入ってすぐに各種ケーキの並べられたショーケース、壁にはなんだったかいわくがあった女性を描いた東郷青児の絵がかかっていた。ちなみに、ケーキの包装紙も確か東郷青児だったと思う。
 ショーケースの奥には狭い厨房があり、右側にボックスの客席がいくつか並び、そのまた奥の細長い部分には、電車の車両のように両側に4人がけのソファが並び、右側の一番奥は、スペースの都合でソファひとつの2人がけ席だった。
 ここが、ぼくの指定席だった。
 昔から、ぼくはここに座っていたのだ。

 

 ぼくの学生時代に、この店はもう充分に古かった。外観も古かったが、コンセプトも古かった。既にフルーツパーラーなんて流行るようなものではなかったのだ。客の姿は昔からまばらで、その分、静かに読書したり書き物したりという人たちにはぴったりだった。彼らやぼくにとって、コーヒーが泥水であることなんて、大したことではなかったのだ。
 床も壁も年輪を重ね、博物館で見るような照明器具も黄色く淡い光も、バネの飛び出そうなソファの濃い紫も、気持ちを落ち着けて仕事に集中させてくれた。
 どのくらいこの店が古いのかというと、現在確かアラフィフくらいのぼくの元の妻の母親が若いころにこの店でバイトをしていた。いやつまりアラフィフなのは母親ではなくて元妻の方である。だから母親はたぶん70歳を軽く越えているはずだ。そのくらいの年季の入りっぷりなのだ。

 

 なにを飲んでも食べても美味しくないといったが、ひとつだけ美味しいものもあった。それは、玉子サンドだ。
 軽く焼いた玉子が、パサパサの薄いパンに挟んであるだけなのだが、それが妙に美味しくて、ぼくはよくここで玉子サンドを食べていた。泥水コーヒーに玉子サンドが、ぼくの定番軽食だったのだ。元妻の家では、サンドイッチといえば、ここで母親が覚えたこの味だったそうである。どこの家にも歴史があるのである。

 

 学生時代には、そう日参していたわけではなかった。ほかに毎日必ずいく店もあったし、仕送りも少なかったので、喫茶店代といえども頻繁にいっていては家計を圧迫するのだ。
 漫画家になって、吉祥寺内であちこち仕事場を引っ越したが、ここ十数年は比較的その店に近いところに構えたので、必然的にその店で仕事をしたり打ち合わせをしたり女の子と話したりというケースが増えてきた。
 ノートと資料を抱えてペパーミントグリーンの店のドアを開け、ウェイトレスに軽く会釈をして店の奥に向かう。いつもの席に着くためだ。たまに先客がいる時などは、権利を侵害されたように腹立たしかったものだ。仕方なく隣のテーブルにノートを広げて書き物をしていて、隣のその席の客が帰ると、ウェイトレスがこちらを見てこくりと頷くので、そそくさといつもの席に移る。そこは、ぼくの席なのだ。
 ウェイトレスと書いたが、決して若いわけではない。何人か出入りはあったが、不変なのはひとりのご婦人であった。
 はっきりいえば、妙齢をかなり過ぎたオバサンである。髪型は基本的にショートカットなのだが、ドサ回りの劇団で二枚目がかぶる現代劇のカツラのようである。襟足だけが妙に長い。化粧も目張りのきつい舞台化粧である。きっと何十年か前には男を泣かせていたのではないかと思う。

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