おじさん酒場 山田真由美・文 なかむらるみ・絵

2016.6.30

17アンパイアおじさん

 生干しコマイとプレモル[大衆酒場Ping(ピン)・五反田]

 

 

「ヤマダちゃん、本物の審判、見たことある?」
 五反田の酒場で一緒に呑んでいたおじさんが唐突に言った。
 え? 審判って何の? 私は意味がわからず思わず聞き返してしまった。

 初対面のそのおじさんは、ネットで店探しをしているうちに「おじさん酒場」にたどり着き、本連載の前身『東京胸キュン安酒場』までさかのぼって一気に読破。「おれも登場したい!」と思ったのだという。
 SNSを通じていただいたメッセージには、行きつけの店があるので一献願いたい旨と、アヤシイ者ではない証拠にご自身のブロマイドが添付されていた。串カツのソースみたいによく焼けた肌にダブルのスーツ。ヤクザな父を持った私にはなじみの、ソッチの雰囲気だったが、「関西出身、50歳手前、既婚。愛読書は『できる男は不倫する』(幻冬舎)」と、ツッコミ入れたい自己PR文に、「♪」や「(^^)」といった絵文字。なにより、自分から主人公になりたいだなんてけったいなおっさん、はじめてだ。るみ氏に報告すると、新種のおじさん、見てみたいと喜んでついてきてくれた。

 そのおじさんが指定した店は、五反田駅東口からすぐの風俗店やパチンコ店の合間に昔ながらの居酒屋が点在する歓楽街にあった。「大衆酒場Ping」。小洒落た店構えから若者の店のように感じたが、なかに入ってしまえばサラリーマン天国であった。界隈いちばんの繁盛店らしく、まだ17時半だというのに40人近く座れると思しき店内は7割がた埋まっている。

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 腕まくりした白いYシャツだらけのなかで、主演を買って出てくれたおじさんはすぐにわかった。艶のある濃紺ベストに、きっちり締めた黄金色のネクタイがキマっている。おでこは若干後退しているがジュード・ロウ風で、髪に気をつかっていることが見てとれる。彼は私たちに気づかないまま、生ビールをぎゅーーっと飲み干し、おかわりをオーダーするところだった。
「ワタルくん、生もうひとつね」
「お、なっちゃん今日もかわええなぁ」
 写真ではカタギに見えなかったおじさんは店員さんを名前で呼び、「ここのナマ、おれホンマ好っきゃねん」と破顔で、ふたたびジョッキをくいーっ。強面で装いはジェントルマンだが、関西人らしい、「茶目っ気」や「笑わしてナンボ」の精神に、どこか芝居がかった所作。なんとも振り幅が広そう。それが第一印象だった。

 挨拶すると、いやあ、うれしいな。「おじさま酒場」(彼はこう呼んだ)に出られるなんて。あれ読んでると呑みたくなるねん。登場するおっさんたち、みんなええ味出しとんねんもんなあ。また絵がいいよ、おれたちの哀愁がにじみ出てる。彼女が描いてるの? めっちゃイメージどおりのおねーちゃんや(どんな?)。とりあえず、呑もう。何にする? ビール? せやなせやな。あんな、この店のナマ、めっさ旨いねん。樽生達人(サントリーの講習を受け、一定の条件をクリアした生ビールを提供する店だけに認められる)が注いでくれるんやで。
 おじさんは矢継ぎ早に言うと、目尻をくじらのように下げて、私たちのジョッキにぐいっと自分のジョッキを合わせた。
「コマイある? それとモツ煮シチューとガツしょう油、あとシロタレね。全部3本ずつで。あ、女性は野菜も食べたいやろ。ここのポテサラ、ちょっと変わってんねん。食べてみてや」と素速く注文。「ほんで、ナマね」。自分の追加ビールも忘れない。
 強面もジェントルマンも吹き飛んだ。ようし。今日は大船に乗ったつもりで身を預けよう、この愉快なお祭りおじさんに。

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 店の自慢は、すぐ近くの芝浦食肉市場から毎日仕入れる新鮮なモツ。特にモツ煮シチューは、店主・石田亘さんが「定番のモツ煮で、ほかにない個性を出したかった」と力を入れている一品。牛すじ、豚ホルモン数種を丁寧に下処理し、香味野菜でとったスープにトマト、デミグラスソース、赤ワインなどを加えた洋風仕立て。やわらかで軽みを感じる風味は、この店の若々しさを物語っているようで、老舗酒場にはない味だ。若い女性にも人気というのがうなずける。

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「コマイはワタルくんの実家・北海道根室から直送してもろてるんやて」。おじさんが手づかみでかぶりつきながら教えてくれる。私たちも同じように素手でがぶり。コマイは漢字で氷下魚と書く。いかにも北の魚という名前で、噛むほどに北海道の凍てつく寒風にさらされ閉じ込められていた旨味が立ち上がってくる。
 串焼きのガツしょう油は、おじさんはじめ常連が試作段階で味見し、タレより断然しょう油がうまい、と推したメニュー。焼けたしょう油の香りが、酒飲みにどストライクの味だ。

