猫と詩人 佐々木幹郎

2019.6.5

15パンガー・バーンという猫


 ツイラク・ミーちゃんがベッドの上でじっとこちらを見ている。何を考えているのか。というよりも、ヤツはこちらがいま何を考えているのか、何をしようとしているのかをじっと観察しているのだ。ミーちゃんの葡萄玉のようなうす緑の両眼のなかに、わたしが映っている。そんなときだ。いっそ、猫になりたいと思うのは。
  猫は謎めいている。いや、謎めいていると思うのは人間のほうだけで、猫自身にはこの世に謎など何もない。耳を掻き、舌で自らの毛を舐め、わたしの顔を見て、ゆっくりとあくびをする。目の前にあるものだけを見つめている。未来のことなど考えない。うらやましい!
 猫と人間は昔からそんな関係をずーっと続けてきた。ということを知ったのは、アイルランドの首都ダブリンにある国立大学トリニティカレッジの翻訳センターで、面白い冊子を見つけたからだった。
「Translating‘pangur Bán‘」というタイトル。「パンガー・バーン」という名前の猫についての短い詩を、古いアイルランド語の原詩からはじまって、イタリア、トルコ、ドイツ、ポルトガル、オランダ、エストニア、スウェーデン、チェコ、カタロニア、スコットランド・ゲーリック、デンマーク、ハンガリー、フランス、フィンランド、ルーマニア、イギリス、リトアニア、ポーランド、ノルウェイ、スペイン、ロシアなど、二十一カ国の言語で翻訳した冊子だった。本文がはじまる前の頁に、猫の絵があった。トリニティカレッジの図書館には、九世紀に成立したとされる装飾写本『ケルズの書』が展示されているが、その装飾文様を模した猫の絵である。


 『ケルズの書』は、一度見たらその美しさが眼に焼きついて忘れられない。かつてのアイルランドはケルト族が支配していたが、彼らは文字を持っていなかった。日本が中国から文字を移入する前にそうであったように、言霊(ことだま)を大事にしていた。ケルト族の信仰は、すべて口頭伝承の世界で生きていた。しかし、五世紀の始めに、聖パトリックがキリスト教をもたらすと、急速にそれを取り込んだ。各地に修道院が建てられ、アイルランドはヨーロッパにおける学芸と信仰の中心地になって「聖人の島」とも呼ばれるようになった。折しも写本文化が栄えていた。古い書物を修道士が書写し、それを挿絵で装飾する文化である。とりわけケルト修道院での写本芸術は絶頂を極めた。『ケルズの書』はそのなかでの最高峰に位置する大判の装飾写本だ。聖書の四つの福音書のラテン語写本である。
 文字のひとつひとつを装飾し、全頁を豪華な装飾頁にしたり、動物や渦巻文様の植物などを文字のまわりに巻きつけたりした。言葉が躍動するように装飾されているのだ。わたしは初めて『ケルズの書』に出会ったとき、いかにケルト族が人間の言葉を文字化することに違和感を持っていたか、静止して動かない文字を嫌っていたか、文字が削ってしまっている声や音を復活させたいと願っていたかを、その精緻な渦巻文様のなかに、ひたひたと感じた。静止して動かない文字の背後には声や音がある、ということを、それらは告げているようだった。
 しかしそれにしても、何という膨大な時間を費やして修道士は聖書を書写し、文字を装飾したものか。キリスト教布教の情熱がいかに強かったとはいえ、日々、薄暗い修道院のなかで、もくもくと書写する生活は辛かっただろう。いや、文字を装飾しているうちに芸術家の魂が沸き出したかもしれないし、そのときはきっと幸福感に満ちたに違いない。しかし、書写し芸術作品として素晴らしいページを作っても、製作者である彼の名前は残らない。どんな心境だったのか。修道士たちは聖書だけではなく、文法の本やさまざまな古典書も書写した。
  その書写したページの余白に、突然、猫の詩が登場する。おそらく修道士が飼っていた猫である。九世紀当時の修道士が、ある写本の余白頁に、退屈まぎれに書いた落書きの詩。それが「パンガー・バーン」と題した猫の詩なのだ。この落書きが発見されてから、超有名な猫になったらしい。なにしろアイルランド語からヨーロッパ全土にわたる二十一カ国語に訳されているのだから。栩木伸明訳でその一部を紹介する。

  わたしと相棒のパンガー・バーン
  それぞれが天職を追求している
  こっちが手を動かしているあいだ
  あっちは狩りに余念がない
  (中略)
  鋭い爪でネズミを捕らえ
  もがく手応えに狂喜する猫
  難問がついに解けたときには
  こっちも負けずに狂喜乱舞

  こんなふうに暮らしているけど
  お互い邪魔することはない
  それぞれ自分の仕事を愛し
  喜びはひとりで噛みしめている

  あっちは毎日腕を磨いて
  狩りの達人になるのが仕事
  こっちは難問を考え抜いて
  真理の光にさらすのが仕事

 猫も自分も天職をまっとうしている。猫はネズミを、自分は真理を、ともに捕らえようとしている。てんでばらばらに、幸福なのである。 
 うちのミーちゃんは、どうなのか。家のなかにはネズミがいないので、もっぱら夏になると窓から飛び込んでくるセミを捕らえることに夢中になっている。文字を書写する必要がない時代。いましもヤツはわたしの机の横にあるコピー機の隙間に潜り込んで、わたしの仕事を邪魔しようとしている。


(第15回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年6月20日(木)掲載