大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2021.9.14

15カレーの元祖が大阪に多いのはなぜ?

 

ここ数年、巷で静かに盛り上がっているスパイスカレーは大阪発祥だという。特にスパイス料理が盛んな印象もないかの地で、なぜ生まれたのかを探ってみる。

 

 『dancyu』(プレジデント社)が、毎年恒例のカレー特集で2018年「スパイスカレー 新・国民食宣言」を出したあたりから、流行が本格化したスパイスカレー。それは市販のルウや小麦粉を使わず、何種類ものスパイスを組み合わせてつくるカレーのことだ。スパイスカレー店が東京に増え、レシピ本が続々と刊行され、スパイスカレー店を訪ねこだわりを聞くテレビ番組『スパイストラベラー』(BS-フジ)まで登場している。
 スパイスカレーは、小麦粉を使わないせいか重たくなく、スパイスの複雑な香りと味につられてどんどん食べられる。そしてご飯にぴったり。国民食のルウのカレーでは刺激が足りない人、インド料理店のカレーを重く感じる人、ナンよりご飯を合わせるほうが安心する人が食べるにはぴったり。
 また、多彩な組み合わせを試せる、作り手にとっての魅力も大きい。魚の出汁を使う、和食材や中華調味料をプラスするなんてアレンジもできる。自由度が高く研究の余地がたっぷりあり、スパイスカレー道を究めることも楽しそうだ。そんな「道」があるのか分からないが、巷の盛り上がりぶりを観ていると、ありそうな気がする。
 以前、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)や『日本外食全史』(亜紀書房)でも書いたが、スパイスカレーの発祥は大阪だ。1992年にミナミのアメリカ村で開業(現在は北浜)した「カシミール」が元祖。店主の後藤明人さんはもともとミュージシャン。『関西のスパイスカレーのつくりかた』(eoグルメ編集部、LLCインセクツ)によると、初期のEGO-WRAPPIN’のベースを務めていた。
 世紀をまたぐ頃から、大阪にはスパイスカレーの店が次々と誕生。音楽関係者が多いこと、間借りで開業した店が多いことにも特徴がある。「間借りカレー」は2019年頃からメディアの注目を集めるようになったが、居酒屋やバーなど夜だけ営業する飲食店を日中借り、ランチを出す営業形態である。
 副業で間借りとなると、初期投資が低く済み、売り上げが少なめでも暮らしていける。その分アグレッシブな料理を出すことが可能になる。斬新なカレーが続々と登場できたのは、そうした事情があったからだ。同書に紹介されているカレーをピックアップしてみよう。
 中津「梵平」の「白身魚とホウレン草の四川風スパイスカレー」は、スパイスとしてクミン、赤トウガラシ、シナモン、花椒、コリアンダー、ターメリック、一味唐辛子、コショウを使う。パクチーも入れる。中国のしびれる辛さの花椒が入っているところが、個性的だ。肥後橋「はらいそSparkle」の「酒粕の和風カレー」は、豚バラ肉、油揚げに野菜類が入る。使っている調味料が酒粕、七味唐辛子、塩、淡口醤油、酒で、カツオ節の出汁まで入っている。そこへ、クミン、クローブ、シナモンスティック、コリアンダー、レッドペッパー、ターメリック、とインドカレーの定番スパイスが加わっている。
 おわかりだろうか、この何でもあり感。しかし、そうした従来とは異なる食材や調味料を使い、なおかつスパイスの味と香りを際立たせおいしくしようと思えば、そうかんたんにベストな組み合わせ方が見つかるとも思えない。その追求がスパイスカレーの世界なのである。
 大阪でこうしたカレーが誕生したのは、平成不況がとりわけ厳しい地方の一つだったからと考えられる。何しろ、1995年の阪神淡路大震災の経済的ダメージを大阪も受けている。この頃から日本の不況は本格化した。厳しい時代を生き抜く知恵として、副業カレー、間借りカレーは誕生したと考えられる。
 関西人の面白がり精神も影響しているだろう。私もそうだが、関西で育つと日常会話が漫才になってしまう。自由度が高いカレーの追求は、そうした精神にぴったりでもある。
 また、インドカレーはいつの間にか、どこの駅前にもインド料理店がある、と言えるほど全国区になっている。スパイシーな味を食べ慣れた人たちが、好みのスパイシーさを追求し始めるのは、時間の問題だったのである。
 もう一つ興味深いのが、大阪にはカレーの元祖が多いという事実である。
 レトルトカレーを1968年に初めて売り出したのは、大阪市に本社を置く大塚食品。ルウを1963年に初めて本格的に売り出したハウス食品も、もとは大阪の会社。そして、国産カレー粉を1905年に初めて売り出したのも大阪の大和屋(現ハチ食品)。
 大阪でカレーの発祥が多い理由の一つは、大和屋の来歴にヒントがある。創業者の今村弥兵衛は道修町で薬種商を営んでいた。道修町は、豊臣秀吉の時代から薬種問屋が並ぶ街になったところ。現在は東京に本社を移転した会社が多いが、武田薬品工業、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)、田辺製薬(現田辺三菱製薬)など日本を代表する多くの製薬会社が、ここに本社を構えていた。
 大坂は江戸時代、経済の中心地だった。数々の商売が集約されていたのは当然と言える。そして、ここに挙げたいくつかの企業が今は東京に本社を置いていることからも、大阪経済の地盤沈下がうかがえる。
 大坂はまた、武士が人口の1割しかいなかったことから、自由闊達な雰囲気が育っていた。世界に先駆けてコメの先物商売が生まれるなど、新しい商売も生まれた。実は元祖が大阪なのはカレーだけではない。
 インスタントラーメンも、大阪の日清食品。プレハブ住宅の源流、庭に置ける勉強部屋「ミゼットハウス」を発売したのも大阪の大和ハウス工業。昭和の東京オリンピックに向け、街を清潔にすることに貢献した大型プラスチック製ゴミ箱を売り出したのも、大阪の積水化学工業。電球の二股ソケットから商売を始めた松下電器産業(現パナソニック)も大阪。リノベーションビジネスの草分けも、大阪のアートアンドクラフト。
 生活に関わる商売の始まりが、大阪には多い。常識に縛られず何が楽しいのか、何が便利なのか、真剣に考えている人が多い土地柄なのではないか、と思うのは、関西人の身びいきだろうか。

(第15回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2021年11月に更新予定