犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.5.15

57近江の守り神

 

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、全国的に、いや、全世界的に、様々な活動の自粛を余技なくされる生活が続いている。わが家の場合、息子たちの休校が2ヶ月以上続いているという状況だ。二人は70日以上、ほとんど外出することもなく家に閉じこもり、勉強をしたりしなかったり、ゲームを一心不乱にやったり、寝ながらポテチを食べたりして暮らしている。最近の子どもは、外出や友人との交流をある程度制限されることに苦痛を感じないようだ。友達とはケータイさえあればいつでも繋がることができるからだろう。外出なんてしなくたって、とりあえずネットがあれば不自由しない。相手にするのはハリーだけで十分なのだ。ハリーとこれまで以上に寝食を共にするような生活を送りながら、休校をエンジョイしている様子が伺える。ハリーは、突然家にいるようになった彼らと一緒に、(たぶん)楽しく暮らしている。二人にどれだけいたずらされても、じっと耐えている(あるいは気づいていない)。
  3歳を越えたあたりから、ハリーは一段と穏やかで静かな犬になった。家のなかでは、寝ているか座っているか、食べているか飲んでいるかの、いずれかだ。部屋のなかで走りまわったりするのは本当にまれで、普段は、真っ黒で重いサンドバッグのような体を、「なぜここで寝る?」というような突飛な場所で横たえ、地鳴りのように深くて低い、しかしなぜだか耳に心地よいいびきをかいて眠っている。それだけだ。
 声をかけると、両目を薄く開いて、尻尾をぱたりと一回だけ動かして反応する。パタパタパタと細かく動かして反応することもある。発するメッセージが違っているのだろう。その意味は残念ながらわからない。ビニールの音がすると飛び起きるし、冷蔵庫の扉が開閉する動きにも敏感だ。それでも、ハリーは常に穏やかだ。お気に入りの場所は、窓際のソファ。窓を開けてやると喜んで座り、遠くに見える青い水面を眺め、神妙な面持ちでいる。
 こんなハリーに最近ついたあだ名は「モアイ像」だ。動かざること巨岩のごとし。その大きな顔が常にぼんやりしているのもそっくりで、私がおっとりとしたハリーを好きでたまらないのは、ここに理由があるのかもしれない。実は私は、モアイ像に大きな興味を抱き続けている。その歴史を読んだときから、実物を見に行きたいと願い続けているのだ。恥ずかしながら、写真集も持っている。海を背に佇むモアイが多いというが、湖をバックに撮影されたハリーの写真は、確かにモアイ像にそっくりだ。
 犬は人間と目を合わせることが苦手な動物だと言われているが、ハリーは人間としっかりと目を合わせる犬だ。モアイ像にそっくりな顔でじっと見つめられると不思議な気分になって、思わずこちらもじっと見つめ返してしまう。見つめ合ったその先に何か進展があるかというと、何もない。ハリーはそのうち、だんだんとウトウトしてきて、大きな目は次第に閉じ気味になり、そして最後には大きな顔を、これまた大きな前脚の間にどさっと乱暴に置いて、寝てしまう。「人生の真理だな」と、私は思う。ハリーは大きな宇宙のようだ(話が大きくなって参りました)。
 「なんだ、寝るのか」 私はいつもそこに置き去りにされる。残されるのは、心の中の、よくわからない温かさ。ふわふわで大きな、黒くて柔らかい何か。ゆっくりと動き、形を変えながら漂い、触ると滑らかで、とても大きな存在。それがハリーだ。
 長引いた休校措置は、このままあと数週間は続くだろう。ひとりの時間が大好きな私が、家にずっと家族がいる状況で、落ちついて仕事ができるかというと、まったくできない。正面切って書いているが、本当に仕事が手につかない。罪悪感だけが、積読本のように日増しに積み上がるだけの生活だ。一日に3度も料理するなんて不可能だから、キッチンにはインスタントラーメンまで積み上がっている。冷凍庫にはソース付きパスタが、今か今かと出番を待っている。勉強をしない息子たちの様子を見ると、不安が爆発しそうになる。今は元気で暮らすことが大事なのだと自分に言い聞かせながら、苛つく心をなんとか封じ込めるようにして暮らしている。
 それでも、私にはハリーがいる。何もしないのに抜群にかわいいし、大人しくて優しくて、大きくてかっこいい。こんな状況下であっても、誰に対してもストレスを与えることなく、静かに暮らし続けるハリー(大きいけど。山ほど食べるけど)。みなさんの近くにも、ハリーのような存在がいますように。

 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は5月30日(土)掲載を予定しています。