犬(きみ)がいるから 村井理子

2017.9.30

09怪力VS秘密兵器

 今月に入って流血事件が二度発生した(二度とも私に)。たいした傷を負ったわけではないが、顔から流血してしまった。大型犬愛好家のみなさまからは、「悪いのは犬ではありません。人間です。飼い主です」と叱られるだろう。その通りであって、うなだれて、小さく「ワン」としか答えられない私だ。
 最近、私に対する愛情がますますレベルアップしているハリーは、ことあるごとにプレゼントを運んでくるようになった。それは、ガムであったり、テニスボールだったりする。私が仕事の合間に寝転んで本やマンガを読んでいると、そんなプレゼントを運んできては、私の顔の横に置く(落とす)ようになった。そんな時のハリーは妙にうれしそうで、私も「ありがとう」と応じていた。しかし、そのプレゼントが小さなオモチャやボールの場合は問題ないのだが、巨大な牛骨となると話は別である。
 先日のことだ。昼寝をしていたら、口元に衝撃が走った。ガツッとなにかが落ちてきたのだ。目を覚ますと同時に悶絶した。思わず口元を押さえる。ハリーはしっぽをブンブン振りながら、ハッハッハッと息も荒く大喜びしていた。まるで、「ほら、食えよ!」と言っているかのようだった。枕元に転がったものを老眼が進んだ目で確認すると、やっぱり牛骨だ。きつく叱るわけにもいかず(それでも叱ったけれど)、鏡で傷を確認した。唇の裏が少しだけ切れ、出血していた。思わずため息が出たが、相手は善意の塊のような子犬だ。致し方あるまい。

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 そしてそれからしばらくした日のことだった。お座りの練習をしていた時だ。私の目をしっかりと見つめ、きちんと指示に従うようになってきたハリー。その日も、落ち着いている時を見計らって、簡単な訓練をしていた。とにかくハリーは、優秀な時は、大変優秀な犬だ。あまりにも素直に私の指示を聞くのでうれしくなって、思わずハリーの目の前に座り、「すごいね!」と、明るく話しかけた。するとハリーは目をまん丸にして、しっぽをブンブンと勢いよく振りはじめ、ハッハッハッと興奮したかと思うと、直後、私の顔めがけて勢いよく飛んできた。大喜びのハリーの、巨大な頭が激突したのは私の鼻だった。ドーンと後ろに倒された私は、再び悶絶。悶絶していると「遊びに誘われている」となぜかプラス思考になるハリーは、大喜びで興奮して、もうどうにもならない。トンカチみたいな威力のある前足で踏まれまくり、大声を出し制して、やっとのことで抜け出した。再び、鏡で顔を確認した。鼻に歯形がついておる……。
 夏祭り乱入事件、牛骨落下事件、そして頭突き事件……。すべて軽症で終わってはいるが、やはりこのままではいけない。ハリーは日増しに力強くなっている。琵琶湖から枝をくわえて岸に戻る姿は「上陸」に近いものがある。バシャバシャというよりは、ザブンザブンだ。走る姿は弾丸のようで、ついたあだ名は「魚雷」だ。やはり、私たち家族の力だけでは、どうにもならないのではないか。プロに教えを請うべき時が来たのだ。
 ということで、私は犬の訓練施設の情報をまとめはじめた。私が住んでいる地域は田舎だということもあり、ドッグランや犬の訓練学校が何カ所かある。その中のひとつが、実はわが家から車で数分の距離にあり、ママ友の家のお隣さんなのだ! ヨシ、決めた! と決意したものの、やっぱりアレよね、さすがに引っ張り癖はある程度は抑えておかないと恥ずかしいわよね……と考え、別のママ友に教えてもらった引っ張り防止効果のあるハーネスを購入してみたのだ。そしておもむろにハリーに装着してみた。
 ……まるで魔法だった。ハリーがリードを持つ私を、一切引っ張らなくなったのだ! ハーネスに力が加えられると、その力の反対方向に引っ張るという犬の習性を利用した構造で、とにかく見事な効果を発揮した。うそ、うそみたい……感動しながら歩いた。これこれ、これですよ、犬の散歩ってのは! 感激のあまり、そのまましばらく歩き続け、私は久しぶりに晴れ晴れとした気持ちで散歩を楽しんだ。ハリーは何度も私の顔を見上げていた。「ほら、ゆっくり歩くって楽しいでしょ?」と、私は思わずハリーに話しかけた。
 さて、翌朝のことだ。私はなんの疑いも不安もなく、ハリーに新しいハーネスを装着し、散歩に出た。いつもであれば、琵琶湖近くの駐車場まで車でハリーを連れて行き、一緒に歩く距離を最短にしていたのだが、もう大丈夫。私には新しいハーネスがあるから! その日は、車で移動せずに自宅から歩いて琵琶湖に向かうことにした。道中、ハリーが私を引っ張ることは一切なかった。もう大丈夫だ。これからはハリーとの散歩を、こうやってゆっくりと楽しむことができると、私はしあわせを噛みしめた。
 いつもの浜に到着し、いつものようにハリーのお気に入りの遊びをはじめた。私が枝を投げ、ハリーが爆走してそれを回収してくる。琵琶湖に飛び込み、浜を激走し、ハリーは毎朝一時間ほどたっぷりと運動をする。ここ半年ほどの、私とハリーのこの日課は、これから先、ずっとずっと楽になるはずだと、私は本当に、本当にしあわせな気持ちでいたのだ。

 で、でも……。ドドドと走るハリーの姿を見て、違和感を抱いた。不吉な予感がした。そして、ハッと気づいて、血の気が引いた。

 ハーネスが外れてね? いつの間にかハーネスがどっかに行ってしまってね? アッ、ハーネスがなくなってる!! ギャアアアアアアアアア!!!!(つづく)

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この連載は月2更新でお届けします。
次回2017年10月15日(日)掲載