「新自由主義」の妖怪 稲葉振一郎

2017.4.27

19開発主義は合理的か

 

 『反古典の政治経済学』、そしてそのプロトタイプともいうべき「世紀末の保守と革新」を読んでみると、冷戦崩壊、旧社会主義諸国の体制転換の問題は、意外なほど村上の議論においては重視されていません。社会主義の崩壊はむしろ、70年代の福祉国家の危機、「小さな政府」論、つまりはいわゆる新自由主義の影響下での先進諸国の新しい保守主義の動向の延長線上でとらえられているきらいさえあります。つまり村上はここで冷戦の終了、米ソ二大陣営の対立の終焉よりもむしろ、いわゆる「パクス・アメリカーナ」、旧西側陣営、自由主義諸国の資本主義経済圏におけるアメリカ合衆国主導の国際政治体制の揺らぎ、軋みの方をこそ重視しているように見えます。
 『病理』更に『時代』において描かれた、西側先進諸国における大衆消費社会、コンセンサス・ポリティックスの確立を支えた国際システムのありようを説明する理論として、村上はロバート・ギルピンらの「覇権安定性理論」を高く評価します。この理論は、19世紀や第二次世界大戦後の自由貿易主導の国際経済体制を支えた国際政治システムの成立基盤として、覇権国の存在を重視します。ここでの国際政治システムは、突出した一勢力が広大な地域を支配し、世界征服さえ展望する「帝国」では決してなく、複数の主権国家が併存するものですが、それは20世紀中葉のオーソドックスな「現実主義」国際政治理論が言うような、対等な実力を持つ国家同士の「力の均衡」によって支えられているわけではありません。実はこの国際システムには、帝国として他国を征服することはなくとも、圧倒的な実力を軍事的にも経済的にも備えて他の諸国を圧倒する「覇権国」が存在し、この覇権国が国際金融システムや、場合によっては安全保障までをも含めた「国際公共財」を率先して支えることによって、初めて国際秩序は安定的に保たれる、というのです。
 19世紀には覇権国は英国であり、自由市場を支えた国際金融秩序は金本位制でした。それは英国の膨大な金準備によって維持されていたのです。それに対して20世紀後半は言うまでもなくアメリカ合衆国が覇権国であり、いわば「ドル本位制」としてのブレトン=ウッズ体制――主要各国の通貨価値はアメリカドルにリンクして決まり、アメリカドル自体は金との兌換性が保持されている、という意味では修正金本位制とさえ言える――であり、国際通貨としてのドルの信用、それを支えるアメリカの経済力によって支えられていた、というわけです。
 このパクス・アメリカーナは冷戦の重荷によって危機に陥ったわけではありません。冷戦の重荷で解体したのは東側社会主義圏の方です。パクス・アメリカーナはむしろその成功、固定為替レートの下での自由貿易の隆盛の結果、西欧諸国(特に西ドイツ)と日本の追い上げによってアメリカの相対的優位が揺らぎ、貿易赤字の増大の下「ドル本位制」の維持の負担にアメリカが耐えられなくなる、という形で危機に追いやられる、というわけです。
『時代』において既に危機感を以て予想されていた変動相場制への全面的移行は、1985年のプラザ合意によって本格的に実現したわけであり、『反古典』はその時代の所産です。ここで興味深いのは、いまはプラザ合意から30年以上を経た我々にとっては何とも奇妙に移りますが、村上が変動相場制に対して否定的――ではないまでも極めて懐疑的で、非常に限定的な形で、渋々ながらの容認をしか与えていない、ということです。村上は非常にデリケートに議論を展開させていますが、乱暴にまとめるなら村上は、変動相場制は通貨価値を不安定化させることによって、貿易に足かせをはめるかもしれない、と危惧しています。為替レートの変動は貿易財の価格を不安定化させ、各国の通商政策をどちらかというと不安定化させるのではないか、というのです。各国にマクロ金融政策、国内での貨幣供給と物価コントロールについてのフリーハンドを与える、というメリットと、為替リスクの増大による貿易、更には投機的ではない実物レベルでの国際投資への障害、というデメリットとを比較考量して、辛うじて前者に軍配を上げるものの、基本的には変動為替相場制は、世界レベルでのグローバルな最適性を達成するというより、各国に政策的な自由度を保障することに意義がある、という考え方です。
