75歳、油揚がうまい 太田和彦

2022.3.28

12世は巡り川は流れる

 

 

 

 

 

レコード復活

 

 新聞に名盤も新曲も「あえて」のレコードの見出しで、生産数低下の一途で消滅するかと思われたレコードが、この十年で十倍以上に復活したと出ていた。興味深いのは別枠でレコードというものの説明があることだ。
<アナログレコード 樹脂などでできた円盤に音楽や音声の振動を記録した溝を彫ったもの。プレーヤ一で円盤を回転させながら、レコード針を溝に触れさせることで振動を電気信号に変換。アンプで信号を増幅させ、スピーカーを通して音を再生する
 
へえ、こんな注釈しないとわかってもらえないのか。ついでに発明はエジソンと足すか。逆に七六歳の私は、いま音楽はストリーミング配信サービスで聴く、と言われても何のことかわからない。
 ラジオ放送(これ説明いらないですよね)で音楽を聴きはじめたころ、レコードは大変高価で、一枚買うのに大決心をした。いやその前に、自前でステレオ(これも説明いらないですよね)をそろえたときの高揚感を忘れない。以来こつこつと買い集め、いまあるおよそ一五〇〇枚は、私だけの音楽全集だ。それは「不滅の名演奏」を座右でつねに聴くため。クラシックでありジャズであり、もっていたい大方の名演はそろい、いまは掘り出し物探し。昨日も、四十年以上前に買った、ピアニスト、グレン・グールドのモーツァルト初期ソナタを久しぶりにプレーヤーに乗せ、変わらぬ瑞々しさを味わった。
 デジタルのCDはデータの音出力でつねに均質だが、レコードは回る盤に針を乗せる「生演奏」が最大の魅力だ。デリケートに回る針を守るカバーをかけ、はらはらしながら聴くのがよく、その場を離れられずトイレも我慢するのも演奏会と同じ。しかも盤は「減る」ので、あだやおろそかには聴けない、あくまでもBGMではないミニ演奏会なのだ。全曲聴くには裏表をひっくり返さなければいけない。記事はレコードを聴くための “手間” に魅力を感じる人が増えたのではないかと書く。その手間が、深く聴く真剣さになる。
 これは案外ほかのことでも言えるかもしれない。手間をかけて一杯のコーヒーを淹れる。手間をかけてセーターを手編みする。野外キャンプなどは手間を楽しむ典型。
 手間かけこそが最高の贅沢だ。時間のある高齢者にはこれがいい。毎日聴いています。

 

 

 

 

 

父の名の文庫

 

 私の父・太田義一は長野県の学校教師で、戦後まもない昭和三〇年、県南・木曾山奥の神坂中学校に赴任、一家は三年間をそこで過ごした。
 その神坂村は文豪・島崎藤村の生地で大作『夜明け前』の舞台であり、藤村没後、村民総出で藤村記念堂を建てたばかりだった。中学は創立十周年に校歌をつくることになり、歌詞は村内から公募、選者は記念堂落成式で縁のできた高名な文芸評論家、亀井勝一郎・会田綱雄・山本健吉の三氏が引き受けてくれた。しかし数が集まらず、父は自分と母の名で二編応募、母の名で出したものが選ばれ、私が中学一年となる入学式に初めて歌われた。
 その年、神坂村は岐阜県中津川市への越県合併を決め、郷土の偉人・島崎藤村を長野県出身としておきたい県側と対立。村を二分し、学校のある地区は中津川市に編入、ほかは長野県残留となり、その地区の子供は他県の学校には通えないため、教室代わりの民家数戸に分散登校する異常事態に発展。一度だけ歌われた校歌もどうなったかわからなかった。
 何十年後の父の没後、懐かしさで神坂中学校を訪ねると、校歌は変わらず歌われ、詞が校長室に飾られているのを知った。校長先生に「太田義一の息子です」と礼を述べ、後日、学校費にと寸志を贈ったところ、教育委員会は図書購入に充て「太田義一文庫」と名づけてくれた。感激した私は蔵書に加えてほしいと、十数冊を送った。
 昨年、生徒たちのお礼文と、本を手にした写真が一冊になった文集が送られてきた。これほどうれしいものがあろうか。なんどもなんども涙ぐむようにそれを開いた。
 今年も蔵書を送る三月になり、神田の東京堂書店で慎重に選書、好きだった『ドリトル先生航海記』や『ピッピ南の島へ』『ライオンと魔女』など十数冊を送った。
 戦後中国から引き揚げ、教師となって十年が過ぎた四〇代の父は、後年この山奥の学校の激動の三年間は、教育者をもっとも自覚したときだったと言っていた。専門は国語。自分の名をつけたささやかな文庫がこの学校にできたのを喜んでくれていると思う。
 文集に添えられた新任校長先生の手紙に、私のころは学年にニクラスあったが、いまは全校で三十四名、コロナ禍でいろんな行事ができないつらさが書かれていた。この文庫がすこしでも三十四人のためになればと願うばかりだ。

 

 

 

 

 

奈良の朝もや

 

 人の一生を川に喩えてみよう。
 山の谷間に湧いた水はちょろちょろと流れ出し、やがて急流となって激しく下る。しだいに水を増やしてゆったりと流れ、やがて大河となって海に注ぐ。チェコの作曲家スメタナの交響詩「わが祖国」の第二曲「モルダウ」は、国を貫いて流れるモルダウ川を、湧き水から大河まで描写してみごとだ。
 生まれたての赤ちゃんはおぎゃあと泣くばかりだが、しだいに成長して活発になり、外でさまざまな経験をし、やがて世の中という大海に自分の船で乗り出してゆく。
 私はいま、その人生航海も終わりつつある。作家・遠藤周作は晩年、琵琶湖の湖北に庵をむすび、場所は誰にも教えずに過ごしたそうだ。かつて鉄道琵琶湖線から、このあたりかなあと眺めた湖のほとりの風景は、そうしたくなる静かな落ちつきがあった。
 コロナ禍もややおさまり、テレビの地方ロケが解禁になって奈良を提案した。奈良編はなんどかやったが、今回は市内を離れた斑鳩(いかるが)の里を歩いてみたくなった。
 朝早いオープニングシーンは法隆寺前を過ぎた小高い丘で撮ることになり、ロケバスを残して少し登った場所は、ため池の土手で、朝露を抱いた野草がズボンを濡らす。奈良朝時代からため池は水飢饉にそなえて多くつくられ、役目を終えたいまもこうして残り、足もとには池を守る小さな石の祠もある。
 目前は朝もやに包まれ、古代から変わらないであろう曲がった道が畑や農家をつなぐ風景が広がる。遠くが奈良市内だ。ため池は、ぴたりと波ひとつなく、鏡のように空を映して穏やかだ。しばらくそれを見てこれは人生終着の境地だと思った。もはや何ものにも動じない明鏡止水。人生という川の流れの最終地だと。さて何をしゃべろうかと、ひとり離れて時間をもらった。終えて気がついた。東日本大震災の翌年も心を鎮めようと奈良を訪ね、大仏に復興祈願の手を合わせた。そしてコロナのいまもまたそうだった。
 美空ひばりの生前最後の曲『川の流れのように』は、一代の歌姫が自分の人生を川に喩え、でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生と歌い感動的だ。晚年七五歳にこれほどふさわしい歌はない。

 

(第12回・了)

 

本連載は、今回にて終了となります。
長らくご愛読を賜り誠にありがとうございました。

※本連載をもとにした単行本を亜紀書房より今年6月頃に刊行いたします。