言葉ことはじめ 池内紀

2017.9.25

15とちる

 もともとは歌舞伎の幕内の言葉だったようだ。セリフや仕ぐさをまちがえること。口頭で生まれた言い方なので由来はよくわからないが、とちめく=うろたえる。それを擬人化したのが「とちめんぼう(坊)」。あわてて騒ぐのを、「とちめんぼうを振る」、「とちめんぼうを踏む」と言った。セリフをとちっただけでなく、そしらぬふりで通せばいいのに、あわてふためいて、ドジをしでかしてしまう。相手役は舌打ちの一つもしたくなるというものだ。
 単にとちるのではなく、当人はいっぱしの役者のつもり。そんな前提があっての言葉ではなかったか。みなは大根だと思っているのに、自分では名優のつもり。気どってセリフを言おうとするものだから、うまくいかず、アワをくい、まごついて、さらにぶざまにやりそこなう。
 さしずめ先だっての安倍内閣の女性防衛大臣を思い出すのだが、当人はドイツ・メルケル内閣の女性防衛大臣が意中にあったのではなかろうか。すでに十年来、ドイツの国防問題を一手に引き受けて信頼あつい。明敏、鋭利、名門の出で、弁が立ち、痩身で美しく、スックと背を正して閲兵するところなど、よそのお国の政治家ながらホレボレする。
 やはり大根は一日にして千両役者にはなれないのだ。こちらでは、とちめんぼうのかぎりをつくして舞台からいなくなったが、いつも、なぜこんな事態になったのか、いったい自分はどこでどうしくじったのかもわかっていなかったのではあるまいか。
 とちりの兄弟分に「早とちり」がある。早合点をしてセリフをまちがえること。この手の人物は人の言うことをきちんと聞かず、ひとりぎめしてピント外れの言動をする。とちり大臣の親分のせきこんだような余裕のない話し方からすると、こちらは早とちり型と分類していいだろう。前代未聞の認知症的新アメリカ大統領のもとへ、まっ先きって駆けつけ、いっしょにゴルフをする御仁だもの、早とちりもいいとこなのだ。

 文学の世界の「とちり人間」として、すぐさま思い出すのがいる。森鴎外の小説「雁」に出てくる。名は末造(すえぞう)といって、女房がお常(つね)、幼い子供が三人、職業は高利貸。今風にいえば、新興のファイナンス社長。
 ふつう「雁」というと、映画でもそうだったが、帝大の学生と囲われ者の若い女との淡い恋物語とされているが、まるきりちがうのだ。
 そもそも東京帝国大学医科大学学生岡田とは何ものか? ガリ勉ではなく、そこそこにやって中より下には落ちない。一日の時間がはかったように決まっていて、バカな遊びは一切せず、月々の下宿代をきちんと払い、下宿屋のかみさんの信用は絶大である。美男だが、ヒョロヒョロの青なりではなく、がっしりした体格で、ボート部の選手。夕食後の散歩のコースも決まっていて、途中に何をするかというと、古本屋をひやかす程度。小説の終わりに洋行のことが語られていて、ドイツ人教授の助手に抜擢され、ライプツィヒで学ぶ予定。
 小説の冒頭と終わりちかく、散歩コース途中の妾宅の鳥籠に侵入した青大将を退治するエピソード以外、まるきり出てこないのは、おもしろくもおかしくもない人物であって、語りようがないからだ。ドイツでドクターをとってどうしたか。おそらく洋行帰りにふさわしい大学医学部出世コースにのったか、あるいは地方の素封家の娘を妻にして、土地の名士の医者になり、いずれにせよ退屈な人生を、さほど退屈とも思わず過ごしたにちがいない。
 帝大の青年こそワキ役であって、本当の主人公は末造である。早とちりの高利貸と、念願かなって手に入れた若い女との行き違いと滑稽。
 末造ファイナンスは、大学の寄宿舎の小使をしていたとき、学生に小口で貸したのが始まりだった。十銭、五十銭だったのが、五円、十円となり、やがて小使をやめて一人前の高利貸になった。大学の近くに事務所をかまえ、吉原近くに出張所を設けている。小柄で、ヒゲの剃りあとが青い。さっぱりしたいで立ちで、自分では「実業家」と称している。
 金貸業が順調にまわり出して、ひと息ついたころ、口やかましい女房が鼻についてならない。以前にちょっとしたことで目をつけていた若い女、たしかお玉といった。手をまわして調べると、貧しい父親と二人暮らし。「或る大きい商人」の囲い者ということで掛け合ったところ、はじめは妾になるのをイヤがったが、老いた父をラクにさせられるというので承知した。ここまでは順調だった。峻烈な高利貸が「とちり末造」に転落するのは、これ以後である。
 女を囲うには、しかるべき店で「目見え」という儀式があった。末造はその日、世話役のバアさんを早く帰して、お玉と差し向かいになって楽しもうと段取りをつけていたが、とんだ早とちりで、父親がいっしょにくるとわかった。
 とにかくお玉が妾宅に越してきた。まだ子供のような女中つき。ここでも早とちりがあった。妾宅を用意すればそれで十分のはずが、女の父親の住居も必要とわかって、もう一軒あてがうハメになった。
 毎晩のように妾宅を訪れても、末造は泊っていかない。女房にさとられてはならないからだ。箱火鉢をあいだにして、お玉と話をする。末造は「籠に飼っている鈴虫」の鳴くのを聞くようにして、無邪気なお玉の話を聞いている。
 むろん、鈴虫を飼っているのではないのである。鴎外は一度だけ、お玉が「末造の自由になっていて、目を瞑(つむ)って――」とセックスの経過を述べた。鳥籠と青大将の一件のあと、お玉の中に学生岡田が居ついてしまって、目をつむっていると、岡田と一体になっているような気になる。相手が末造とわかり、泣くこともある。末造はてっきり別のことにとっていたのだが。
 末造はまだ気づいていなかったが、「実業家実ハ高利貸」は、三日目にすでにバレていた。女中が魚を買いに行くと、魚屋のおかみに「高利貸の妾なんぞに売る肴はない」と断られた。
 女房にさとられるのも早かった。妾宅からもどったとたん、しゃくり上げてしがみつかれ、「妾狂い」となじられた。
 小説の終わりちかいシーン。ある朝、またもや女房と大喧嘩の末、末造はたまらず家をとび出した。妾宅に行くには早すぎる。かなりブラついて、よほど時間がたったと思ったのに、まだやっと十一時。
 やむなくわざわざ「何か急な用事でもありそうな様子」で歩いていく。なぜこんなことになったのか、いったいどこでしくじったのか、わがことながらよくわからない。千両役者のはずが、こころならずも大根だったとちり男のうかぬ顔が、まざまざと目に浮かんでくる。

(第15回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2017年10月10日(火)掲載