言葉ことはじめ 池内紀

2017.5.11

06店じまい

 誰にも覚えがあるだろう。髪を刈ってサッパリしたい。勇いこんでやってきた理髪店の店先。
 あるいはお酒を買いにきた。主人は不愛想だが品揃えがよくて、奥さんともども、よく勉強している。そんな酒屋さん。
 またあるいは小さな商店街の古風な洋品店。三足千円の靴下を店頭に並べていた。一度買って重宝したので、もういちど特売品をいただくとしよう――
 そんな腹づもりでやってきた。ところが定休日でもないのに店にはシャッターが下りていて、貼り紙がしてある。
 「――店じまいのお知らせ」
 文面もだいたい同じで、「長らくお世話になりました。突然ですが、このたび……」
 しばらくボンヤリとお知らせを見つめている。通りすがりの人が足をとめ、お知らせに目をとめて「なんだ、やめちゃったのか」、ひとりごとのように言うと、トットとまた歩いていく。
 さて、どうしたものか。かわりの店がないではない。JR駅のエキナカに明るい店が並び立って以来、ほんのちょっとはなれているだけだが、旧商店街にカンコ鳥が鳴き出した。この自分だっていつのまにか、おおかたの用は駅ですませてきたではないか。急に思い立って、旧来の店にきてみたら、店がなくなっていた。
 これが、「閉店のお知らせ」なら、まだ救われる。開店の逆であって、ごく事務的なお知らせである。「店じまい」はちがうのだ。この場合の「しまい」は「仕舞」であって、もともとは能の略式の舞(まい)を指している。お囃子なし、装束もつけず、リハーサルに演じてみせる。そこから生じたのだろうか、今までやっていたことが終わることを意味している。「店じまい」の張り紙がズキンとくるのは、ことばの背後にこれまでの時間的かかわりがあるからだ。
 理髪店の老店主のハゲ頭。仕事ぶりが丁寧で、よそでは三〇分ですむところが一時間ちかくかかった。きれいに洗濯ズミながら、むしタオルが少し黄ばんでいた。酒屋の主人の不愛想は慣れればなんてこともないが、はじめての人は気を悪くしたかもしれない。洋品店には痩せた主人が猫を膝にのせて、テレビを見ながら店番をしていた。足をとめる人もいそうになかったが、ショーウィンドウのマネキンの衣服が季節ごとに取りかわった。それなりにやる気はあったわけだ。
 そんなことが記憶の底から泡つぶのように浮かんでくる。仕舞、しまい、終(しま)い。何につけ、いちばん終わりの部分にあたり、銭湯だと「しまい風呂」。しんがりの客が一人、二人とあがっていって、主人が桶を片づけにかかる。未練げにつかっていると、そんなはずはないのにお湯がぬるいような気がする。シャボンの匂いも、シャンプーの香りもしない。タオルがいやに白々しい――。
 「店じまい」が呼び起こす微妙な心の状態。はやらなくなってやめた、それだけのことじゃないか。自分に言いきかせて、貼り紙を置き土産に、やおら歩み出す。それでもまだウツけたような心もちで、足どりがたよりなげだ。信号で振り向くと、シャッターの一角が黒々とへこんだ感じ。振り向かないほうがいいんだナ。別れをきめた人と、最後に会って、そして別れたときのように。
 昔の恋の店じまいが頭をかすめた。心はすでに閉ざされていて、シャッターが下りている。こみあげてくる思いはあっても、さりげなく呑みこんで、やおら横丁の闇に折れこんだ。

 

(第6回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2017年5月25(木)日掲載