犬(きみ)がいるから 村井理子

2019.1.15

34大人の階段


 年末年始、ハリーは相も変わらず元気に過ごしていた。凍えるような雪の日も、みぞれまじりの風が山から吹き荒れる日も、休まず散歩に出かけていた。犬の飼い主に課せられた散歩という役割に年末年始はない。どれだけ世の中がお正月ムードであっても、昼間から一杯飲んでいい気分であっても、本犬が休むと言わない限り飼い主は犬を連れて散歩に出ねばならない。ハリーは家族の誰かが家から出ようとすれば「俺も、俺も!」と、あっという間に散歩気分になる。グーグー寝ていても、一瞬で起き上がる。ハリーが散歩を嫌がることは、台風の日以外、基本的にないと言っていい。飼い主にとって、冬は特別に根性を試される季節なのだ。
 こんなに寒いのに吹きさらしの湖に行かなくても……と思うのだが、ハリーはとにかく琵琶湖が大好きだ。湖を避けるルートにさりげなく誘導しても、途中で策略にはっと気づかれ、結局引っ張られていくことになる。何が楽しいのかはわからないが、とにかく枝を拾うのが大好きで、その趣味だけは譲ることができないらしい。

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 砂浜に到着するやいなや、大急ぎで走り回ってちょうどいい長さの枝を見つけてくる。それも長くて重いものが好きだ。せっせと集めてきては「ほら、あっちへ投げろ」といわんばかりに、私の目の前にひょいと落とすのだ。しかたなく、かじかんだ両手で、そのやけに重たい枝を持ち上げる。待ちきれないハリーは、尻尾を追いかけるようにしてクルクルと高速回転する。私が放った枝が弧を描きながら空中を飛び、ハリーは勢いよくそれ目がけて走り、拾って戻ってくる。ハリーは何がなんでも必ず拾って、全速力で戻ってくるのだ。
 体が温まるとハリーは、「次は湖面に投げろ」と私に迫ってくる。枝の端っこを引っ張りながら、チラチラと湖面を見る。家に戻ったら風呂に入れないとダメだなあ、靴が濡れるなあと嫌な気持ちになるのだが、期待感たっぷりのハリーの顔を見ると、湖面に向かって投げないわけにはいかない。再びかじかんだ両手で枝を持ち上げる。強い期待感に体を動かさずにはいられないハリーは、再び高速回転だ。あんまり回るから、ジェラートにでもなってしまいそう。私は精一杯の力で枝を投げる。重い枝だから、両手で持ち上げて支えて、体をくるりと一回転させないと遠くまで飛ばない。私がそうやって病み上がりの体に鞭打って投げた時、ハリーはすでにスタートを切っている。私の両手から枝が離れる前に、ハリーは湖面に向かって一直線に走り出している。絶対に枝は飛んでくる。絶対にあの人は投げてくれると私を信じているからだ。水温が下がり、濃いねずみ色になった水をたたえた琵琶湖で、体からもうもうと湯気を出しつつハリーは泳ぐ、走る。その姿を見ていると、私はかつてこんなにも誰かに信用されたことがあっただろうかと思わずにはいられない。

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 私とハリーのコミュニケーションはすっかり様変わりした。以前は、私が何かと彼に言葉をかけ、指示を覚えられるよう工夫していた。ハリーは幼い表情で首をかしげ、大きな耳を揺らしながらじっと私を見つめ、意図をくみ取ろうとしていたように思う。成犬である今現在、意思の疎通がよりスムーズになったハリーと私は、表情や行動で互いの意思を確認できるようになってきている。ハリーは無駄に吠えることはせず、行動することで、私に何かを伝えてくる。
 例えばフードボウルの前に座って腹の減り具合を教えることもそうだし、玄関を前脚で叩いて、外に出たいとアピールすることもそうだ。仕事をしている私の膝に前脚を乗せておやつをねだることも(すごく重い)、退屈だとボールをくわえて持ってくることも、すべてハリーが自分から覚えたことだ。不満がある時は、口を尖らせて、声を出す。あと数ヶ月もしたら実際に言葉を発しそうな表現力で、思わず笑ってしまう。
 ハリーが特別賢いというわけではなく、犬とはそもそもこういったコミュニケーションに長けた動物なのだろう。
 すっかり成長したハリーと私の関係は、バタバタと激しかった子犬時代のものから、落ちついた、穏やかな成犬との関わりへと変化しつつある。二歳になり、精神的にも肉体的にも、ハリーは成熟期を迎えようとしている。じっと私を見つめるハリーの表情を見ていると、彼とのこれからの一年が楽しみでならない。きっと私を驚かせるほど成長してくれるはずだ。

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この連載は月2更新でお届けします。
次回は1月30日(水)掲載です。