猫と詩人 佐々木幹郎

2019.6.20

16それは恋なのか?


 どうも怪しい。ツイラク・ミーちゃんは避妊手術をしているから、もはや発情することはないのだが、彼女を追いかける牡の黒猫がいる。全身真っ黒で実にしなやかな動きをする。近所の家の庭にある室外機の上で昼寝をしていることが多い。明らかに野良猫である。
 昨年末、ミーちゃんが左後ろ足に大怪我をしたとき、わたしはてっきり、この黒猫に追いかけられて、慌てて逃げたときに怪我をしたのではないか、と思った。だから、ひそかに黒猫を憎んでいた。
 「クロめ!」
 名前なんか、「クロ」以外に付けようがない。わがアパートの二階のベランダは、野良猫たちの通路になっているので、彼もときどきあらわれるのだが、姿を見かけると追い出した。ヤツの顔を見ようともしなかった。
 ところがあるとき、外出から帰ってくると、ミーちゃんの出入り口用にいつも小さく開けておく窓を、外から見上げているクロがいた。ベランダでじっとしていて、わたしが帰って来たことを気づいているはずなのに、逃げようともしない。
 何を見ているのか、と思ってわが部屋の窓の中を見ると、ミーちゃんがいた。窓の下のベランダに坐っているクロと見つめあっている。睨み合いではない。威嚇の声を出すのでもない。黙っている。


 どういう心境なのだ? これでは、まるでロミオとジュリエットではないか。
「どうしたんだ?」
とクロに声をかけた。ヤツは金色の丸い眼でわたしの顔を見た。あれっ、実に可愛い顔をしている。イケメンなのだ。
 クロが登場するのは、このところ夜の十二時頃だ。工事中の隣の土地を、ギャオー、ギャオーと鳴きながらやってくる。この声を耳にしても、ベッドで寝ているミーちゃんは、ぴくりとも動かない。両耳を声の方に向けているだけだ。
 鳴き声が止んだので玄関を開けると、ベランダから逃げていくクロの後ろ姿が見える。ミーちゃんに会いに来たのか、あるいはミーちゃんの餌を狙いに来たのか。
 午前三時頃、寝ていると、ギャオ、ギャオという声が窓のほうからする。ミーちゃんが鳴いているのか、と思うと、彼女はベッドで寝たままで、ギャオ、ギャオの声のほうを見ている。開けたままのリビングルームの窓から室内に入って、いままでミーちゃんの餌を食べていたクロが、出て行くところなのだ。餌箱は、カラッポになっている。
 クロが室内に入ってきたときから、当然、隣の部屋にいたミーちゃんは、ベッドの上で気づいていたはずだ。しかし、追い出そうとしなかったし、威嚇の声をあげもしなかった。不安になって怯えることも、鳴いてわたしに知らせることもしなかった。どういう心境なのか。クロに対して何を思っているのか。
 それにしても、他人の餌を盗みに室内にこっそり入ってきた盗賊猫が、食べ終わった後で、ギャオ、ギャオと鳴くのはどういうことなのか。黙って入って来て、まんまと餌をせしめたのだから、しめしめと、黙って出て行くべきだ、とニンゲンなら思う。
 ギャオ、ギャオの鳴き声は人間に対してではない。あきらかに、ミーちゃんに挨拶しているとしか思えない。「ありがとさん!」とでも言っているようなのだ。
 また、食われた! とわたしは叫び、ベッドから飛び起きて、窓を閉める。ギャオ、ギャオの声はベランダから遠ざかり、隣の工事中の土地を斜めに通りすぎ、やがて闇に消えていく。
 午前六時頃、今度はミーちゃんが、小さな鳴き声で、ベッドの回りを歩く。起きておくれ、オシッコに行きたい、窓を開けて! と言っているのだ。
 というようなことが続いて、わたしは夜中に二度は確実に起こされ、ほんとうに睡眠不足なのだ。
 昼間、外にいたミーちゃんが、窓から突然、室内に入ってくる。ときどき、その後ろを見ると、クロがベランダにいる。ミーちゃんの後を追いかけてきたのだ。わたしが顔を出すと、一目散にベランダから姿を消す。
 そのたびに、わたしが箱入り娘を取られるのを見張っている頑固親父のような気分になるのは、どういうわけだ。
 まあ、いいか。うちの娘をいじめているのでなければ。


(第16回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年7月5日(金)掲載