犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.10.14

65ハリーは枝師

 

 ハリーが熱心に枝を集めはじめたのは、まだ一歳にもならない時期だった。ぬいぐるみのようにかわいかった子犬が、あっという間に私の想像をはるかに超えるいたずらを繰り返す、やんちゃな若犬へと成長しつつあったのがその頃だ。そのいたずらたるや、家族全員が困り果て、本当にこの子を飼い続けることができるのかと悩むほどだった。当時小学生だった子どもたちは、尖った乳歯で何度も噛まれ、しょっちゅう泣かされていた。
 家中の家具に歯形がつき、玄関に並んだ家族のスニーカーは、次々と血祭りに上げられた。私のデスク周辺では、書籍が徐々に消え、歯形をつけられ、家中に散乱した。積み上げた原稿は次々に崩され、足跡をつけられ、破られた。集中して作業をしていると突然、足首に尖った乳歯が当たる。いたッ! と声をあげると、ハリーはうれしそうにダッシュして逃げて行く。追いかけると、ゲラゲラ笑うかのように喜んで、尻尾を勢いよく振った。まったく、散々だった。
 ハリーの壮絶ないたずらを止める方法が一つだけあった。それは、彼の体力を奪うことだった。運動を十分させたあとのハリーは、別犬のように穏やかな聞き分けのよい犬になった。その姿はまるで、大きなぬいぐるみのようだった。大人しいハリーは、惚れ惚れするほどのイケワンで、そして賢かった。ビロードのような艶のある毛は滑らかで、ガラス玉のような目は常に輝いていた。大きな顔は凜々しくて、同時に愛嬌があった。「お手」は一日で覚えた。私の手から、優しくおやつを食べる子だった。
 そもそも穏やかな性格に違いないと考えた私は、連日、ヘトヘトになりながらもハリーと散歩に出た。とにかく毎朝、一時間ほど歩かせて、彼の体力を奪ってやればいいと考えたのだ。田んぼのあぜ道を数キロ歩く、人や犬が少ないコースを設定したものの(ハリーは他の犬に対してもやんちゃだった)、ハリーはとんでもない力で私を琵琶湖方向に引っぱって行った。それも毎朝だ。計画通りにいかないことに苛立ちながらも、私はハリーについていくことにした。
 湖畔に到着するとハリーは、必ず枝を拾い集めてきた。松の木の枯れ枝を探しては、うれしそうに持ってきて、私の目の前にぽとりと落として尻尾を振る。なんとなく投げたら、ものすごい勢いで追いかけて、拾って、戻って来た。教えてもいないのに! そして再び、私の目の前に枝をポトリと落とし、尻尾を振る。丸い目を輝かせて。え? 投げろってこと? と聞くと、その場でクルクルと回り出すハリー。イエスだなと感じた私は、枝を遠くの湖面に投げた。ハリーは躊躇することなく水に飛び込むと、ぐんぐん泳ぎ、枝をくわえてくるりと旋回、私のところまでまっすぐ戻って来た。この日は100回ぐらい枝を投げた。天才じゃね? と思った。
 最初は細かった枝が、ハリーの成長とともにどんどん長く、太くなった。明らかに、重い枝の運搬にやりがいを感じているハリーは、長ければ長いほど、重ければ重いほど必死になった。そして、決して諦めずに、その長くて重い枝を岸まで引っぱり、そして浜へと運びあげ、私の足元に落とすようになった。枝を追いかけること、そして回収するという一連の動作に喜びを見いだしたハリーは、どれだけ投げても必ず回収した。すべてを大きな口にくわえ、縦横無尽に琵琶湖の浜を駆け回った。そして、お気に入りの枝は、家まで丁寧に持ち帰るようになった。だから、わが家の庭にはハリーが持ち帰る枝が小山のようになっている。時折、薪ストーブを所有している近所の方が引き取ってくれる。だから、ハリーの枝はそのお宅のストーブで燃やされ、暖かさをお届けしているというわけだ。やっぱり天才過ぎる。ハリーはとんでもない天使ではないだろうか。


 そろそろ4歳になるというハリーは、今でも現役の枝師で、連日、枝を追いかけ、泳いでいる。性格は大変穏やかで、まさにジェントル・ジャイアントだ(45キロ)。それでも時折、私をからかうために、風呂場のマットやトイレマットを盗んできては、私の横で振り回したりする。私の服をどこからか引っぱってきて穴を開けたりもする。かわいいから全面的に許している。
 大型犬の飼育は苦労の連続であるにもかかわらず、その「苦労」という文字が、すべて脳内で「愛」に変換されるほど、彼らとの暮らしは喜びに満ちているということを、わが家のイケワン、琵琶湖の至宝、走る恵方巻き、近江の黒豹、チャーミングなサンドバッグの異名を持つ、わが家の愛犬ハリーを例にあげて説明させていただきました。



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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

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この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は10月30日(金)掲載を予定しています。