75歳、油揚がうまい 太田和彦

2022.1.17

02着物のよさと祈り

 

 

 

4 浴衣を買った 

 

 初夏、麻布十番の着物屋をのぞいた。目的は浴衣購入。夜おそく帰宅して風呂を浴びると、肌触りのよい今治タオル地のガウンでビールを飲んでいたが、やや重く感じてきた。
 大昔、大学生のとき田舎に帰省すると、着物仕立ての内職をしていた母が、私のを作ってくれてあった。試着すると「おまえは着物が似合うねえ、橋幸夫みたい」と言われた。そうだ、浴衣着よう。
 白地は旅館の寝巻に見えるので濃紺地のに。いったい一枚いくらするのか見当もつかなかったが、六八〇〇円と思っていたより安い。次は帯。昔、父が家に帰ると着替えて無造作に腰に巻いていた黒い縮みのは、絹地なのか一万何千円と案外に高価だ。濃紺地に白線五本、平たく腰の強い角帯は手ごろでこちらにした。
 よしよし、着物買いは初体験だったが、さて問題は帯の結び方。粋な結びは「貝の口」だ。ネットの動画で確認し、静止画で出力したのを見ながら締めるが、ちっともできない。その図示は正面から見た連続写真で、締める側の上から見てもまるでできない。
 これは実際に教えてもらうのがいいと、数日後その店に行き、簡単ですよと結べたが、家でやるとまたできない。オレってつくづく不器用なんだと、以降はあきらめてただの蝶結びに。外に出かけるんじゃないからいいや。
 しかし浴衣というのは、じつにじつに良いもので、買ったその日から毎晩着用、二週間ほどして、こんどはやや明るい色のをもう一枚購入して、交互着用に。
 その良さは、木綿の肌触りと素肌への風通し。思うに、洋服は体にぴたりと沿った立体裁断の「第二の皮膚」だが、着物はずばり「風呂敷」だ。裸の体を一枚の布が包んでいるだけなのでどうにもなる。胸を開けて団扇(うちわ)の風を送る、広い袖口は肩まで上がる、下半身は両脚が自由に動き、あぐらもまたよし。つまり「拘束されている」感じがまったくなく、腰帯だけが、きりりと身を締める。それはズボンがずり落ちないためのベルトとはちがい、気功で言う臍下丹田を引き締めた落ちつきで(腹に巻く白さらしの如し)、日本男児の特性だ。
 以来浴衣ひとすじ。下半身はすっきり、上半身はゆったりの、粋な着方も覚えてきた。結んだ帯を後ろに回し、パンと腰を叩く気持ちよさ。さあビールだ。

 

 

 

5 浴衣後日談

 

 その浴衣、秋が過ぎると素肌に一枚ではやや頼りなくなり、父がしていた「ステテコ」を買いにまた麻布十番へ。昔ながらの洋品店だが、若い女店員が見せるのは伸縮するパッチばかり。こういうのじゃなくてと探してもらうと、あったあった。白木綿のだぶだぶ七分丈。今の人はステテコなんて知らないのかな。よしよしと二枚購入。
 これがまた、下半身が安心でとても具合がいい。そもそも股の仕立てがパジャマのズボンなどとはまるでちがう。あぐらをかくときチラと見えるのもセクシー(でない!)だ。若いころはステテコなんて格好悪い代表だったが今や似合い、オレもやはり父のようになったのだ。その落ちつくこと。日常の着物っていいなあ。さらに寒ければ綿入れ袢纏を重ね、もう完全に田舎の爺さんだ。
 そして思いをはせたのは着物の崩し方のいろいろだ。胸の襟を開く(胸襟を開くと言います)、袖口を肩まで上げる、片肌脱げば勇み肌、さらにもろ肌脱ぎ。立って裾を片方つまむと粋、後ろ裾を尻にはしょればさあ来いだ。もろ肌脱ぎに尻はしょりで腕を組んで座れば男の開き直りができる。これほど千変万化する衣装はあるだろうか。
 テレビの居酒屋探訪番組に、たまに着物姿で出演すると、用意された衣装にちゃんと着付けの人が来るが、何度か経験するうち着付けで一日の動きが変わってくるのに気がついた。固く着付けすぎて行動不自由なもの、逆にすぐ着崩れて、しょっちゅう直さなければならないもの。京都でロケしたときは、やや緩めながらも最後まで崩れず、歩きやすく、着付けでちがうなあと感心。逆に、着物は着方が大切と知った。威儀を正す、粋にする、くだけてみせる、着方で演出できる奥の深い衣装なのだと。
 先日、仙台で用事を終え、予約していた居酒屋「一心」に入ると、カウンターの夫婦客に挨拶された。「えーと、どなたでしたっけ?」「麻布十番の着物屋です」「えー!」。 店の若女将がそのふたりに「お初めてですね」と声をかけたところ「太田さんの本を見て来ました」「え、今からみえますよ」となって、待っていてくれたのだそうだ。まさに奇遇。そういえば購入のとき「テレビ見てます」と言われたっけ。
「浴衣、たいへん具合よく、あれから毎日です」「ありがとうございます」と話がはずんだことでした。

 

 

 

6 祈りの習慣

 

 私の住むマンションの通り向かいに、「日本基督教団・白金教会」がある。創立一九一八年と古く、聖書の言葉が書かれる。〈求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる〉
 毎日曜午前十時十五分は主日礼拝で、そのころ家を出る私は、折よく流れてくる賛美歌のオルガン演奏に出合うと、しばしたたずんで聞き、音色に心が清らかになる。
 妻はミッション系女学校を出た信者で、毎年のクリスマスイブは学校の「御ミサ」に行くのを欠かさない。外国旅行で教会があると必ず入り、祭壇にひざまずく。その間こちらは、本場の教会の壮大なドームや彫刻に目をこらす。教会はつねに開いており、信者ではなくても敬虔な気持ちになれる。
 私の実家は神道だ。国語教師の父は神前で「のりと=祝詞」を詠み、正月元日には家族を後ろに座らせてながながと奏上。終えて向き直り「新年おめでとう」とひと言。それから元旦の膳についた。夏の入盆は、玄関で「カンバ=白樺の皮」を焚いて先祖を迎えた。盆を終えると送り火だ。
 子供のころ、信州松本の鎮守「四柱神社」を通り抜けるとき、父は必ず手を合わせ、私にもそうさせた。そのためか地方に旅行すると必ず土地の氏神神社に詣で、「しばらく滞在させていただきます」と手を合わすのが習慣になった。これで夜の酒も大手を振って……。教祖のない神道は宗教というよりは風習で、八百よろずの神を尊ぶという感謝が基本にあるのがいい。
 仏教は、仏像や観音の彫刻をはじめ、寺の建物や装飾がすばらしいが、神道はあっさりしたもので、ご神体は鏡一枚、建物装飾はなし。あるのは狛犬くらいで、これは愛嬌があって好き。
 私の仕事場も神棚があり、一日を終えて帰るときに手を合わす。過日、大恩ある方の訃報を聞いた日は、長く祈りを捧げた。
 宗教でなくとも、何か心を平安にする祭壇、習慣があるのはよいものだ。聖書の〈求めなさい〉とはこのことか。次の正月も父に倣(なら)って、家族で父母の写真の前に並んで手を合わせ、「新年おめでとう、今年も健康で」と言おう。屠蘇はそれから。

 

(第2回・了)

 

 

本連載は週1回更新でお届けします。
次回:2022年1月24日(月)掲載予定