言葉ことはじめ 池内紀

2017.4.25

05ボケと認知

 ボケをタブーにして「認知」というようになったのは、いつごろからだろう? ボケがなぜいけない言葉になったのか。連休ボケや時差ボケは平気で使う。「寝ボケていた」は日常用語である。
「少々ボケがきましてな」
 ミスをとりつくろうのにちょうどいい。「おやじもだいぶボケてきたね」というとき、多少とも老いへのいたわりがこもっている。
 漢字では「惚」。ぼんやりする。心をとられてほおけている。心をうばわれてうっとりしている。有吉佐和子はボケ老人をつつしみ深く「恍惚(こうこつ)の人」として語った。
 医学では老人性(ちほう)症というようだが、ボケは必ずしも痴呆状態とはかぎらない。「惚」は(ほ)れるでもあって、恋いって夢中になった状態でもある。そんなさなかに相手とのあいだにあったつまらないことを、うれしそうにしゃべるのが惚気(のろけ)であって、他人にはたあいないおノロケが、当人には世界の創造のように意味がある。
 そんなニュアンスゆたかなボケにとってかわって認知が登場した。痴呆症の「痴呆」があまりにひどいということで、認知不能状態というのにアタマの「認知」を独立させたのだろうか。
 言葉自体は長らく使われてきた。「敵を認知する」といった場合で、何かをしかと認めたときの用語だった。
 もっと微妙なケースにも用いられた。それも法律用語としてであって、結婚外で生まれた子にまつわり、自分がたしかにその子の父(母)であることを認める法律上の手つづきを指していた。父として認知する場合が圧倒的に多かったのは、母であることは明瞭かつ証拠に欠かないのに対して、父のかかわりは微妙にして複雑であるからだろう。父になるのは簡単だが、父でありつづけるのは難しいのだ。たいてい子の側が強く求め、ときには裁判沙汰になり、父がしぶしぶ認知するというケースが多かったようである。
 そういう来歴をもつ言葉なのだ。つい先年までは、きわめてかぎられた事情にある人たちの用語だった。それがごく日常的に用いられるようになった。しかし、言葉自体には認知能力不能という否定の意味など含んでいない。言外にわからせる効用をおびさせて使われるだけである。言葉としては強引で、かなり無理無体な使い方といわなくてはならない。ボケが愛敬や悲哀やいとしみやからかいなど、ニュアンスはゆたかな表現であるのに対して、ニンチは無名無臭で、突き放した、冷ややかだ。チが痴を連想させて、いたって酷い言葉と言える。
 哲学者カントは七十歳をこえたころから心身の衰えがめだってきた。当人は「食べられる」「歩ける」「眠れる」を健康の定義にしていたが、いずれも急速に低下してきた。七十五歳のとき、記憶力の変調に気がついた。同じ人に同じ話を同じ言葉でくり返す。はじめは自分でも気がついて謝ったり、言いつくろった。そのうち「記憶帳」を考案した。紙を小さく切って束にしておき、話のあいまに自分の話したことをメモしておく。メモで確認すれば、くり返すことはない。
 そのはずだったが、老いはそんな小細工を容赦しない。やがてつい今のことが思い出せなくなり、つづいて「記憶帳」そのものが記憶から脱落した。
「どうか私を子供と思ってください」
 親しい人には、そんな言いわけをした。そのうち親しい人の識別がつかなくなった。あの知の結晶のような『純粋理性批判』の著者にしてこうなのだ。
 ともあれ記憶力を失うのは悲劇とはかぎらない。いったいに人を苦しめるのは記憶しているからで、老いを知るのも若年期の記憶があっての話だろう。病にならないと健康のありがたさがわからないように、若さは、それを失ったときにはじめてしかと思い知る。もとより記憶が介在してのこと。犬の記憶力は十五分程度と聞いたことがあるが、もしそうだとすると老犬は自分を老犬だとは思っていないだろう。
 認知症は厄介な記憶から解放されている。私の身近に一人いるが、老いて子供になった。犬や猫にきちんと話しかける。赤子のような笑い顔を見せる。記憶の重荷から解放された究極の自由人――そんなふうに見てもいいのである。

 

(第5回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2017年5月11日(木)掲載