「いま」と出会い直すための精神分析講義 工藤顕太

2020.4.24

13思い出す、話す、立ち止まる——トラウマとしての現実界について(2)

 

 前回はフロイトの名高い症例「狼男」の見た夢を扱った。まずはあらためてポイントを整理しておこう。ラカンによると、フロイトはこの分析で、不安に駆られたように「現実界」を探究している。これは、パンケイエフが見た狼の夢の背後に、それに先立つ彼のトラウマ的経験を探り出そうとしている、ということだ。その経験というのは、患者がおそらくは1歳半の時に目撃してしまった、両親の性行為の場面である。フロイトはこれを「原場面(=原光景)」と名付けた。
 夢を見ることは思い出すことと等しい価値をもつ——これが前回焦点を当てたフロイトのテーゼだ。パンケイエフは、問題の場面を思い出す代わりに不穏な夢を見た。これを単純化すると、「現場面(トラウマ)⇒夢」という図式に置き換えることができる。ここにはさらに、童話などの印象的なエピソードも素材として盛り込まれている。フロイトは、そうした素材の出所をひとつひとつ特定しながら、うえの図式を逆向きに辿って、「夢⇒原場面」というルートを辛抱強く掘り下げてゆく(もちろん、この作業のすべては、パンケイエフ自身の自由連想にかかっている)。
 その結果、フロイトは様々な反論を想定しながらも、いうなれば状況証拠で外堀を埋めることで、原場面は実際に起こった事実なのだと主張する。パンケイエフは実際にそれを見てしまったに違いない、そうでなければ説明のつかないことが多すぎる、と。
 しかし、実はこれがフロイトの最終的な結論だったわけではない。フロイトがこの症例報告を書いたのは1914年のことだが、テクストには1917年から1918年に加筆された箇所がある。加筆部分は原書でおよそ7ページ近くになるから、これはちょっとした修正の類ではなく、それなりの重みをもった議論の続きとして受け止められるべきものだ。では、そこでは何が語られているのか。それはほかでもない、原場面の現実性についてである。
 フロイトはここで、パンケイエフが実際に両親の性行為を目撃した、という先の見解を修正している。曰く、「私の意図としては、原場面の現実的価値についての議論を、今回はnon liquet(証拠不十分)というかたちで終わらせておきたい」[1]、と。彼は、わずか数年のうちに、現場面が現実なのか、あるいは患者の想像の産物なのか、白黒つけられないと考えるようになっていた。つまり、原場面が外的現実に属するのかどうかはあくまでも非決定に留めておくしかない、というのだ。

***

 もちろん、フロイトは尻込みしてグレーゾーンに逃げ込んでしまったわけではなかった。むしろそれは、彼の分析と考察が深まった結果踏み込まれた一歩だったといってよい。この深化の内実については、1915年から1916年にかけて行われた『精神分析入門講義』から読み解くことができる。今回は、「症状形成の道」と題された第23回目の講義記録を読んでみよう。フロイトはそこで、原場面の現実性が精神分析の土台にかかわる本質的な論点であることを強調しつつ、次のように述べている。

ご存知のとおり、われわれは症状の分析をつうじて幼少期の体験を知ろうとしている。それは、そこにリビドーが固着し、症状を生じさせる体験である。ところが、驚くべきことに、こうした幼少期の場面はつねに真実であるわけでない。それどころか、大半の場合は真実ではないし、個人史上の真実に真っ向から反するものまである。この発見ほど、こうした結論に導かれた精神分析の信用を失墜させるもの、あるいは患者——彼が話すことの上に、精神分析と神経症の理解全体は築き上げられるのだ——への信用を失墜させるのにもってこいのものはない。[2]

