犬(きみ)がいるから 村井理子

2019.3.30

39ジューンベリーの白い花


 息子たちの春休みがスタートし、連日、やれ映画だ、やれ電車に乗ってどこかに行きたいだ、新しい靴が欲しい、スマホが欲しい、LINEがないと友達と連絡がとれないと朝からやかましく言われ、げんなりしている。もう一匹の息子であるハリーは、春を迎えてからというもの、おっとりの性格が一段と磨かれたようで、私のベッドのど真ん中を陣取っては恵方巻きのように寝ている。立派な恵方巻きだ。デパートで買ったら三千円ぐらいしそうだ。手がかからないのはどちらだと言われれば、圧倒的にハリーである。散歩だよと誘えば何も言わずにすっとついてきて、文句も言わずに湖でザバザバと泳ぎ、帰ろうと言えば素直に帰る。息子たちに比べ、奇跡のような理解力と寛容さである。そのうえ、ごはんに文句を言わない。むしろ、これ以上無理というほど喜んで、残さずきれいに食べる。カレーにはうんざりだとか、ハンバーグは手作りに限るなんてことも言わない。息子たちに比べて人間ができている。犬だが。
 ハリーにとって、今はうれしい時期だ。というのも、大好きな息子たちが朝から晩まで側にいるからだ。学校があるときは、帰宅時間になるとソワソワして玄関で待つのがハリーの日課であった。それほど、彼らのことが好きで、一緒に遊びたくてたまらないのだ。今は息子たちの布団に一緒に潜り込んで、遅くまで一緒に寝て、双方がとても幸せそうにしている。息子たちの友達が遊びに来ると、部屋で大きな音で音楽をかけながら、みんなで大騒ぎだ。踊る息子たちに加わって、ハリーもベッドの上でジャンプしているという。ハリーは子どもたちと一緒に遊ぶだけではなく、彼らに合わせることもできる。随分辛抱強いものである。私なんて十分でギブアップなのに。


 二歳を過ぎたハリーは、ますます扱いやすい犬となった。大きくて人の良さそうな顔と(犬だが)温厚な性格は、近所の犬好きのハートを溶かし続けている。ハリーは誰からも愛されている。飼い主にとって負担と言えるのはその大きさと飼育コストだけで、むしろ私たちは多くをハリーから与えられている。最初の一年は確かに苦労させられたが、それがなんだったというのだろう。総合的に考えてみれば、あの日々をすべて精算してあまりあるほど、今のハリーは素晴らしい。長かったようで、あっという間の二年。たった二年でここまでがんばってくれたと思いつつ、よくよく考えてみると、その賢さと習得の早さは、ハリーの時間の流れの圧倒的な速さをも意味している。
 子犬の頃の驚くべき成長過程を見ていれば明らかではあったのだが、大型犬の生きるスピードはとんでもなく速い。飼い主として、彼の日々変貌を遂げる姿に感嘆し、喜びつつも、心のどこかでふと寂しさを感じてしまう。私は悲観的すぎるだろうか。大型犬に限らず、どんな犬でも、猫でも、大半のペットは人間よりも短命なものなのだが、それを改めて考えてみると、なんと不公平なことなのだろうと思わずにはいられない。長く生きればそれだけ楽しい時間も増えるだろうに、動物ばかりが割を食う。これだけ従順で穏やかな生きものが人間の半分も生きることができないなんて、まったく残念過ぎる。それとも、こんな狂った世の中に何十年も暮らすことより、鮮やかな日々を生き抜くほうがいいのだろうか。
 こんなことをつらつらと考えながら、私はハリーを通して自分の時間を考える。息子たちとの時間を考える。十代の息子たちの時間と、ハリーの時間が重なっていることに心から感謝しつつ、同時に、いてもたってもいられないほどの寂しさを抱えている。私の目の前で展開される濃厚な日々とその流れに圧倒されながら、この一瞬一瞬が永遠に終わらなければいいのにと思う。叶わないとわかっていることに限って、強く、強く望んでしまうのは、私が人間だからだろうか。別れを繰り返しながら生きることの意味を、先に行ってしまう命を、考えて、考えて、そんな時間を過ごしている私の庭のジューンベリーの白い花は、もうすぐ満開になりそうだよ、ハリー。
 私の人生に突然現れたハリーは、来た時と同様、嵐のように駆け抜けていくに違いない。嵐の後に空が晴れ渡ったとしても、私はそれを美しいと思うことが出来るだろうか。子どもたちは、共に過ごした日々を慈しむあまり、辛くはならないだろうか。心配で悲しくなってしまうのは、春だからだと思いたい。
 願わくはハリーよ、一分一秒でも長く息子たちの側にいて、安心を、幸せを彼らに与え続けて欲しい。私にはできないけれどハリーにはできることが、この世界にはあまりにもたくさんあるのだから。



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この連載は月2更新でお届けします。
次回は4月15日(月)掲載です。