ゆるやかな性 来生優

2019.6.13

02「女」をやめたい


 中学校に入学すると、2 年目でクラス替えがあり、男女間のいざこざに巻き込まれた。「多感な時期の学生によくある話っぽいなあ」と、そのときはどこか冷静にみていた。「誰々先輩が好きみたいだよ」「先輩に好かれてるからって調子にのんなよ」まったく身に覚えがない話ばかりだったので、級友からの言葉もひたすら無視していた。そんなことを数ヶ月続けていたら、意図しない形でささいな感情が複雑に絡み合ってしまったのだろう。次第にクラスメイトからわたしに対するいじめはエスカレートしていった。体育の時間のグループ決めではいつも避けられ、朝登校すると廊下に机が置いてある。そんなことが日常茶飯事になり、だんだん学校に行く意味すら感じられなくなっていった。ばかばかしい。それから次第に不登校気味になり、家や図書館でひたすら本を読んだり、独学で勉強したりした。「女ってだけで、なんかもういろいろめんどくさい」「男から好かれなくたって、別にいいじゃん」同学年の女子たちが好きなアイドルや先輩の話で盛り上がる放課後も、いつもひとり部外者気分でそんなことを感じていた。
 ある日も学校に行かず、自宅で何気なくテレビを見ていると「3年B組」第6シリーズの再放送が放映中だった。上戸彩さん演じる直が自分の女性的な声を嫌い、喉にフォークを突き刺そうとする衝撃的なシーン。ただただ目が離せなくなった。よくよくその話をみていると、彼女は「性同一性障害」だと言う。インターネットで調べてみると、身体は女性でも、心は男性。身体と心の性が一致しない病気だという。そのときはよく理解できなかったが、性をめぐる違和が一概に「病気」と称されるむずがゆさを感じた。「じゃあ、小学生のときの親友、江藤くんも病気だったのだろうか……」「病気ってことは、治療しなければなおらないのだろうか」「その病気って、誰がどんなふうに決めて、いつなおるんだろう」と、もやもやしたことを覚えている。
 出席日数もギリギリだったが、なんとか中学校を卒業したわたしは無事、高校に進学した。聞いたこともない私立の女子校。まったく行く気がしなかったが、わたしの内申点で行ける高校はそこしかないというのだから仕方ない。ただ、男性がいないこと、またあの面倒くさい男女のいざこざに巻き込まれずに済みそうだという点では安心していた。ここから、ようやくだ。いままでの時間を取り戻すための3年間がはじまる。そんな予感がしていた。その高校というのは、女子バスケットボールの強豪校で、いわゆる「女子バス選手」の生徒は同性の女子生徒からもモテていた。実際に、バスケ選手の同級生も他クラスの女子生徒と付き合っていたし、憧れからはじまる恋心のような関係も多かったように思う。
 わたし自身、ショートカットでさっぱりした性格だったこともあってか、高校に入学すると同時になぜか女子にモテはじめた。同級生や先輩、下級生から手紙をもらったり、告白されたりすることが増えたが、まったく嫌な気はしなかった。実際に、女友達以上に付き合ったりするような子もいたし、そのまま普通の友達として仲良くしたりする子もいた。そんなわたしを見たクラスメイトは冗談で「生まれる性別、間違えてきたんじゃないの?」とよくからかってきた。無意識的に「女性的」な部分を隠すための言動が思わぬ方向に作用したのだろうかと、一瞬戶惑った。自分でも性自認が揺らぎ、「自分自身、女の子が好きなのか」「彼女といるときの居心地のよさはなんなのだろうか」「自分はいわゆる『性同一性障害』なのだろうか」……。そのときは平気な顔して笑い飛ばしたものの、内心、日々、揺れ動いていた。そんなことを下校中、思い切って親友に相談してみると、彼女は驚きもせず「別に男でも、女でも、大統領の子でも、あんたはあんたでしょ。“なんかそんな感じがする”って、ちょっと曖昧なときもあっていんじゃないの?」と言い放った。親にも、先生にも言えなかったのに、彼女の言葉を聞いて、なんだかゆるされた気がした。
 高校ではいじめもなく、楽しい3年間を過ごした。ただただ忌まわしい記憶が染み付いて離れない場所から逃れたい一新で、東京の大学への進学を目指して猛勉強した。「誰もわたしを知らない場所へ行ってみたい」という思いだけに支えられていた。当時の記憶がよみがえる場所に、これ以上自分をとどめておきたくない。猛勉強のかいあってか、東京の女子大学への進学が決まった。「もうここにいなくていいんだ」。これまでにないほど、泣いた。ここから開放される。そんな喜びのなかでも「かわいがり」と称した性的暴行を続けたあのひとへの怒りから開放されることはなかった。
 ほどなくして上京し、楽しい大学生活を送っていた。東京にきたからといって、女子大学に入学したからといって、その記憶が薄まることはなかった。大学の講義内でセクシュアルハラスメントや関連する話題が取り上げられれば、途端にあの日に引き戻される。あのひとに似た風貌のひととすれ違うだけで、びくびくして、身体がこれ以上前に進むのを妨げた。過去から完全に逃げ切れると思っていたわたしにまとわりついて離れない記憶と事実。ただそれだけなのに。ただそれだけが、わたしを苦しめた。幼少期のあの経験がふとした瞬間にフラッシュバックし、悪夢で深夜に目を覚ますことも少なくなかった。場所を変えても、まだどこにも救いを見い出せずにいたわたしが、のちに縁もゆかりもないある国に救われることになるとは、そのときはまだ思いもしなかった。


※WHO(=世界保健機関)の総会では、「性同一性障害」を「精神障害」の分類から除外することで合意しました。(2019年5月)

(第2回・了)

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日(木)掲載