七十歳の自己流「方丈記」 太田和彦

2020.6.1

02外に出る。人づきあいを整理する

 

 

邪魔な亭主

 

 定年退職して家にごろごろしている亭主が邪魔で仕方がない。窓拭きを頼んでも「バケツは?」「ぞうきんは?」とうるさく、自分でするほうがはやいので家の手伝いもさせられない。自分は食べたくない昼食も用意し、その後片づけも。「もうともかくどこかに行っててよ」「オレが自分の家にいていけないのか」とつまらぬ口論。ああもう……。今でさえこうなのに、ゆくゆく介護までさせられたら、私の人生いったいなんなの。
 反省しろ、妻の言う通り。家にいてはいけないのだ。何の役にも立たない目障りな面倒者はどこかに行ってろ、パチンコでもやってろ。
 毎朝通う道に、捨てられたゴミを長いトングで黙々と拾ってゆく老人二人組がいる。いつもきれいだと思っていたのはこの人たちのおかげだった。区の清掃係ではない有志らしい。
 親しくしているある地方都市の居酒屋主人は、空いている昼間、近くのゴミだらけの川を一人で片づけはじめた。放置自転車などはたいへんだったが、半年、一年も続けると目立ってきれいに青草が目にしみるほどになった。ある若者がきれいになった川でコンサートを開こうと市に申請するとすぐに許可が出た。黙々と川を清掃する姿を見ていた市の人がいたのだろう。今、川にゴミを捨てる人はなくなったそうだ。
 子育てを終えた母親がその経験を生かして「子ども食堂」を続けているのはすばらしいと思う。子どもに食べさすくらいお安い御用。第一大勢の子の相手をしているのが楽しい。それを応援して下支えするご主人もいるという。ある食堂主人も百円程度の子ども食堂を週に何日かはじめ、ついでに若い学生に大盛りを食べさせ、子どもの勉強を見させている。仕事を終えてわが子を迎えにくる働くお母さんは、お兄ちゃんと呼ばれている学生に頭を下げて帰るそうだ。
 子どもの成長ははやい。子ども食堂に来ていた子もいつのまにか中学生になり野球部に入った。部活の帰りに寄って「こんど試合があるから見にきて」「おう、がんばれよ、勝ったらうちで祝勝会やってやるぞ」「やったー!」
 こんな幸せがあろうか。家で邪魔者扱いされている場合か。のんべんだらりと介護を待っていていいのか。

 

 

 

自分の気持ちの整理

 

 七十歳も過ぎると知人が亡くなってゆくのが寂しい。私よりも若い人もいる。著名な方の訃報がいやに目立つようになった。いずれは自分も。
 滅入っていても仕方ない。いずれを覚悟して身の回りの整理を始めるのはよいことだ。自分に本当に大切なものは何かを点検することで、気持ちも整理されてゆく。これが大切だ。単純に部屋が広くなり風通しもよくなる。心の風通しもよくなるか。
 処分しやすいのは本だ。執筆資料は仕事を終えるといらなくなる。何年間もたまった雑誌のバックナンバーも、もう資料価値はないだろう。いつかは読もうと買ったベストセラーも読まないだろう。グルメ本、これこそいらないな。
 未練を捨ててこその断捨離と、大机いっぱいの山になったのを、ありがとうの気分で向きやサイズを揃えたり、これは貴重本と思えるのは目立つところに置いたりして、古書店に車でとりにきてもらうが、それらは吟味されることなくどんどん段ボール箱に入り、およそ十箱ほどになって、後日送られてきた代金見積もりは一万円だった。
 そういうものです。私はそれほどでもないが、泣く泣く実行した愛書家の文はよく読み、気持ちはタイヘンわかります。
 しかし捨てられない本はもちろんある。自分という人間をつくる原点となった本、若いとき感動し、その背表紙を見るだけで勇気づけられると五十年も持ち続けている本、もう一度読み返さなければと宿題にしている本。この「捨てられない本」のほうが多いのは誰しも言うことだ。漫画もある、写真集もある、映画研究本は映画を見続ける以上必要だ。これを処分したら自分というものがなくなってしまう、ここはまだ自分の気持ちは整理できていない、いやしたくないと言い訳をつけて。
 これがいけないとよく言われ、コツはただひとつ、書名を見てはダメ。ああ、悲しみの離別よ。会えば別れのときもくる、サヨナラだけが人生だ。
 と、嘆きを気取るとその人は言った。「必要になったら売った古書店に行ってまた買えばいい、売れていたら新しい家に嫁いだと思え」。
 なるほどと膝を打ったのでした。

 

 

 

