猫と詩人 佐々木幹郎

2018.12.5

06足音は風


 驚くほどの静けさで、外から帰って来たミーちゃんはリビングルームを通りすぎる。挨拶くらいしろよ、とわたしは椅子に坐ったまま手を伸ばして、彼女の尻尾をつかむ。猫にしては珍しいことに、ツイラク・ミーちゃんは尻尾をつかまれてもあまり嫌がらない。普通はギャッと声を挙げて嫌がるものなのに。
 だからときどきわたしは尻尾を摑んだまま、彼女の行く方角とは逆さまにひっぱり、綱引きみたいにして遊ぶ。二、三回ひっぱるとさすがに嫌がって、わたしの手を噛みにくる。
 ツイラク・ミーちゃんの足音が聞こえるのは、わたしのベッドに長く寝ていて、ふいに起きて、床に飛び下りるときだ。トンッ、という足音がする。そこからわたしがパソコンに向かっている椅子の近くまでやってきて、ボンヤリ四つ足で立っている。眠そうな眼をしたまま、何をしたいのか、なにが希望なのか、まだはっきり自分自身で判断できないようだ。前を見て、後ろを見て、斜め横を見て、近くに積み上げてある本の角などに頬をこすりつけて、まだボンヤリしている。それからわたしの顔を見て、ミャ、ミャ、と小さく二度鳴く。オナカが減った、と言っている場合もあるし、ただただ、寂しいから撫ぜて欲しい、と言っているときもある。

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 この猫はすべてにおいて行動がゆっくりしていて、臆病で、優柔不断である。小さいときからミーちゃんはそうだった。
 都会では臆病な猫ほど長生きする、ということを知ったのは、三十年ほど前、わたしが隅田川左岸の永代橋の近く、深川に住んでいるときだった。深川には狭い路地が多く、昔からの穀物倉庫や魚屋さんや畳屋さんなどが軒を並べている。その頃は長屋もたくさんあって、玄関はたいてい開けっ放し。夜も玄関に鍵をかける習慣があまりなかった。路地を通ると、その家が何を職業にしているかが、すぐにわかった。家の中で、一日中、紙の箱を組み立てて菓子箱を作っていたり、指物師やブリキ職人が仕事をしていたり、散歩するだけで楽しかった。ニンゲンにも楽しいのだから、野良猫にとっても楽しいはずである。路地には、たくさんの野良猫がいた。魚屋の前では、いつも何匹も猫がうずくまっていた。
 わたしの深川時代で一番印象に残っているのは、生まれてようやく歩きだしたばかりの子猫が、次々と死ぬ事態に何度も出会ったことだった。いったい何匹の子猫の死体を、運河の近くの公園に埋めたことだろう。
 雌猫たちは、一年に三度くらい、お産をした。そのたびに数匹が生まれるが、そのうちの生き残るのはほとんど一匹。もっとも精悍で、勇敢で、元気いっぱいの子猫から、順番に死ぬのである。
 死ぬ時間帯まで決まっていて、たいてい夜十時頃から午前二時までの間だった。倉庫街の道路を昼間はひっきりなしに車が走っているが、夜になると、車の往来は途絶える。人通りもなくなる。それを見計らって、昼間はひっそりと路地裏で寝ていた猫たちが、道路の真ん中に飛び出してくる。誰もいないので、道路は猫たちの天下になる。数匹の子猫たちが寝そべったり、夢中で走り回っているそんなとき、道路を猛スピードの車が通り抜けると、猫たちは逃げることができない。元気な猫ほど、そのとき轢かれてしまうのだ。
 夜中にギャア! という叫び声が聞こえ、車の急ブレーキの音がして、やがて車の走り去る音がする。わたしはそのたびに、家を飛び出した。わたしにようやくなつきだした子猫が、道路の真ん中で死んでいる。それを、そっとスコップの上に載せて、公園まで運ぶのである。死体を運び、土を掘るための大きなスコップまで買ったのだった。
 臆病で優柔不断な子猫は、車の通りが少なくなったときでも、道路の真ん中に出てこない。路地の隅にいる。だから、生き延びることができるのだ。
 郊外に住んでいる猫は、精悍で勇敢な猫ほど長く生き、都会ではその反対で、臆病な猫ほど長生きする、というのは、都会がイキモノにとっていかに危険かを示している。わたしたちニンゲンの世界を、透かし見るような気がする。
 大森の住宅街でも、ミーちゃんの兄、勇敢だったノリが先に死んでしまった。子猫のとき、塀の上で怯えて道路に墜落してしまうような、臆病なツイラク・ミーちゃんは、いまも元気だ。
 ボンヤリしていて、いいんだよ、ミーちゃん。風のように歩いて、空気のようにわたしのそばにいて、長生きしておくれ。

 

(第6回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年12月20日(木)掲載