おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2015.9.1

09おさるのジョージおじさん

 ハイボールとオリーブ漬け[Barしゃるまん・鎌倉]

 

 

 都内からの終電車で鎌倉駅を降りると、雨がパラパラと落ちてきた。散々呑んだのに、仕上げの一杯を、と思ってしまうのが飲兵衛の性。濡れるのも気にせず、帰路と反対の小町通りへと向かった。
 24時を回り、どこもかしこもシャッターが下りて薄暗い。その先に、ほの白い灯りがチカチカと点滅している。深夜2時まで営業の「Barしゃるまん」。女友だちに連れてきてもらって以来、バーにありがちな敷居の高さを感じさせない風通しのよさが気に入っていた。
 階段の途中で笑い声が漏れ聞こえる。扉を開けると、白い肘掛けのあるカウンター席に3人。30代前半かな、のTシャツ男子2人がショートカットの似合う女の子を挟んで座っていた。女の子はタンクトップから色白の肩をのぞかせている。
「お。ヤマダさん、いらっしゃーい」

 3人と談笑していたジョージさんが、白い歯を見せて迎えてくれた。生まれも育ちも鎌倉のジョージさん。少年の頃からサーフィンが好きで、50代半ばを越えたいまもいい波が立っていると知れば、バイクを飛ばして七里ヶ浜で波に乗る。夏の太陽を浴びて一段と陽に焼けた肌に白いボタンダウンがよく似合う。
 バックバーにはアイラ島のシングルモルトやメキシコのラムなど、洋酒に疎い私には到底覚えられないマニアックな酒瓶がずらりと並び、光のなかに浮かびあがっている。ほのかに麝香(じゃこう)の香りがゆらめく。

「どうぞ」
 熱いおしぼりで両手を包むと火照りが落ち着く。気持ちいい。
「ハイボール、ください。それとオリーブも」
 カウンターの大きなガラス瓶に大粒のグリーンオリーブが漬かっている。タカの爪のピリリとした辛みがスピリッツ系の酒に合う。
 冷凍庫でキンキンに冷やした角瓶を、やはりキンキンに冷やしたグラスに注ぎ、冷たい炭酸を一気に注ぐ。氷は入れない。しゃるまん流ハイボールだ。 
 強いウイスキーと炭酸が喉の奥を流れ落ちていく。ねっとりとした夏の湿気が拭われる。
 ジョージさんはバックカウンターの棚からレコードを一枚取り出し、ケースから盤を抜くと、シューッ、スプレーをかけた。
「それ、なんすか?」
 マリンブルーのTシャツを着た男子が聞いている。
「レコードにとって静電気は大敵。ホコリが盤に溜まってノイズの原因にもなるし、針を痛めることにもなる。このスプレーは静電気の発生を防止してくれるんだ。レコードを聴くときは必須だね」
 針を落とすと、マイケル・フランクスの涼しげな歌声が流れ出た。私も好きなAORの名手。海街鎌倉で聴くと、いっそう魅力的に響く。同時に、しゃるまんらしい親密な空気に包まれた。

 東京に住んでいた頃、外で酒を呑むときは、仕事も人間関係も、自分を取り巻くものから切り離されていたいと思っていた。でも、いまは少し違う。「お住まいは?」から始まり、「新しくできたあの店、うまいらしいよ」とか地元の情報交換をするのが楽しい。そう感じるようになったのは、ジョージさんがきっかけだった。隣り合わせた客同士をつなげるのがうまい。お互いの共通点を引き出してくれたり、この人はこんなすごいところがあるんだよ、とさらり紹介してくれたり。
 かと思えば、ジョージさんが私を「フードライター」と紹介し、「風俗ライター」と聞き間違えたおじさんにあらぬ興味を持たれたこともあった。
 そんなハプニングも笑ってネタにしてしまえるのは、好奇心旺盛で聞き上手の彼のひととなりによるところが大きい。丸顔に、クルクルとよく動く大きな瞳。年長者に失礼だけれど、愛嬌があって何かに似ているといつも思う。