断捨離の難物

 

 断捨離で最も難物は自分のコレクションだろう。本ならば他人にも価値があり、それゆえに引き取ってもらえる。しかし古カメラ、ラジカセ、モデルガン、ミニカー、琺瑯看板、ブリキ缶、川原の石、店の箸袋、駅弁掛け紙、トイレットペーパー包装紙(コレクターがいます)となると、本人にしか価値はなく、たまりにたまったものを「いったいどうするの!」と妻の金切り声が聞こえるようだ。
 女性にはこういう蒐集癖がない。昆虫採集や鉄道模型に熱中した少女はあまり聞かない。女性はドライで、実用価値のないものをとっておく神経は理解できなく、好きな男も愛が消えたらあっさり捨てるにちがいない(と愚痴)。
 しかし男は、好きだった女性は一生忘れない。今どうしているのか、幸せだろうか、片思いでふられたけどオレは真心をこめたと真実言える。男は純情なのだ。
 断捨離を説く生活評論家も女性が多く「まず捨てるのは未練です」ときっぱり言い切る。捨てられない気持ちを未練と言うのだが……。
 どうして捨てられないか。それは「自分」だからだ。自分を捨てることなどできるものか。「自分」は精神だから捨てる必要はない、それを物に託すのは精神が弱いからだ。ごもっともです、あなたは強いです。しかしトイレットペーパー包装紙を見ていればご機嫌なんだからいいでしょう(またしても妻から「ヘンタイ!」の声)。
 私は金属もの偏愛で、いっぱいたまった。亀、鳥、青龍、観音、布袋様、牛の背で笛を吹く少年、ロンドンの泥棒市で買った猿、上海で買った仏像、宮古島で買った青銅の魚など。像ものはまだ飾りになるが、真鍮の水道蛇口(売っていた)、量りに使う重し分銅(真鍮・正500グラム/鉄・正1ポンド)を買ったときはその目方どおり重かった。いずれも無垢の金属であることが条件で文鎮になるが、文鎮だらけだ。
 これらは趣味だが、絶対に捨てられないのは、小学二年生のときの絵日記帳だ。家族と花火を見にいった夜のこと、一人で積み木で遊んだことなどがたどたどしく描いてある。これを宝と言わずして……。
 七十男は言う、断捨離するならオレをしろと。

 

 

 

人づきあいを仕切り直す

 

 断捨離ついでに人づきあいも整理しよう。
 勤めていた会社に何の不満もなかったが、二十年で辞めたのは組織の中にいるのが嫌になったからだ。私はそういう人間だと気づいた。その気持ちが二年後も変わらなかったら実行と決め、そうした。それまでの経験を生かして自立するのに四十三歳はぎりぎりだと思った。新しい仕事場の机に座って「さあ、なんでも好きなことをやるぞ」と背伸びした解放感は忘れない。
 人づきあいは劇的に変わり、それまでは会社の肩書でつきあってくれていたんだとありありと知る。しかしこれからは裸だ。裸の一個人に対して何か頼んでくれる期待に応えなければと精根をこめた。勤める会社がつぶれようが関係ないが、自分をつぶすことはできない。自分のためにやっている気持ちがそうさせた。
 しかしバブル崩壊でデザイン事務所は儲からず、苦労したがそれは覚悟のうえ。おかげで組織にいてはできない様々な体験を重ね、ストレスゼロ。仕切り直された人づきあいは、新しい自分を開いた。
「ケッコウですな、普通そんなことができるもんですか」
 その通り。その通りだが、定年を迎えれば誰でも同じ事態になる。仕切り直しは向こうからやってくる。まだまだ元気、家の邪魔者にはなりたくないし、年金は足りないから働きたい。人生後半、さてオレはどう生きてゆけばいいのか。
 これを第二の人生のはじまりとしよう。会社勤めでは組織ゆえの理不尽も悔しさもあったが我慢した。もうそれはまっぴらご免。誰にも気を使わず一人で生きよう。地味な下積み仕事でじゅうぶん。黙って地域ボランティアに尽くすのもいい。そして居酒屋で一人静かに盃を傾けよう。押し通すのは「嫌なことはしない」「嫌な奴とはつきあわない」ことだ。
 たとえ懐は寂しくても、心はたいへん豊かになった。他人とかかわりなく、ただの市井の人として生きる、この平明な境地は人生の悟りかもしれない。
 スタートは六十歳、そのときが来たのだ。精神貴族で結構、老後はカッコよくいこう。

 

(第2回・了)

 

 

 

 

本連載は基本的に週1回更新でお届けします。
次回:2020年6月8日(月)掲載予定