 ここで言われている「幼少期の体験」というのは性的なトラウマのことであり、パンケイエフの原場面の目撃がまさにこれにあたることは見てとりやすい。精神分析が目指すのは、こうしたトラウマ的記憶を探り当て、それを患者の現在の言葉で話すことであったはずだ。ところが、このようにして語られる記憶の多くが、じつは改竄された、もっと言えば捏造された記憶だったとしたらどうか。これは精神分析の根幹を揺るがす事態である。患者の話がまったくのフィクションである可能性が出てきたとき、精神分析はその役目をすっかり終えることになるのだろうか。
 ことはそれほど単純ではない。
 フロイトは、患者が語る捏造された記憶に「幻想(Phantasie)」というタームをあてる。これは文字通り「ファンタジー」であって、フロイトの使い方からすると「空想」と訳したほうがしっくりくるかもしれない。いずれにせよ重要なのは、フロイトがこのタームを用いて、外的現実に根拠をもたない記憶の価値を精神分析独自の発想でとらえようとしている点だ。

こうした心的産物〔=幻想〕にもある種の現実性がある。というのも、患者がこうした幻想を作り出したということは事実であって、この事実は、患者の神経症にとって、この幻想の内容が実際に体験された場合に劣らないほど、意義のあるものだ。この幻想には、物的現実とは異なる心的現実がある。そして、神経症の世界においては心的現実こそが決定的である、ということをわれわれは次第に理解するようになる。[3]

「神経症の世界においては心的現実こそが決定的である」——これが、フロイトによる現実の再定義の根幹をなすアイデアだ。まずはわかりやすいところから確認していこう。うえの引用箇所でフロイトが「物的現実」と呼んでいるのは、私たちがここまで用いてきた区別でいうところの外的現実のことである。それでは、心的現実のほうは内的現実に、すなわちラカンのいう現実界に対応するのだろうか? この問いに答えるためには、もう少しフロイトの議論を追ってみなくてはならない。
 ところで、フロイトが「心的現実」というアイデアを生み出した背景には、精神分析の誕生にまで遡る重大問題があった。19世紀末、ヒステリーの治療に従事し始めたフロイトは、症状の原因を探っていくうちに、幼少期の性的経験の記憶がトラウマとなり、この記憶が抑圧されることでヒステリーの症状を生み出している、ということを発見した。問題は、この記憶の内容である。
 驚くべきことに、治療が進んでゆくことで患者(その多くが女性だった)が思い出し、語り出した記憶には、ある共通点があった。それは、患者が幼い頃に、周囲の大人(例えば実の父親)から性的な誘惑を受けた、というものだ。当初フロイトは、こうした患者の言葉を事実と考え、1895年前後にはいわゆる誘惑理論が確立される。これは文字通り、ヒステリーの病因は幼少期に受けた性的誘惑、つまり広い意味での性的虐待にある、という理論である。
 しかし、早くも1897年には、フロイトはこの理論を信頼できなくなり、途方にくれてしまう。というのも、ヒステリーの患者がみな性的虐待の被害者だとすると、あまりにも多くの性的倒錯(小児性愛や近親姦)がそこかしこで横行していることになる。当時のウィーンにあって、これはあきらかに無理のある想定だった。またある場合には、患者が語る記憶の内容が、当人の生活史上の事実とあきらかな齟齬をきたしており、フロイトは患者の記憶が改竄されたものであることを認めざるを得なくなった。
 こうして誘惑理論は早々に放棄されたわけだが、では、なぜこんなにも多くの患者たちが、同じテーマの幻想、すなわち親しい大人からの性的誘惑という幻想を抱くようになるのか。患者の語る記憶がたとえフィクションだとしても、そのフィクションが決まって現れるのであれば、そこには何らかの必然性があるはずだ。心的現実という概念は、まさにこの必然性をとらえるために考え出されたのである。
 ただし、フロイトはヒステリーの患者が何らかの性的誘惑を実際に経験した可能性を丸ごと否定したわけではない(誘惑理論の放棄は性的虐待の可能性を排除しない)。そうではなく、ただ空想されただけの出来事であっても、時として、実際に経験された出来事と同じだけのリアリティ(影響力)をもつ、という認識こそが重要である。フロイトが突き当たったのは、私たちの心は想像だけで現実の傷を負うことがある、という事実だ。症状は、患者本人も知らずにいるかつての出来事のもたらした傷であり、証言である。この出来事を、それが実際に起こった場合も(物的現実)、患者の心のなかで起こった場合も(心的現実)、同等に扱うこと——これが、誘惑理論の放棄がもたらした精神分析独自の現実認識である。
 もしも私たちが、現実を事実(ファクト)の集積としか考えないのであれば、心的現実というタームはたんなる自己矛盾でしかない。逆にいえば、精神分析的認識はこうした考え方に抗して、個人の生に根ざした痛切さにおいて現実をとらえようとする。
 ここで、話すという行為の重要性があらためて浮かび上がってくる。心的現実がなおも「現実」の名に値することの根拠は、分析のなかで患者がそれをみずからの記憶として話した、という一事にのみ求められるからである。