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 ピンのオープンは2011年4月。東日本大震災の影響で人々が飲み歩くのを控えていた時期と重なり、最初は苦戦した。だが、こんなときだからこそお客に喜ばれるメニューづくり、店づくりに磨きをかけようと奮起。当時を知るおじさんは、「頑張れよ」の気持ちで毎日のように通っていたという。自身も会社を経営し、商売の厳しさを肌身で知るからこその応援だった。店の努力とそれを支える客の後押しが実を結び、ほどなく繁盛店に。常連客のみなさんにとって、いつまでも気軽に通える店でいたいからと予約はとらないそうだ。
「まじめに仕事をしていれば、客は必ず見つけるんだよな」
 しんみりとしたおじさんがぽつり。

「おじさん、おしゃれですね」
 あらぬ方向から矢を飛ばしてくるのは絵描きの自由さか。るみ画伯の興味は関西弁でも人情噺でもなく、おじさんのファッションセンスにあったようだ。時計はどこの? そのベストはオーダーメード? カフスなんかいつもしてるの? あ、シャツにミッキーの刺繍があしらわれてる!
 自分がこだわっているディティールを指摘され、呑めば呑むほどにおじさんのテンションは高くなり、いまや眉毛がハの字だ。
 そこで出たのが、冒頭の「審判」話。
 本物の審判、見たことあるかと聞かれ、高校時代はソフトボール部だったので審判は見たことあるけど、“本物の”と言われたら……と逡巡していると、おじさんはやにわに立ち上がった。
 さっきまで嬉しそうにビールをぐいぐい呑み、「お、あっこにカワイコちゃんいるやん」「ヤマダちゃん、一度きりの人生、本気の恋せな!」「人生、いい酒、いい車、いい女や!」などと関西人丸出しだったのに、一転、真剣な表情だ。
 いったい何が始まるのだろう。私もるみ氏も黙って見ていると――。
 おじさんは腰を低くかがめ、ひと呼吸し、
「ストライック!」
 親指を立てた右腕を力強く掲げ、気合い満点の審判ジャスチャー。私たちが唖然としているのにもかまわず、
「セーフッ!」「アウーーッ!」
 キレッキレッのアンパイヤを実演披露。驚いたまわりのお客さんたちも、なんだなんだと注目している。

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「これが審判ちゅうもんですわ」
 おじさんは満足そうに言うと、乱れた服装を調え、薄い髪をひとなですると、何事もなかったかのようにふたたび飲みはじめた。
 たしかに「ホンモノ」感ありましたけど、なんで審判?
 聞いてみると、少年野球の監督として、毎週末、地元の子どもたちを指導しているという。どうりでよく陽に灼けているわけだ。上目づかいに私たちの顔を見比べ、
「どう、ネタになりそう?」
 カッチリ決めた服が乱れるのも、周囲の好奇な視線もかまわず演じてくれた審判芸はネタの提供だったのですね。
 酒席は5時間に及んだ。その間、初体験の思い出から綱渡りの人生経験、道外れた恋路まで、惜しげもなく打ち明けてくれた。全身全霊のサービス精神。それが「おじさん」を象徴するひとつの特性だと私は思っているが、その意味において彼は正真正銘、ホンモノのおじさんであった。

大衆酒場Ping(ピン)

ojisan_17_06東京都品川区西五反田2-4-6
電話:03(3492)1337
営業:17:00〜翌03:00(月〜木は翌1:00) 不定休

五反田駅西口近くの歓楽街。鮮やかな藍紫色に赤文字で「もつやき」の暖簾がはためく「大衆酒場Ping」。となり客と隔てのない開放的なテーブル席を中心に、カウンター席も充実。店主のワタルくんをはじめ、若くて元気いっぱいの店員さんたちの接客の気持ちのいいことといったら! 芝浦食肉市場から毎日仕入れる新鮮なモツは、モツ煮シチュー(490円)に串焼き(各90円)にと、どれをとっても丁寧な仕事ぶりが伝わる味。明日の仕事に響かないようにとにんにくを使わない、けれどしっかりパンチのきいた餃子(390円)もウマイし、ワイン向きにはレパーペースト(490円)、パテ・ド・カンパーニュ(490円)なども嬉しい。酒は、「樽生達人の店」認定のプレモル生(390円)、樽生ワイン(白・赤各390円)、キンミヤホッピーセット(450円)、角ハイ(350円)など。おじさんから若い女の子までみんなの欲求を満たし、そりゃあ毎晩満員御礼、常連多しも当然だ。関西弁で店員さんを名前で呼ぶおじさんがいたら、今日の主人公に違いありません。

 

 

(第17回・了)

 

この連載は月1でお届けします。
次回2016年7月29日(金)掲載