猫と詩人 佐々木幹郎

2019.10.5

23朔太郎の猫

 

  つい最近、前橋文学館に行った折り、文学館の前、広瀬川沿いに移設された萩原朔太郎の書斎を見た。書斎は木造一戸建てで屋根は瓦で葺かれている。その屋根の棟の上に、瓦と同じ素材で焼かれた猫が二疋いた。一疋は尻尾を立てて四つ足、他の一疋は坐っている。なるほど、朔太郎の有名な詩「猫」からヒントを得て、観光用に作ったものらしい。一目見て、わたしは目をそらした。嫌だな、と思った。詩をこんなふうに具体化して説明して欲しくない、という思いと同時に、瓦屋根の猫が二疋とも太りすぎなのである。朔太郎の詩のなかに登場する猫は、もっとスレンダーでないといけない。

まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの屋根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
      (「猫」、詩集『月に吠える』所収)

 ここでの猫は、どうやら発情期であったようだ。夜中に猫が「おわあ」とか、「おぎやあ」とか呼び合うときは、たいていそうだ。朔太郎はそれを知っていただろうか。
「なやましいよるの」とあるから、知っていたように見えるが、いやしかし、彼は自分のことしか考えていないのであって(もともと、そういうヒトなのだ)、ここで「なやましい」のは、朔太郎自身なのだ。
 「猫」という詩は、大正四年(一九一五)四月に書かれていて、詩集『月に吠える』には「くさつた蛤」と題した章に収められている。この章の裏扉には「なやましき春夜の感覚とその疾患」というエピグラフがある。作者自身の春の夜の「なやましさ」とそれを病気と見る作品が並んでいる章なのだ。例えば、この章の最初の作品は、「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」と題された詩であって、家の中で窓のそばに立っている人間が、窓の外から見ると病人のように見える、なぜ、そうなってしまうのか、という奇妙な感覚について書かれている。この詩も「猫」と同じ時期に書かれたものだ。
 朔太郎の『月に吠える』は、大正六年(一九一七)に刊行され、日本の近代詩を現代詩につなげる重要な役割を果たした。そこで最も画期的だったのは、人間の生理感覚を詩語として登場させ、定着させたことだった。朔太郎が登場するまで、「なやましさ」を生理感覚として描く詩などなかったのである。
 そこで、猫が生理感覚のひとつとして利用された、と考えておきたい。春の真夜中の「まつくろけの猫」。夜の闇と見分けがつかないほどの黒い猫である。その猫の尻尾の先に、尻尾の太さと同じほどの「糸のやうなみかづき」が浮かんでいる。その細い朧げな光にそって、視線を動かしていくと、「ここの家の主人は病気です」と、「糸」のようにスレンダーな猫がいきなり、屋根の下で寝ている作者を指し示す。そのように読むと、ドラマチックである。
 しかし、わたしはこの作品を読むたびに、朔太郎は猫が好きではなかったのだな、と思うのだ。第一、ここでの猫はたんに怪しげで、おどろおどろしい姿でしか描かれていないではないか。発情期の猫たちは、ただ二疋が鼻を突きあわせて、鳴いていただけなのに。
「鼻を突きあわせて」とここで書いたのは、詩「猫」には、書きかけの草稿が三種類残っていて、その最初の草稿に「猫が二疋で鼻をつきあはせ」とあるからだ。草稿でのタイトルは「春夜」。

そこの
屋根の上に黒猫が二疋
さつきから ぴんと尻尾をたてゝた尻尾のさきから
月がかすみ
猫が二疋で鼻をつきあはせ
ぴんと尻尾を

 草稿はここで終わっている。冒頭に「そこの」とあるから、たぶん、作者は最初、おそらく書斎の窓から、別の屋根の上にいる黒猫二疋を発見したのだろう。それを最終稿(『月に吠える』発表形)で、「そこ」から、「ここの家」=作者の家に変えたのだ。
 朔太郎には、詩集『青猫』(大正一二年=一九二三)や、散文詩風の小説『猫町』(昭和一〇年=一九三五)があるほどに、猫はよく登場するのだが、どうも猫好きであったようには思えない。詩集でも小説でも、朔太郎の猫は可愛らしくないのだ。
 猫の精霊たちが住むという『猫町』には、幻想のなかに登場する猫たちが、「猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のやうにして、大きく浮き出して現はれて居た」というように、恐ろしげに描かれている。そして作者はこの幻をモルヒネを打ったせいだとし、「狐に化かされた」とまで言う。
 ねえ、ツイラク・ミーちゃん。おまえたちの精霊が住むという町が宇宙のどこかにあるというなら、連れて行っておくれ。たぶん、わたしの「猫町」の猫たちは人間を驚かさず、寝てばかりいるだろう。

 

(第23回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年10月20日(日)掲載