ちゃんとかっこよかったり、おもしろかったり、しゃれてたりするものを選んでいる。
 さて水丸さんの絵だ。机の上にサマセット・モームの「月と六ペンス」が置いてある。そして、そこにすももが三つころがっているのだ。
 すももも「月と六ペンス」も、ものすごくカンタンな線だ。でも、ありありと、その実物が想起できる。頭の中には自分の記憶しているすももと「月と六ペンス」があって、それと水丸さんの絵が重なって、頭の中でそのズレと合致を味わっている。二枚の網点のスクリーントーンを重ねて動かすと起こるモアレのように、そこに何かが起こってくるおもしろさ。
 これがつまり「似顔絵」のおもしろさではないか? とボクは思う。それぞれが頭の中に持っているイメージ、そのイメージと単なる紙に描いた「似顔絵」が出会うところに、似顔絵のおもしろさは生まれる。

イラスト3

  机の上に「月と六ペンス」と三つのすももを実際に用意して、それを写真に撮っても、その写真をスーパーリアリズムでキャンバスに描いても、このおもしろさはつくれない。
 水丸さんは「似顔絵」のおもしろさを「静物画」にうつしかえるという「発明」をしたのだ。
 人は、絵をどのように見てどのように味わうか? 水丸さんは「戦略的」に考えていた。のほほんとしているように見えて、実はギリギリと考えて絵を描いた人だと思う。

イラスト4 コドモの頃、絵を描くのが好きだったらしい。いつまでも絵を描いていたそうだ。たいがいの絵を描く人と同じように、友だちにほめられればうれしかったろうし、先生にほめられるのも誇らしかったろう。
 しかし、それとは別に、絵を見るのが好きで、自分の好きな絵というのがあった。自分が好きな絵を、なぜ自分が好きなのか? と自分に問う、それほどに絵が好きなのだ。
 自分が「いいな」と思う絵を、どうしたら自分は描けるようになるか、ギリギリ考えただろう。その方向に考えが向くうちに、他人の評価より自分の評価に自信が生まれた。
 安西水丸の絵は、だから自信を持ってたどたどしく、自信を持ってたよりなげである。つまり限りなく自信家だ。この自信は絵の「説得力」になる。
 水丸さんは、イラストレーターになるために、まず電通に入社したそうだ。国際広告制作室で輸出広告を担当した。その後ニューヨークのデザイン事務所で働き、帰国後に平凡社に入社した。それらはすべてイラストレーターになるためだった。
 「編集者や作家たちが、どういう経緯や方法でイラストレーターを見つけたり、仕事を依頼するのか体験したかった」
 からだというのだ。驚くべき計画性じゃないか。水丸さんはイラストレーターであり、デザイナーであり、アートディレクターであるばかりか、クライアントの目まで持ちあわせたスーパーイラストレーターになった。
 高校生の頃から和田誠さんに憧れていた水丸さんは、同い年で同じように和田ファンの湯村輝彦さんを、もちろん熱烈に注目していたに違いない。
 湯村さんの活躍なしに、その後の水丸さんはない。(たとえば湯村さんは、パントーンを几帳面にキッチリ貼ることを放棄したことで、それを技法にした)このことのあたらしさを、アートディレクターの目を持つ水丸さんが見逃すほうが不自然だ。
 平凡社の物静かな社内デザイナーだった渡辺昇(水丸さんの本名)さんは、世をしのぶ仮の姿、その正体は修行中の安西水丸さんだったということだ。
 ペンネームで『ガロ』に発表した漫画は徐々にファンを獲得していき、月毎に安西水丸は確実に存在感を増していった。目に見えて目を見張るような絵に変わっていった。

イラスト5 毎月、原稿料タダで16ページの漫画を描くっていうのは、大変なことだ。大変なことだから、そこで確実に水丸さんは変わっていったのだ。
 私は単に無邪気に原稿を「お願い」して、それがかなえられている、とだけ思っていた。けれども水丸さんの絵が、どんどん力をつけていくのは、どんなにボンヤリしていても、気づかないわけにはいかない。
 しかし、もっともボクが驚いたのは、その後イラストレーターになった水丸さんが「静物画」を「似顔絵」のようなおもしろいジャンルにしたその「発明」にだった。

イラスト6