ひび割れた日常 奥野克巳・吉村萬壱・伊藤亜紗

2020.6.15

06人間の体と植物の体

 

コロナによって世界は一変した。これから、「復興」「回復」が急ピッチで進むだろう。
だが、我々は元に戻れるのか。また可能だとして、かつての日常を取り戻すことが、本当に正しいことなのか。コロナ後の生き方、社会のあり方を問う、3人によるリレーエッセイ。(第6回:伊藤亜紗、5月25日執筆



 我が家の前は公園で、あいかわらず植物観察を続けている。つくづく不思議なのは、葉が虫に喰われていたり、枝が折れていたり、幹に大きな穴が開いていたりすることだ。
 人間の体に置き換えるなら、片方の腕がもげていたり、大腿骨を骨折していたり、胃に大穴が空いていたりするようなものだろう。すぐに処置をしなければ、命に関わる大ごとだ。
 ところが植物ときたら、多少の傷を受けてもその体で平然と日常を営んでいる。もちろんトマトのように、虫に喰われると、他の個体に向けて危機を知らせる化合物を出す植物もいるから、彼らとて必ずしも「平然としている」というのは違うのかもしれない。だとしても、その体で生を継続できるのは、そもそもの体のつくりが人間とは違うからだろう。「人間の体に置き換えるなら」という発想がそもそもおかしいのだ。
 以前、知人の生物学者に、生命とは何か問うてみたことがある。答えはこうだった。「生命は定義できない」。なぜなら、私たちはまだ、地球にいる生命とは違うタイプの生命に出会っていないから。比較ができないから定義ができない、というわけだ。
「体」という概念に対しても、私たちはもっと謙虚になってもいいのかもしれない。人間の体だけが体なのではない。動物の体もある。植物の体もある。ウィルスの体もある。「ウィズ・コロナ」とは、異なる体とともに生きる知恵をさぐるということに他ならない。
 では植物にとって体とは何か。植物学者のステファノ・マンクーゾによれば、その特徴は「器官のなさ」なのだそうだ。マンクーゾは言う。「植物の体には、動物にあるような個々の器官はそなわっていない。植物がこのような『解決法』を選んだ理由は明らかだ。もし植物が私たちと同じような体のつくりをしていたらどうなるだろう? 私たちのように替えのきかない器官からなる体をしていたなら、草食動物に噛まれただけで、植物はたちまち死んでしまうだろう」(『植物は〈知性〉をもっている』)。
 確かにそうである。植物には「心臓」がない。「脳」もない。「腸」もない。つまり、生命維持に必要な活動を、少数の器官に集中させてはいない。もちろん、葉、花、根、といった部位の区別はある。けれども、葉が数枚なくなっただけで呼吸ができなくなることはないし、枝が折れたとしても脇から新しい芽を生やすことができる。動物が分業型なのに対して、植物は分散型。だから一定の量以内であれば、体の一部が失われても、生き続けることができるのだ。それが物理的に逃げることをしない植物のやり方だ。
 だが、人間は本当に器官から自由になることはできないのだろうか? たとえば、さまざまな臓器に分化しうるiPS細胞の存在は、人間にも器官から自由になる能力があることを示しているのではないか? いや、そのような特殊な技術を用いなくても、器官から自由に生きることはできるのではないか?
 たとえば、障害を持った人たち。目が見えなくなった人は、「目」という器官を使えなくなったことによって、代わりに「手で見」たり、「耳で見」たりしている。触覚や聴覚の使い方を変えるのだ。あるいは、「足で歩く」ことができなくなった人もいる。そういう人は、足の代わりに「腕」を使って、階段の上り下りをしたり、逆立ちしたりしている。
 つまり、健常者が特定の器官に結び付けているある機能を、彼らは別の器官で実行しているのである。「あることを実行するのに、どの器官を使ったっていいじゃないか」。そんな声が聞こえてくる。障害を負うとは、それまでとは違う仕方で器官とつきあう、ということだ。
 もちろん、人間だから、植物のように器官を持たないでいることはできない。それでも、人間だって、ある器官を別の機能のために転用することは可能である。面白いことに、失うこと、持たないことへの対処は、植物に似てくるのだ。
 同じことは、人の組織についてもいえるかもしれない。コロナがもたらした混乱にポジティブな効果があったとすれば、やむをえずにせよ、すすんでにせよ、人が持ち場を越えて動いたことである。人事課の人が感染防止グッズをDIYする。料理と無縁だった人がキッチンに立つ。お隣さんとマスクを分け合う…。
 元の日常に戻るとは、こうした植物的生の可能性を忘れ、もともとの器官や組織に依存した生に戻るということだろう。もちろん、器官や組織は重要だ。しかし、私たちは「何を元に戻さないか」も考えなくてはならない。

 





この連載は5日に一度の更新でお届けする予定です。
次回は6月19日(金)掲載を予定しています。