作家 井出孫六氏推薦!
朝鮮戦争特需で戦後復興のきっかけをつかんだ日本企業は、理工系の学生を積極的に採用する時期に入っていた。宇井純も日本ゼオンに入社したものの、数年で大学院に舞い戻り、富田八郎の筆名で水俣病調査報告を書き始める。それはレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が翻訳紹介される前後のこと、日本における反公害運動に画期となる仕事だった。本来ならば、富田八郎の水俣病調査報告は学問の領域で正当な評価が下されるべきものなのだが、逆に宇井純を二十年間、都市工学科助手の位置に閉じ込め、“万年助手”のレッテルを貼る結果となった。しかし、彼は東大の教室を利用して十五年間にわたって公開自主講座を続けた。その記録は、いつの日か再び読み返されるにちがいない。 〈帯より〉