大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2020.2.28

03山形の食文化は、なぜ特別なのか?

 

山形には、地物の豊かな山の幸を売りにする名店があるという。
支店が東京にもあることを知って、出かけてみた。

 

 私が、農家が自ら種採りして育てる希少な在来作物に興味を持ったのは、2010年代の初め頃。在来野菜だけを販売するファーマーズマーケット「種市」に行ったこと、同じ頃にドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』を観たことがきっかけだった。
 在来野菜は、キュウリやナス、大根、カブなどたくさんの種類があり、スーパーに売られている一代限りのF1種と違って、味や香りがしっかりしている。形も味わいも、個性的で楽しい。ただし、調理にはコツが必要だ。
 この映画によると、山形県は在来野菜の宝庫で、それらの野菜の個性を引き出すイタリア料理店があるという。鶴岡市にあるその店、「アル・ケッチャーノ」の奥田政行シェフが、山形大学の江頭宏昌教授とともに生産者に会い、活用する様子が描かれていた。
 奥田シェフとその仕事については、テレビのドキュメンタリー番組などでも観た。映像で観る料理はどれもとてもおいしそうだが、鶴岡市にはなかなか行けない。すると先日、銀座の山形県のアンテナショップ「おいしい山形プラザ」に、奥田シェフの店「ヤマガタ サンダンデロ」があるのを見つけた。しかも予約シートに「今日、空席があります」、と書いてあるではないか。
 さっそくランチへ入ったが、予算がなかったので、山ヒジキのパスタだけでその日はおしまい。予告編みたいで不満が残ってしまい、この連載の担当編集Nさんにお願いして、フルコースを食べに再訪した。
 冬から早春にかけて、私には苦手な食材が多い。ウドとか白子とか牡蠣とかダメなのに、このコースにはそれらの食材が目白押しだ。
 牡蠣は昔2回もアタッたため、危険を避けようとNさんに差し上げたが、ほかは食べた。最初は匙に載った「つぶ貝とウドのタルタル」。口に運ぶと、ウド独特の味がつぶ貝のおかげでマイルドになっていた。「庄内浜からの寒鱈と白子のクリームスープ」は、クリームのおかげで白子のねっとり感が薄まっていた。苦手なものを食べられるようにしちゃうって、シェフの技すごい。ただ、山形野菜を感じるかと言えば、正直それほどのインパクトではなく、野菜に対する期待は大き過ぎたかもしれなかった。
 改めて山形の野菜に関する資料を漁る。奥田シェフが書いた『人と人をつなぐ料理』(新潮社)によると、庄内地方に在来野菜がたくさん残っているのは、「明治維新のとき、本土では最後の最後まで幕府側についていたので、明治以降はすべてのことに乗り遅れ、近代化に対して、「フタ」をされていたようなところがあります。ちょっと前まで陸の孤島と言われていたぐらい」だったから。
 その地元を盛り上げようと、奥田シェフは東京で修業した後、イタリアへは渡らずUターンした。そんな彼の「バイブル」が、『庄内の味』(伊藤珍太郎、庄内の味刊行会)という1974年に発行された本。日本海に面した庄内地方の野菜や魚の魅力を伝える同書には、その文化衰退を憂える要素もある。書かれた当時は、大量生産の波が野菜生産の現場にも押し寄せ、栽培が楽なF1種が隆盛した頃だった。危機感を持って書かれたのだと思う。時代を超えて同書に出合った奥田シェフは、生産者の高齢化もあって消滅の危機に至っていた、地元の食材の魅力を再発見することになったのだろう。
 庄内地方の酒田市には、1973年というとても早い時期に、地元産の食材を活かすフレンチ、「ル・ポットフー」がオープンしている。オーナーの佐藤久一は地元旧家の出身で、父親の命でレストランを開業した。佐藤は東京のレストランで働いた折、仕入れも学んでいた。その際に、改めて地元の食材の豊かさに思い至る。Uターンする際、職場の料理人たちを「酒田に行けば、日本一豊かな海の幸、山の幸に囲まれて、コックの仕事ができる」と口説いたのである。ル・ポットフーは、地元食材を活かす独自のフレンチとして有名になる。
 佐藤の人生を描いたノンフィクション『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫)によると、酒田市は江戸時代に北前船の寄港地であり、伝統芸能が盛んで料亭文化も栄えていた。だから東京から酒田に移って、仲間が抱いた「こんな寂しい人通りの少ない町」での集客の不安は、すぐに解消される。それどころか、店には地元の名士が集まり、わざわざ東京から訪れる客までいたのである。作家の山口瞳も常連客の1人だった。
 昭和初期の暮らしを取材した『聞き書 山形の食事』(農文協)を開いてみる。すると、目立つのは、庄内ではなく、山間部の置賜地方だった。ここは江戸時代、名君で知られた上杉鷹山の管理下にあった。飢饉を乗り越えた知恵を、周辺地域は置賜地方から学んだのである。しかし近代化に乗り遅れ、江戸時代からの知恵が受け継がれてきたことが、山形を特別な食の都にした。ある意味で、周回遅れのトップランナーだったのである。

(第3回・了)

 

本連載は、隔月で更新します。
次回、2020年4月17日(金)ごろ更新予定