私のイラストレーション史 南伸坊

2018.3.20

29ひさうちさんと沢田さん

 

 ひさうちみちおさんのことを思い出すと、ナベゾと二人で、まるで遊んでいるみたいな気分で『ガロ』を作ってた頃の「たのしさ」がよみがえってくる。
 ナベゾの話は、とてもおもしろかったので、私はなにかというと、いろいろについて、話をさせた気がする。あるいは、こちらの反応を見ながら、ナベゾのほうがモニタリングしていたのかもしれない。
 しばらくすると、私にウケた話をマンガにしてくるのだ。
ナベゾにはもともとマンガを描くセンスが備わっていて、にもかかわらずまるで「マンガ家になりたい」とか一度も思わなかったんじゃないか? というところが特異だったと思う。
 読者のセンスと批評眼が成熟してるところで、いきなり降って湧いたように、描き手の位置に立たされたみたいなのだ。
 創作者意識は肥大化していないから、こちらが、無責任に口をはさんだアイデアを、どんどんとり入れる。あ、それおもしろいね、じゃさ最初はこんなシーンからはじまってさ、とか二人で話してると、とても楽しい。
 私は、自分でもマンガを描きたいと思っていたのだが、かまえすぎていて、とても具体的にはじまらない。いつも無責任に冗談を言っているような話を、そのままマンガにしちゃいけないと思ってたみたいだ。
 ポップアートのセンスを、マンガに導入するぐらいまではナベゾと共有していたが、そこに、さらにナベゾが特有に持っているイメージが現れてきて、これはおもしろいなと思った時、私は自分のアイデアをナベゾのマンガに介入すべきじゃない、と感じ出した。
 私は、もっぱら「おもしろがって」いるべきだと思ったのだ。まるで二人でマンガのアイデアを考えているような時間は、たのしくはあったが、やめにするべきなのだ。
 ひさうちさんが、マンガを持ち込んできたのはそんなころだった。ていねいなロットリングの描線で、ヨーロッパ風の背景や人物の出てくるロマンチックな画風だった。
「この線でヘンタイとか出てくると、意外性あっていいよね」
「ナチの将校と天才舞踏家がホモ関係でさ」
 ナベゾも私も暗黒舞踏を「うどん粉」とか、「眉なし」とかからかいながら、スノッブな観客のファッションセンスや、ポスターのやたらに難解な言い回しをキライではなかった。
 ひさうちさんは、クライアントの注文を、熱心に聞く植木屋さんみたいに、
「ハイ、あーそーですかあ」とか相槌を打っていたのだが、それからひと月後くらいにみごとに、ご要望を採り入れたストーリイを美しく仕上げてくるのにはビックリしてしまった。
 それから無責任な企画会議がつみ重ねられたのかというと、そんなことはない。これももう、やめなきゃダメだ。第一、ひさうちさんのマンガは、無責任に我々の出した要望を、受け入れながら、いきなり自分の世界を作り出していたからだ。

1.パースペクティブ002

ひさうちみきお「パースペクティブキッド」


 ヘンタイに関しては、ひさうちさんも、もともとヤブサカでなかったらしい。まるで少女マンガのようなモチーフと描線をそのままに、ひさうちさんはどんどん自由にテーマを広げていった。
 ほとんど毎日、勝手に残業をしている編集室に、フラリと色んな人が、原稿を持ってきた。その中に、とても絵の上手な寡黙な青年、長髪にヒッピー風のツバ広の帽子の人がいた。
 絵がものすごく上手なので、すぐに入選させてしまいたい、と私は思って、実際たしか入選はさせたと思うけれども、そのマンガのストーリイにはやや不満が残った。
 私は絵を絶賛したと思う。投稿作品の水準を軽く超えているから、色々にほめたあと、
「マンガよりさ、この絵はイラストレーションに向いてるよ、イラストレーターになったらいいよ」と私は言った。イラストレーションのタッチを、マンガに持ち込みたい、と思ってたはずの私のこの提案は矛盾している。
 実際矛盾は、少しずつ自分の中でも、露わになっていたかもしれない。イラストレーションの絵とマンガの絵に、微妙なズレがある。
 しかし、とりあえず、この寡黙な青年は、私の助言を素直に聞いてくれたようで、その後現れなくなった。そしてほどなく売れっ子イラストレーターとして、名前が出たのだ。唐仁原教久、特徴的な名前なのですぐにわかった。

