大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2022.7.14

20長崎に和菓子屋が多いのはなぜか?

 

カステラや洋菓子のイメージが強い長崎だが、街を歩いてみれば、和菓子屋が非常に多いことに気がつく。そこにはどんな理由があるのだろう。


 私が修学旅行のリベンジ(前回)で行った長崎市で、気になったのが和菓子店の多さだった。長崎と言えば、小倉まで通じて本州へつなぐ長崎街道、「シュガーロード」の出発点で、カステラなどの西洋菓子の入り口だった。長崎港に入った輸入品の砂糖は、シュガーロードを通って本州へ運ばれ、街道沿いの町では、いくつもの銘菓が誕生している。砂
糖が潤沢に手に入った長崎で、実は和菓子も発達していたのか? 何しろ中心部を歩くと、何なら、1区画に1店あるんじゃないか、と思われるほどひんぱんに和菓子店に遭遇したのだ。
 記憶を確かめるため、グーグルマップで「長崎市 和菓子屋さん」(なぜか「さん」をつけたほうがたくさん出てくる)と検索してみると、路面電車の線路周辺に16店も並んでいる。最も集中しているのはめがね橋駅と市民会館駅の間で、徒歩でも行ける2駅の間に、中島川を挟んで4店もある。長崎市の人口は今年7月1日時点で約40万人。その規模の割に多いだろう、和菓子屋。私がこれまで自転車を使い、動き回った東京23区内西側エリアには、和菓子屋がゼロまたはチェーン店1店のみの町がいくつもあったというのに。それとも古い町ではこのぐらい和
菓子屋があって当たり前なのか?
 そこで、和菓子屋が多いことで知られる他の都市も検索してみた。加賀百万石の金沢市は、駅ビルに8店も入っているものの、ここはデパ地下的な役割を果たしていると思われるので外すと、バスで動ける城の周りに10店になる。人口は約46万人。
 松平不昧公が茶の湯を盛んにした松江市は、駅ビルと一畑百貨店に合計5店あるほか、徒歩で歩ける市内は8店。人口は約20万人。地下鉄網が発達した名古屋市はさすがに多くて、中心部は城の南側の最大の繁華街、栄周辺だけで8店、地下鉄沿線では20店ある。うち百貨店内が1店ずつ合計4店、駅ビルに4店、郊外にも点在している。人口は約230万人。
 京都市はもちろん多くて、京都駅北側から上賀茂神社までのエリアに、地下鉄烏丸線を挟んで19店あるものの、今出川より北側が中心部と言えるのかどうか……観光客が多そうな四条周辺だと9店に減る。ただ、私は関西出身なのに京都のルールはあまりわかっていないので、もしかすると通はもっと広範囲に動いて和菓子を買うものだったり、市民は北側エリアを攻めるのかもしれないが……。人口は約145万人。
 いずれにせよ、茶道が盛んで和菓子店が多そうな都市は、規模の大小にかかわらず中心部には10店前後の和菓子屋があるのに対し、特に茶道が盛んでもなく和菓子で名を馳せてもこなかった小規模都市の長崎市に、16店もあるのだ。念のため、店の商品を確認したところ、4店はカステラ屋だったので、それを引いたとしても12店だ。なぜ長崎は、和菓子屋をもっとアピールしないのか?
 2016年の旅で持参した『たびまる 長崎』(昭文社)を、もう一度開いてみる。トップページの「食べたいランキング」5位以内にはもちろん和菓子は入っていない。「買いたいランキング」もスイーツはカステラと中国菓子のみ。各エリアの紹介にも、みやげリストにも、和菓子は中が空洞になっている「一口香」ぐらいしか紹介されていない。洋菓子は数点紹介されていた。
 もしかすると、長崎の和菓子屋は観光客向けではないから、ガイドブックの作り手も気づかないのかもしれない。観光客はカステラをどうぞ、市民は和菓子を食べます、ということなのだろうか。しかし、
長崎市出身の友人に聞くと、特に消費が多かったイメージはないようだ。念のため、2020年の総務省の家計調査も調べてみた。すると長崎市は36位と低い。やはり特に和菓子を多く食べるわけではないようだ。ちなみに、今回調べた都市では、最上位が金沢市で4位、松江市8位、京都市10位、名古屋市15位だった。
 長い間、海外への唯一の窓口だったうえ、第二次世界大戦では原爆も投下された。長崎には語ることがたくさんあり過ぎて、和菓子の存在が見えにくいのだろうか。何しろスイーツだけでも、カステラがあり、同じように南蛮貿易を通じて入ってきた、金平糖や有平糖などがある。江戸時代に唐人街、明治時代に中華街へと変わった中国人移民の町があって、伝わった中国菓子がある。中国から長崎へは、江戸時代前期に隠元禅師がインゲンマメやタケノコなどを持ち込んでいる。カステラほどインパクトがある菓子がない和菓子屋は、あえて語られなかったのか。
 砂糖も江戸時代に長崎へまず持ち込まれて広がった。当然、その砂糖はカステラ以外にも使われただろう。和菓子もそうして盛んに作られたと思われる。しかし、残念ながら私の調べた限り、長崎の和菓子の歴史を研究した論文はない。日本の砂糖史を書いた『砂糖の文化誌-日本人と砂糖-』(伊藤汎監修、八坂書房)には、江戸時代の砂糖や貿易につ
いても書かれているが、長崎で和菓子がどう発展したかを書いた章はない。誰も調べていないのか、それとも私が知らないだけなのか。
 いずれにせよ、長崎市民は砂糖が潤沢に手に入ったので甘いものが好き、と知られている。和菓子も日常的に食べ継がれてきたのではないか。短い旅の間に、和菓子をあれこれ食べる余裕はなかったが、再訪する機会があれば、今度はカステラではなく和菓子を食べ比べてみたい。

 

(第20回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2022年9月に更新予定