***

 それでは、以上を踏まえたうえで、パンケイエフの分析で現れた「原場面」(=分析によって再構成された状況)の問題に戻ろう。結論からいえば、原場面をひとつの心的現実とみなせば、それが実際に起こったことだと考える必要はなくなる。事実、かつて誘惑説に取って代わるようにして導入された心的現実という概念を用いることで、原場面の現実性にかんするフロイトの立場は変化した。
 1914年の時点ではこの場面を物的現実とみなすことを頑なに主張していたフロイトは、それがひとつの心的現実として患者に狼の夢を見させたという可能性に気づき、それを受け入れた。冒頭で確認した「証拠不十分」で非決定に留まるという考えは、グレーゾーンに甘んじる後退ではなく、無意識というフィールドでの心的現実と物的現実の等価性というアイデアの意義が再認識された結果であるといってよい。
 この変化を整理してみると、フロイトのなかで、「夢⇒原場面⇒物的現実(=実際の経験)」という論理から、「夢⇒原場面⇒心的現実(=無意識のなかで作り上げられた経験)」という論理への移行が生じていることがわかる。
 ところで、『精神分析入門講義』では、幼少期における誘惑に加えて、両親の性行為の目撃、そして去勢という三つのテーマが、多くの神経症者に共通して見いだされる幻想として挙げられている。そして、このような一般的な性格をもつ幻想を、フロイトは「原幻想(Urphantasie)」と名付けた。このうち後のふたつがパンケイエフの夢の分析でも重要な位置を占めることは、前回確認したとおりである。
 しかし、フロイトはこの結論に満足することはなかった。というのも、ここまでの議論では、ひとつの問いが未解決のまま残ってしまうからである。それは、「原幻想」が多くの患者の分析で共通して現れるのはなぜなのか、という問いだ。「夢⇒原場面⇒心的現実⇒原幻想」と進んできたフロイトの歩みは、今度は、「原幻想」の根拠はどこにあるのか、という新たな問いと向き合うことを余儀なくされる。
 重要なのは、このフロイトの歩みが、分析を進めてゆく患者自身の歩みでもあるということだ。「原幻想」は、患者が連想の糸をたぐり寄せながら言葉を紡いでいった先で、いわばその突き当たりとして現れる。
 厄介なことに、仮に「原幻想」が多くの人間に共有されているとすれば、その根拠は原理的に、個人のレベルには属していないはずである。こうなるとはもはや、患者個人を相手にする分析家の手に余る問題ではないか。しかしフロイトは、ここでも歩みを止めず、かなり大胆な仮説を提示する。フロイトが「それが危ういものと思われることは十分承知している」と前置きしたうえで披露する仮説は、次のようなものだ。

私の考えでは、これらの原幻想——この他のものもいくつか含めて、私はこう呼びたい—は、系統発生的な獲得物である。個人は、みずからの体験があまりにもわずかで、その痕跡しか残されていないような場合には、みずからの体験を越えて、原幻想のなかで、先史の体験へと入り込んでゆく。私には大いにあり得ることだと思われるのだが、子どもの誘惑、両親の性交を目撃することで性的な蠢きがかき立てられること、去勢の脅し——というより去勢そのもの——といった、今日分析のなかで幻想としてわれわれに語られるものはすべて、原始時代においては人類にとって現実だったのであり、幻想する子どもは、個人的な真実の欠落を、前史的な真実でとにかく塞いでしまったのである。[4]

