私のイラストレーション史 南伸坊

2015.11.18

04小学生の時に感動した絵のこと

 

 のりこさんは、作文が上手で、算数が得意な優等生だった。
 60才すぎたクラス会で久しぶりに昔の話をしていたら、意外なことを言った。私が小学校の四年生くらいの時に描いた図画がとっても好きだったと言うのだ。

 私はいまでも、ピカソよりマチスより、南くんのあの時の絵がいい。というのである。どういう比較かわからないけれども、とにかくのりこさんは、私の絵を、そんなに好きだったと言うのだ。
 「どんな絵?」がそんなによかったのか、聞いていて、だんだんに思い出した。池袋の小学校から、バスに乗ってだったと思う。小石川植物園に写生に行ったことがあった。
 私は画用紙をタテにつかって、一本の大木を描いた。太い幹を描いて枝を描いて、葉っぱは一々描いてらんないので、緑のクレパスでぐるぐる描きなぐった。
 途中であきてきて、いろんな色にもちかえて、そのぐるぐるを繰り返したが、そんな描き方だから、ずい分早くに絵はできてしまって、時間を持てあまして、そこらで遊んでいたと思う。自分では、きっと途中からその絵のことはあんまり好きじゃなくなっていたと思う。
 のりこさんに奇妙なほめられかたをして、昔のことを思い出した。
 そういえば私は、カセくんにもほめられたことがあったのだ。カセくんは、表門と裏門に横綱の名前を持つ土佐犬がいた、お金持ちんちのあのカセくんだ。
 画用紙もクレパスもたくさんあって、宿題でもなんでもないのに、みんなで自由に絵を描いたのだ。みんながどんな絵を描いたのか覚えていない。自分がどうしてあんな絵を描いたのかも覚えていない。
 「おじさんが海水パンツをはいて立ち泳ぎをしている後ろ姿」の絵。水中と水面上のようすを描いた絵だが、カセくんが激賞したのは、おじさんの海水パンツをはいた臀部のしわだった。
 「お尻のしわまで、ちゃんと描いてある!」
と言ってカセくんは、ものすごくほめたのだ。
 いまで言うなら「ハミケツ」である。当時はそういうコトバはまだなかった。しかし、おねえさんのハミケツならともかく、おじさんのハミケツだ。描いた私も私なら、激賞するカセくんもカセくんではなかろうか?

あき地4A
 人は絵をみて、妙なところに感動するのだ。
 どんな絵を気に入るのか? は、まったく油断のならないことだと言わねばならないだろう。しかし、いいな、と思ったのなら、それは「いい絵」なのだ。その人にとって「いい絵」なのだった。
 私は植物園で大木を見て、大木を描きたいと思ったのだろう、のりこさんも同じように思ったかどうか、それはわからない。しかし五十年たったいまでも、あの時の南くんの絵はよかった。ピカソよりよかった。とのりこさんは思ったのだ。
 カセくんとは、中学卒業以来、一度も会っていない。いま会って、カセくんが、おじさんのハミケツの絵を覚えているかどうか、それもわからない。
 ところで、私がいまでも忘れないで、いまでも激賞したい絵は、私の「りんごとみかん」を批評して、母タカコを大いに笑わせてくれたコグチくんの家で見た絵である。
 小口哲雄くんの絵ではなく、コグチくんのおねえさんの描いた絵だった。おねえさんは二つか三つ年上だったと思う。当時おねえさんも小学生だったからあれは私が二年生か三年生の時だったのじゃないか。
 そのころ私は、コグチくんの家によく遊びにいっていたのだった。お父さんは郵便局につとめていて入れ歯だった。
 どうして入れ歯だと知っているかというとコグチくんが「おとうさんの入れ歯」という詩を書いたからである。おとうさんの入れ歯がタンスの上に置いてあって、コグチくんはそれを詩に書くために、ちょっと匂いを嗅いでみたという詩だ。
 ちょっと臭かった。と書いてあった。そうか臭いのか・・・・・・と思って、私はいまでもそのことを覚えている。
 コグチくんのおねえさんの絵は、弟の顔を描いた絵なのである。タンスの上のカベのところに画鋲で貼ってあった。
 私がその絵に感動したのは、コグチくんにその絵がとても似ていたことと、その絵の横に書いてあった題が、ものすごく気に入ったのだ。
 「けつおのかお」
 おねえさんは利発なカワイイ女のコだったが、弟の名前はケツにしちゃうし、弟の鼻の穴はおもいっきり黒々描いて、ものすごく変な顔にしちゃってるのに、でもやっぱりとっても似てるのは、いつも着ているコグチくんのセーターが、そっくりに描いてあるからだな、と私は思って、ものすごく感心したのだ。
 いま思うと、コグチくんのおねえさんの描いた「けつおのかお」が、私のその後の進路を決定づけたかもしれないと思うくらいだ。

あき地4B

 

 

 

(第4回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
 次回2015年12月16日(水)掲載