大胆仮説! ケンミン食のなぜ 阿古真理

2021.3.5

09『日本外食全史』試し読み——「描かれたとんかつ」

 


 本連載「大胆仮説! ケンミン食のなぜ」の著者・阿古真理さんの新刊が
3月10日(水)に発売になります! タイトルは『日本外食全史』です。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

 江戸の昔から、日本人の胃袋と心を満たし、人と人のつながりを生み出してきた外食。高級フレンチから寿司、天ぷらからファミレス、カレー、中華、ラーメン、B級グルメにアジア飯……。

 高級から庶民派まで、より良いものを提供しようと切磋琢磨した料理人たちのドラマがあった。温かさと幸福を求めて美味しいものに並ぶ人も、何があっても絶えたことはなかった。

 個々のジャンル史をつぶさに見ていくと、一つの大きな共通する流れが見えてくる——コロナ禍によって変容を強いられる外食産業の希望のありかを、歴史にさぐる。


 そこで、この度『日本外食全史』の発売に先駆け、試し読みを全3回に渡って公開します! 試し読み第1回目は「描かれたとんかつ」。家庭料理にしろ、外食にしろ、すっかり馴染みのある料理になったとんかつ。今日のように定着する前、とんかつはどのように描かれ、語られてきたのだろうか……。

 

◆描かれたとんかつ

 豚のしょうが焼きが生まれた時期は、洋食が人気になった頃と重なる。当時ブームになった料理の一つがとんかつで、カレー、コロッケと並んで「三大洋食」と呼ばれた。今はとんかつを「洋食」と言うと、違和感があるかもしれない。何しろとんかつ屋は和風の店構えで、カウンターとテーブルのしつらえがある店も少なくないからだ。そして、ご飯と味噌汁がついて箸で食べる定食スタイルだ。とんかつは、いつの間に和食の仲間入りをしたのだろうか。時代を映す映画やエッセイから、とんかつの位置を確認しよう。
『小津安二郎の食卓』(貴田庄、ちくま文庫、二〇〇三年)によると、小津安二郎監督はとんかつが好物で、何度も作品にとんかつを登場させている。
 一九六二(昭和三七)年公開の遺作『秋刀魚の味』は、成人した子どもたちを持つサラリーマン、平山周平(笠智衆)一家を中心にした物語。長男の幸一(佐田啓二)が、妹の路子(岩下志麻)が好意を持つ三浦(吉田輝雄)に、結婚の可能性があるか探りを入れるため誘う店がとんかつ屋だ。客席は畳敷き。座敷の一部屋でビールを飲む二人。幸一は割箸でとんかつをほおばる。ここで、とんかつ屋はすでに和風になっている。
 その一〇年前に撮られた『お茶漬の味』は、佐竹茂吉(佐分利信)と妙子(木暮実千代)の夫婦を中心にした物語。茂吉が若い友人の岡田(鶴田浩二)ととんかつを食べに行く。茂吉の紹介で就職が決まった、と岡田がおごるのだ。
 同作で店内のシーンはないが、店についての情報から推測してみる。店名は豚の絵の看板を出す「カロリー軒」。天津丼もうまい、と岡田が言う。専門店ではなく、何でも出す大衆食堂的な店らしい。名前は戦前の洋食屋のようでもあり、とんかつの立ち位置がまだ和食、と定まっていない時代を思わせる。
 一九二三(大正一二)年生まれの池波正太郎の『むかしの味』(新潮文庫、一九八八年)には、「ポークカツレツ」と「ビーフカツレツ」が出てくる。前者は東京、後者は大阪の話である。まず前者。
「豚肉にコロモとパン粉をつけ、油で揚げたポークカツレツは、子供のころの私たちにとって最大の御馳走(ごちそう)だった」と始め、しばらく思い出を書いた後、時代背景を解説する。「豚肉をカツレツにすることが日本に流行したのは大正の関東大震災以後のことで、それまではビーフカツレツが主導権をにぎっていたようだ」。ここで紹介される店は、薄切り豚肉を何枚か重ねて叩いてから揚げる浅草の洋食屋「美登広(みとひろ)」、分厚い最上のロース肉をじっくり揚げる上野の「ぽん多」、からりと揚げる目黒の「とんき」と、いくつもあるが、郷愁を誘うのは煉瓦亭だという。ラードで揚げてあり、ナイフを入れて食べる。煉瓦亭は洋食屋である。
 替わってビーフカツレツ。難波新地の老舗洋食店「ABC」のものは、雌牛のヒレでレアに揚げてもらう。「つけ合わせの野菜ひとつにも、丹念な仕上げ」とあるから、添えてあるのは温野菜かもしれない。大阪のビフカツといえば、一九三七(昭和一二)年生まれの小林カツ代のエッセイにも確かあった。
『小林カツ代の「おいしい大阪」』(文春文庫、二〇〇八年)に載っていたのは、ビフカツサンドで、難波千日前の喫茶店「アメリカン」のものだった。「カツサンドいうても、分厚いトンカツがパンの間にはさまっているのとはちがいます。上等のビーフカツが、薄く上品に焼かれたトーストにはさんである、それは繊細なサンドイッチですの」とある。
『秘密のケンミンSHOW』では、神戸人はとんかつでなくビフカツを食べると紹介されていた。関西は肉と言えば牛肉で、関東は豚肉。その文化の違いもあるかもしれないが、池波正太郎のエッセイから類推すると、昔ながらのカツレツが関西には一部残っているということかもしれない。もちろん関西でもとんかつは食べられる。私の外食とんかつのデビューは、神戸だった。
 さらに古い情報を、再び内田百閒の『御馳走帖』「牛カツ豚カツ豆腐」から。「カツレツと云ふのはビーフカツレツで、当今の様なポークカツレツ、豚カツではない。大正始め頃の話で、豚肉が一般の食用になつたのはその後の事である」。御用聞きから家の者が受け取ると「ちよいと、その辺へ、少し離して置いて行つてくれと頼む。そこいらの外の物に触れれば、きたない様な気がした」とある。内田の子ども時代は一九世紀末、豚肉に不浄感を持たれていた時代である。
 明治になって人々はまず牛肉に飛びつき、豚肉は敬遠していたが、牛肉が品薄になった明治も終わり頃から豚肉に親しみだした。カツレツもそうした変化とともに、使う肉がビーフからポークへと移る。そしてその後、洋食屋から和風の専門店へと出される店が変わっていく。
 とんかつが和食化したのは、専門店からではないかと思われる。専門店が生まれた時期を、『とんかつの誕生』から読むと、どうやら三大洋食と呼ばれた昭和初期だ。『食道楽』一九三〇年一一月号に、「カツは上野か浅草か」という記事があって、「喜多八」「花鶴」「双魚」「蓬莱(ほうらい)」「楽天」「ポンチ軒」などのとんかつ屋が紹介されている。現存する老舗を調べると、元祖と言われる上野広小路「ぽん多本家」は一九〇五(明治三八)年だが、銀座「梅林」が一九二七(昭和二)年、上野「井泉」が一九三〇年創業、目黒とんきが一九三九年などとやはり昭和初期である。
 では次に、この料理の誕生の経緯を辿ってみよう。