 結局のところフロイトは、心的現実という概念を自在に駆使するようになってもなお、その物理的根拠(物的現実のなかの根拠)を突き止めることに心を砕いていたようだ。この物理的根拠としてフロイトが想定しているのが、先史の体験である。再び図式化してみると、「夢⇒原場面⇒心的現実⇒原幻想(=系統発生的な獲得物)⇒先史の体験(=過去の物的現実)」となる。
 フロイトの考えでは、分析をつうじて現れる原幻想の内容(誘惑、原場面、去勢)は、なるほど患者個人が実際に体験したものではない。しかしそれは、まったくの絵空事というわけでもない。人類がかつて——すなわち現在からは実証不可能な原始時代に——経験したトラウマが、あたかも遺伝子に書き込まれるかのように、一種の集合的記憶として伝達され、個人の無意識に書き込まれた結果だというのだ。
 ちなみに、フロイトがここで援用しているのはエルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生の反復である」というテーゼだ。フロイトはこのテーゼのうちに、個人の歴史と集団の歴史を相似的なものとみなす発想を見いだし、奇妙なくらいそれに魅せられた。個人史を遡ることで失われた現実を再発見することが精神分析の本義だとすれば、この企てはおのずと、人類史における失われた現実をも射程に収めることになる。こうした壮大なヴィジョンへの信念は、例えば最晩年の『モーセと一神教』(1939年)に至るまで、フロイトに取り憑き続けている。
 精神分析の敵対者でなくとも、このような考えに賛同することは難しいはずだ。この信念そのものが、フロイトその人の心的現実にほかならないのではないか、と言いたくなる。例えばピーター・ゲイは、決定版として名高い伝記のなかで、前史の体験の遺伝という擬似生物学的議論はフロイトのなかで「最もエキセントリックで最も擁護し難い」ものだと評している[5]。この形容はいかなる誇張も含んでいない。ここで問題なのは、患者の症状ではなく、フロイト自身の症状なのだ。
 なるほど、こうしたフロイトの議論を「トンデモ」として切り捨てるのは容易い。しかし、少なくとも、ラカンが選んだのはそのような道ではなかった。むしろ、これほどにも危うい仮説に手を出してまでフロイトが追究したものは何だったのか、何がフロイトを駆り立てたのか、それを問うことこそがラカンの試みだ。この問いの答えが、現実界である。ラカンは、フロイトのいう先史の体験に代えるようにして、主体の起源としてのトラウマ、つまり主体の個人史をそれ以上遡ることができない限界地点としての現実界を位置付ける。
 ラカンの試みを図式化すれば、「夢⇒原場面⇒心的現実⇒幻想⇒現実界(=主体の起源としてのトラウマ)」となる。こうしたラカンの論理において、精神分析が取り扱うべき現実の最終根拠はどこにあるのか。それは、歴史以前の実証不可能な事実ではなく、分析主体の記憶(思い出すこと)と言語(話すこと)の限界地点である。
 うえで述べたように、心的現実が「現実」であることの根拠は、何よりも主体の話す言葉に、あるいは話すという行為そのものにある。そして、その言葉の連鎖が辿り着くひとつの突き当たりこそが現実界だ。それゆえに、ラカンは現実界を言語にとっての「不可能」と定義する。それは、いわば心的現実の核である。心的現実をたんなる絵空事から隔てるのは、それを前にしてどうしようもなく言葉が立ち止まる、この硬い核なのだ。

[1] Sigmund Freud, » Aus der Geschichte einer infantilen Neurose «, a. a. O., S. 90.
[2] Sigmund Freud, Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse (1915-1916), in: Gesammelte Werke, Bd. XI, Fischer, 1998, S. 381.
[3] Ebd., S. 383.
[4] Ebd., S. 386.
[5] Peter Gay, Freud — A life for our time, W. W. Norton & Company, 1988, p. 290.

次回は2020年5月23日ごろ更新