ゆるやかな性 Heshe Ləəy

2019.9.2

07メイクと装い


 とある休日。ペーが近所の小学生に呼ばれているというので、同行させてもらうことにした。何やら大きなトートバッグを持っているぺーと自転車に乗り、移動すること約10分。ある一軒家の前で、女の子がこちらを向いて手を振っているのに気づいた。彼女は小学6年生で、サイちゃんといった。通された家の中は、タイの民族衣装が所狭しと並ぶ衣装部屋のようなところだった。
「じゃあ、はじめようか」。ペーがそう言うと、サイちゃんも床に座り、どうやら準備が整ったようだ。ペーが大きなトートバッグからごそごそと取り出したのは、メイクセット一式。開けると3段になるような、豪華なものだった。アイシャドウやチーク、マスカラ、ファンデーション……。たくさんのメイク道具でびっしりだった。
「今日のお祭りは何時からなの?」「好きな色や苦手な色はある?」「今日はどんな衣装を着ていくの?」……。ペーはサイちゃんに次々と質問をしていく。「ぺーさんの、そのアイシャドウみたいな色がいい」。どうやら、今晩の村のお祭りに参加するため、ペーにヘア&メイクセットをお願いしていたようだ。ペーは慣れた手付きで、次々とメイクを施していく。はじめはどことなく緊張に溢れていたサイちゃんの顔も、ほころんできた。ショートヘアで、どちらかというとボーイッシュなサイちゃん。この地域では、小学生のうちに髪を伸ばしたり、おしゃれをしたりすることはあまりよしとされていないという。今回のようなお祭りの場合は特別で、年に数回あるかないかの晴れ舞台だからこそ、ペーに頼んだのだ。「お母さんやおばあちゃんにお願いしてもよかったんだけど。ぺーさんはいまどきっていうか、おしゃれだし。わたしたちのお姉さんみたいな存在なの」。サイちゃんいわく、ペーは村でファッショニスタ的存在で、小学生たちに何かと頼られているそうだ。まんざらでもなさそうなペーは、嬉しそうに笑う。
「わたしが小学生の頃は、おしゃれやメイクをすること自体、あまり歓迎されてなくて。男の子だったからっていうのもあるけどね」。ペーは笑いながら、続ける。「だからこうやって、若い子たちの特別な日に立ち会えて嬉しいんだよね」。きっと自分が叶えられなかった青春を、サイちゃん越しに見ているのだろう。
 タイでは、一般的に「まっすぐな黒髪」「色白」が美人の条件とされているそうだ。タイで国民的人気を誇る女優さんたちもみな、そのような特徴をもちあわせていた。そうしたこともあり、ペーやサイちゃんはずっと髪を伸ばしたくて仕方なかったという。ペーの場合、生得的な性は男性だったから、なおさら苦悩が続いたという。「お母さんにバリカンで髪を刈られるのがほんとうにいやでね。小学生のときはいつも抵抗しては怒られてたなあ。当時の制服も、ずっとズボンだったし、自分を表現できるところがほとんどなくて……。はやく大人になって、自分の思い通りにしたかったの」。ペーはどことなく懐かしいような、悲しそうな表情をふと浮かべる。
 そんな話をしているうちに、鏡に映るサイちゃんは家の前で手を振っていた少女とは違う顔になっていた。あどけない表情から一変、凛とした美しさを秘めた表情。短い髪ながらも、きちんと整えられ、ヘアアクセサリーがつけられている。普段化粧をしたことがないサイちゃんは、まだ慣れないのだろう。照れるようにして、鏡の自分から目を逸らしている。その初々しい姿がかわいくて、ペーとわたしは見合って思わず笑ってしまった。メイクの次は、衣装だ。きらびやかで、少し長めの巻きスカートのようなタイの民族衣装。代々受け継がれてきたというその衣装は、長年丁寧に扱われてきたことがわかるほどきれいだった。日本でいう、着物のようなものなのだろう。
 ちょうど家にいたサイちゃんのお母さんやおばあちゃんも部屋に入ってきた。「本当にサイなの? まるで魔法にかけられたみたいね!」家族が嬉しそうにしている様子を目の当たりにしたサイちゃんは、まんざらでもなさそうだ。ここからは、おばあちゃんやお母さんも加わり、着付けをしていく。民族衣装とそれに似合うメイクという装いのサイちゃんに、初対面での面影を感じるのが難しいほどだった。お母さんがどこからかカメラを持ってきて、家族の記念撮影がはじまる。私はカメラを受け取り、撮影役を買って出た。「ヌーン、ソーン、サーン!(イチ、ニー、サン!)」カメラに収められた家族写真はどれも幸せな空気で溢れていた。
「サイー!」。撮影会が一段落したところで、玄関先から、数人の女の子たちの声が聞こえてきた。どうやらお迎えがきたようだ。「いま行くー!」。サイちゃんは元気よくこたえ、玄関へと急ぐ。「行ってらっしゃ〜い!」わたしたちが見送ると、はじけんばかりの笑顔で振り返った。「行ってきまーす!」。同級生たちに「かわいい〜」などと褒められながら、楽しそうに会場へ向かうその後姿が見えなくなるまで、ペーとわたしはただただその場から見守った。その後、夕日を眺めながら、わたしたちは歩きはじめた。「帰る前に、少しこの辺を散歩していこうか」とペーが言うので、メコン川沿いを歩くことにした。
「実はね、よく両親に隠れて化粧の練習してたんだよね、小学生の頃」。ペーからの思わぬカミングアウトに驚いた。だから、あんなにもメイクに慣れていたんだ。「隠れては、近所のお姉さんたちにもらったお古で、よくね。見つからないようにしながらだから、ドキドキするんだけど、その時間がなんとも楽しくて。普段の自分じゃない自分になれるような感じがしてね……」。ペーは、いつもの自分とは違うところへ導いてくれるようなメイクに魅力を感じていたのだろう。常にメイクや服装にこだわり、わたしが寝起きにだらしない格好をしていると、いつもふざけながら注意をしてくるほどだった。
「ペーは、服もおしゃれだよね」わたしがそう言うと、「このスカートも、ずっと履いてみたかったんだよね〜」と、嬉しそうに、自分が履いているスカートをひらひらとめくってみせた。働いたお金で、先日買ったばかりなのだという。その屈託のない笑みが、夕日にきらきらと照らされている。ペーのように、メイクや服装で救われるひとがいる。わたしも、ズボンを好んで履くことで、自分を自分たらしめてきた。まっさらな自分もいいけれど、装うことで表明できることもあるんだなあ。そんなことを考えながら歩いていると、少し前を歩くペーが振り返る。「そのTシャツ、やっぱりいいね」。ペーが指差したわたしのTシャツには、こう書かれていた。“take to the open road just to see where it takes you”――。まだまだわたしの知らない場所まで、タイは連れて行ってくれるのだろう。ペーをはじめ、タイでの出会いが、改めてそう感じさせてくれる。わたしたちは、ゆっくりとした足取りで川沿いを歩き続けた。


(第7回・了)

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次回2019年9月13
日(金)掲載