犬(きみ)がいるから 村井理子

2017.12.15

14空気読もうよ

 先日、いつものようにハリーを散歩させていた時のことだ。まだそんなことやっているのかと呆れられそうだが、またハリーと一悶着あった。
 ハリー自身が幼いことが理由かもしれないけれど、ハリーはとにかく子どもが好きだ。子どもに声をかけられたり、息子の友達がわが家に遊びに来たりすると、本当にうれしそうにしている。残念なことに、そんなうれしそうなハリーを当の子どもたちは怖がっているのだけれど、それでもハリーはお構いなしに一方的な愛を押しつけている。
 その日の朝も、いつもと同じ時間に、いつものコースをぐるりと回って、家までの道をのんびりと歩いていた。ハリーはすこぶる優秀で、私の言うことをよく聞いて、リードを引っ張ることも少なかった。しかし、小学校横の道を通りかかった時のことだ。校舎のサッシの窓が、バーン!という音を立てて勢いよく開き、「ハリー!」と呼ぶ大声が聞こえてきたのだ。声の主はわが家の次男だった。散歩する私とハリーをめざとく見つけ、大声でハリーを呼んだのだ(腹が立つ)。
 その次男の声を聞いたハリーは大いに混乱した。大好きなあの子がボクの名前を確かに呼んでいる! どこからかはわからないけれど、あの子がボクを必要としている! どこ!? どこなの!?……このようなハリーの内なる叫びが、私の握るリードにすべて反映されている様をご想像下さい。再び、魔の引っ張り回し事件の発生であります。
 ハリーは激しく狼狽し、せわしなく動き回って次男を探した後、今度は首を伸ばして全身を緊張させ、ピタリと動きを止めた。肩甲骨の真ん中あたりの毛が、逆立っている。まずい、これはもしや警戒モードなのか!? まさかハリーは次男が危険な状態にあると認識しているのか!? ハリーはそのうち、ヒーヒーと鳴き声をあげはじめ、落ち着かない様子で急いで前に進み始めた。私は必死になってリードを握り、ハリーの動きを制していた。そんな状況も知らず、次男はのんきに「ハリ~、ハリ~」と叫び続ける。オイッ、やめろっ! と次男にジェスチャーを送るも、次男は一切気づかない。アイツ! ああ、腹が立つ!!
 24131586_10154918960236594_397403128235649062_n (1)
 そして、こんな時に必ずひょっこり現れるのが、園芸場の軽トラおじさんである。この日も、なぜこのタイミングなのかというその時に、ハリーの動きを必死に制している私の方向にむかって、時速2キロぐらいで走ってくる白い軽トラが見えた。ああ、こんな時に、またあの犬好きのおじさんが来てしまった! 自分の不運を呪いたかった。
 このおじさんは、小学校近くの園芸場経営者で、毎朝、軽トラをゆっくりゆっくりと走らせている。無類の犬好きで、ハリーのことを大変気に入っている様子だ。ハリーと出会う度に、わざわざ軽トラを停め、窓を開け、意味ありげな笑みを浮かべながら、「ラブやな」とか「オスやったか?」とか、「その犬、おっちゃんにくれ」などなど私に言う。普段はにこやかに相手をしているわけだが、今は無理! おっちゃん空気読んでくれ、頼む! しかし、おじさんはやっぱり軽トラを停めて窓を開け、タバコに火をつけつつ、私にこう言った。

 「力、めっちゃ強いな」

  知っとるわい! 見ればわかるやろ!

  ハァハァと呼吸しつつ、「そっ、そうですね」と答えたが、その最中もハリーは次男を探して、ものすごい怪力で私を引っ張り回していた。ハリーはとにかく必死に家に戻ろうとしているようだった。たぶん、次男は家にいて、早く帰ってこいと呼んでいるとでも解釈したのだろう。とりあえず小学校から離れなければならないと、リードのテンションを緩めず、ハリーに引きずられないように全力で制御しながら前に進んだ。私の姿に殺気を感じたか、次男はサッシを閉めて、教室に戻ったようだった。
 それから数分、ハリーの馬鹿力と全力で格闘し、人のいない川沿いに着いたところで、爆発した。もう限界だった。体力的にも限界、精神的にも限界だ! 腹が立って腹が立ってどうにも自分を抑えられず、ハリーに向かって「勝手にしろ!」と叫び、リードを地面に叩きつけた。
 するとハリーは、そんな私を驚きの表情で見つめ、動きをピタリと止めた。まるで、「エッ!?」とでも言いたげな顔だ。予想外なハリーの反応に、思わず「ハッ!?」と、声が出た。それから、私とハリーの間で、「エッ?」と「ハッ?」の応酬が繰り広げられ、一人と一匹がお互いの意図を読めずに見つめ合うこととなった。仕方なく私はリードを拾い、ハリーは少し前のことなど覚えていないかのように、普通に歩き出したというわけだ。
 後から気づいたことだけれど、どうもハリーは、私がリードを握った時のみ、前に進むことができると思っているようだ。だからこの時も、私がリードを手放した瞬間に動きを止め、早くリードを持ってくれと促したのかもしれない。
 帰宅した次男には、ハリーを呼んじゃダメだと釘を刺したが、いやはや、まだまだ気を抜くことなんてできない。自分は猛獣使いであると思って、これからも訓練に励むしかない。

24232797_10154918960241594_1327039091649198942_n (2)

 

この連載は月2更新でお届けします。
次回2018年1月15日(月)掲載