(描かれたとんかつ・了)

次回の試し読みは「料理博覧会・ロイヤルの挑戦」。
更新は3月10日(水)です。お楽しみに!

 


 本連載「大胆仮説! ケンミン食のなぜ」の著者・阿古真理さんの新刊が
3月10日(水)に発売! タイトルは『日本外食全史』です。

阿古真理『日本外食全史』(本体価格 2,800円)
3月10日(水)発売

【目次】
■ はじめに
プロローグ 「食は関西にあり」。大阪・神戸うまいもの旅。

第一部 日本の外食文化はどう変わったか

第一章 ドラマに情報誌、メディアの力
■ 一 『包丁人味平』から『グランメゾン東京』まで。食を描く物語
■ 二 グルメ化に貢献したメディア

第二章 外食五〇年
■ 一 大阪万博とチェーン店
■ 二 バブル経済とイタ飯ブーム
■ 三 一億総グルメ時代

第三章 ローカルグルメのお楽しみ
■ 一 フードツーリズムの時代
■ 二 食の都、山形
■ 三 伊勢神宮のおひざ元で


第二部 外食はいつから始まり、どこへ向かうのか

第一章 和食と日本料理
■ 一 料亭文化の発展
■ 二 居酒屋の日本史
■ 三 食事処の発展
■ 四 江戸のファストフード

第二章 和食になった肉料理
■ 一 牛肉を受け入れるまで
■ 二 とんかつ誕生
■ 三 庶民の味になった鶏肉
■ 四 肉食のニッポン

第三章 私たちの洋食文化
■ 一 定番洋食の始まり
■ 二 ファミリーのレストラン
■ 三 西洋料理から洋食へ

第四章 シェフたちの西洋料理
■ 一 辻静雄という巨人
■ 二 グルメの要、フランス料理の世界
■ 三 浸透するイタリア料理

第五章 中国料理とアジア飯
■ 一 谷崎潤一郎の中国料理
■ 二 東京・中国料理物語
■ 三 ソウルフードになったラーメン
■ 四 ギョウザの秘密
■ 五 カレーとアジア飯

エピローグ コロナ時代の後に
■ あとがき