 ハイボールを飲み干し、ジンをお願いする。「今日、入荷したんだけど、サフランのフレーバーを移した珍しいジンがあるよ」。言って、ボトルを見せてくれる。ジンといえば無色透明だとばかり思っていたが、琥珀色に染まって美しい。それをいただこう。ひと口含むと、エキゾチックな香辛料の風味が鼻に抜け、湿度の高い夜に心地よい。
「今日はサーフィンしたんですか」
「波がなかったから自宅でトレーニングをしたよ。腕立てを108回と動的ストレッチ」
「そういえば、ジョージさん引き締まりましたね」
「わかる? 6キロ落ちて動きが俊敏になった気がする」
 おなかを触りながら嬉しそうだ。ついこの間までサーフィンでテイクオフ(ボードに立つ瞬間)するときに、突き出たおなかが邪魔なんだよね、と鈍い顔をしていたのに。

 可笑しくて笑いを堪えていると、タイミングよく3人組から声がかかった。オーディオについて質問され、ジョージさんが熱心に語っている。もっといい音を鳴らしたいからと、近くシステムを入れ替えるそうだ。いまでも、タワー型の重厚なスピーカーが、絞った音量でも驚くほどクリアな音を響かせている。音響は上を目指したらキリがないのだろう。
 ジョージさんは凝り性ではあるけれど、おじさん世代にありがちなマニアックすぎてわからない話を延々するタイプではない。写真を撮ったり、花を愛でたり、料理も好きな趣味人。そんな話を対等にできるのは、ミーハー的な軟派さを私同様に、ジョージさんが持ち合わせているからではないだろうか。

「今日は友人と餃子を食べたんですよ。仲直りの餃子」
 仕事の帰り? 聞かれてそう答えた。へえ。小首を傾げ、興味津々なジョージさんに事情を説明すると、「ケンカができる友人って貴重だね。いい関係じゃない」とクリクリの瞳を輝かせた。
 あ!
 心の中で私はひとり腑に落ちた。
 おじさんだけど、少年のような愛嬌が時折顔を覗かせるジョージさん。何かに似ているとずっと思っていたけれど、それがなんだかようやくわかった。
 子どもの頃、夢中になって読んだ絵本の主人公、おさるのジョージだ。
 好奇心旺盛で、なんでも自分でさわってみて、やってみないと気が済まない知りたがりの子ども猿。
 ジョージさんは自分でも「こんばんは。おさるのジョージです」などとおどけてみたりするけれど、いろんなことに興味を持って挑戦して楽しんでいる姿はおさるのジョージそのものだ。子猿のほうは、好奇心のままに手を出して失敗したり、ひと騒動を起こしたりするけれど、大人のジョージさんはその持ち味をバーの個性に変えて、客を楽しませてくれている。
 地元の人が集うバーだ。噂話も秘め事もあるだろう。大人ジョージはたとえ耳にしても、何事もなかったようにフラットに振る舞ってくれる。それでこそプロのバーテンダーというもの。
 でも、クールなだけでは「しゃるまん」らしくない。オリーブ抜きのマティーニがどこか味気ないように、やっぱり、おさるのジョージがこの店には必要なのだ。

Barしゃるまん

神奈川県鎌倉市小町2-9-3
電話:0467(23)1010
営業:19:00〜翌2:00 木休

鎌倉で40年以上続く老舗バー。初代のママが、「魅力的な」という意味を持つフランス語「しゃるまん」の響きが気に入ったのが店名の由来。現在は、サーフィンと音楽をこよなく愛するジョージさんが爽やかに迎えてくれる。アナログレコードとハイクオリティな音響設備で、いつも心地よいグッドミュージックが流れる。マニアックなシングルモルトやウイスキー、ラム、ワインなどをたしなみながら、大人な時間に酔いしれたい。

 

 

(第9回・了)

 

この連載は月1でお届けします。
次回2015年10月7日(水)掲載