2,唐仁原教久

唐仁原教久


 もう一人、イラストレーターとして、絵本作家として有名になった沢田としきさんも、私が『ガロ』にいた最後の年に、入選し、何作か完成度の高い作品を残した。
 一作目は、絵本ぽいキャラクターのマンガだった気がする。私の記憶に鮮明なのは、サンゴの産卵を、アニメーションのようなマンガにまとめた美しい作品だった。残念なことに私は沢田さんと親しく話をした思い出がない。マンガを描いた後にK2に入社して、イラストレーターとして活躍し、絵本で数々の受賞をしたと思うと、51才という若さで早世されてしまった。

3,こくはくのワルツ001

沢田としき「こくはくのワルツ」

4沢田としき絵本

内田 麟太郎(文)、沢田としき(絵)「みさき」


 ナベゾこと渡辺和博とは、一味違いながら、私の中で「異才」として今でも尊敬するイラストレーターである渡辺仁志は、実は工芸高校デザイン科の同級生で、自分でイラストレーターを名乗ったことは一度もない。
 ヒトシとナベゾ、私にとって二人が似ているのは、一緒にいる時に、自分がいつもと違う者になりかかっているおもしろさだった。違う穴が開いていた。いつもと違う景色が見えている感じ。
 ナベゾとは話している時に、ヒトシとは絵を見ている時にそれを感じた。高校時代ヒトシの部屋に行って、机のひきだしをあけてながめたり、スケッチブックを一ページずつ見ていく時、なんとも言えないたのしさがあった。
 ナベゾと一緒に歩いていると、とつぜん立ち止まる。立ち止まって肘で私の腹を突つく。その視線の先に、たいがいヘンテコだったりビックリだったりヘンだったりする光景があるのだ。
 ある時は色黒の六十年輩のおじさんが、半月形のうそみたいな眉毛のイレズミをしている。ある時は自分の履いてるサンダルで、男の後頭部をひっぱたいてる若妻がいる。
 ヒトシには、『ガロ』でイラストレーションを描いてもらったり、自分の本のカバーイラストに作品をつかわしてもらったりしたが、本人はどういうわけかイラストレーターになろうとしない。

5仁志のスケッチブックから

仁志のスケッチブックから

渡辺仁志「描き損ないの目」 1978年

渡辺仁志「描き損ないの目」 1978年


 才能があってもイラストレーターにならない人もいる。才能があっても早々に世を去ってしまう人もいる。作品を残してもいつのまにか忘れられる人もいる。たいがいのイラストレーターはそうだろう。
 マンガ家だって、イラストレーターだって亡くなっても、いつまでも忘れられずに残る人なんて、ほんの一握りだろう。
 世の中は、すぐ飽きるし、もてはやされても、すぐに忘れ去られるのが普通だ。イラストレーターは飽きられたら仕事にならない。
 でも飽きられるくらいに流行らなくちゃ、売れっ子じゃない理屈だ。
 もちろん、こんなことを考えているのは、いまの私である。1980年、私は『ガロ』の青林堂を退社して、イラストレーターを名乗って独立のスタートを切った。当時の私にそんな気負いはなくて、いただいた仕事を、なんとか片づける、それがまた、編集とは違うたのしみだと感じはじめたばかりだった。

 

(第29回・了)

この連載は月1更新でお届けします。
次回2018年4月13日(水)掲載