 大雑把に言うと村上の描くストーリーはこうです。パクス・アメリカーナは固定相場制の下での自由貿易体制下、その基盤であったはずのアメリカの経済的優位を掘り崩して、貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」にまで追い込み、ドル供給という形での国際金融体制維持の重荷を負えなくしてしまった。その結果世界は変動相場制に移行する。これは為替レート、通貨価値の安定を犠牲に各国の金融政策の自由、そして各国間の資本移動の自由を保障するものである。しかし為替レートの変動はそのまま対外経済活動のリスクとなり、貿易や実物投資にブレーキをかける一方、むしろ投機的な資金移動は活発化させる。このような状況下でブロック化を避けようとすれば、国際政治におけるアメリカの覇権的リーダーシップはおのずと後退し、国際協調が進む。しかし同時にそれは国内レベルでの各国の自律性・独自性をむしろ増すであろう――。
 ここで興味深いのは、ついに『反古典』でその名を与えられた「開発主義」です。『病理』から『時代』更にはその中間における『イエ社会』における村上の議論の特徴は、従来ともすれば日本社会の特性を「集団主義」に求める論調への明確な批判でした。『時代』ではいわゆる「日本的経営」「日本的雇用慣行」は20世紀の先進諸国の経済・経営にはむしろ共通の傾向がやや突出して目立ったものにすぎず、何ら特異なものではない、と論じられていますし、更に中世以来の「イエ」もある意味でウェーバーの「資本主義の精神」、西洋社会における近代化を支えたエートス、勤労倫理を体現した機能的官僚組織のカウンターパートとして位置付けられています。「集団主義」は何ら特異なものではない、というわけです。村上によればむしろ戦後日本の特異性は「費用逓減産業」つまりは「規模の経済」が強くはたらく、初期局面における重化学工業、装置産業、インフラ産業における、全面的な統制ではない「管理された競争」――放置すれば一社独占や共倒れになりかねない「費用逓減産業」に対して、「行政指導」といった玉虫色のソフトな介入によって適度な競争を維持する――を眼目とする「産業政策」を系統的に行っていったところにある、とします(これが歴史学派以来の「幼稚産業保護論」の新ヴァージョン、と言えなくもないことは、この連載でも既に触れました)。しかしそれは『時代』でもすでに、この政策体系は日本特有のものなのではなく、20世紀前半から戦後高度成長期にかけての日本と類似の状況におかれた国家、経済においては、同様に合理的でありうる、と示唆されていました。このメッセージが『反古典』では「開発主義」との新たなラベルの下で、より明確に打ち出されてきた、と言えます。
 つまりパクス・アメリカーナ以後の新たな世界秩序の下では、各国は変動相場制の下、マクロ政策の自律性を享受するのみならず、為替リスクゆえに貿易・投資にも及び腰となり、国家による政策的介入を求めがちになる、との予想が村上によって提示されます。そしてそのような各国ごとの政策的自律性は、各国間の協調によって維持されねばならない新たな世界秩序の下では、容認されねばならない。そうした各国ごとの政策的自律性は当然、「開発主義」を選び取る自由としても現われる、というわけです。
 もっとも村上は際限なく「開発主義」を標榜することに対してはむろん否定的で、このアプローチの有効性は、あくまでも工業における規模の経済性が強くはたらく産業化の初期局面に限定される、との但し書きがつけられます。つまりは『時代』から『反古典』の執筆時期に急激に存在感を示しつつあった新興工業諸国においては、かつての高度成長期の日本と同様、「開発主義」は十分に合理的ですが、先進諸国においてはそうではない、というわけです。「開発主義」の先駆的成功者である日本は、同時にそこからの脱却の模範ともならねばならない、というのが村上のメッセージです。

 さてこのように見てきますと、後知恵とは言え村上の議論の古臭さと限界が目につきます。村上のみならずピーター・ドラッカーやレイモン・アロンといった「産業社会論」的枠組みに立脚した保守思想が影響力を失い、その後いわゆる「新自由主義」の天下が来てしまったのには、相応の理由があったこともわかります。しかしその一方で、そこには「新自由主義」には欠けていた多面性や体系性があったことにも気づかれます。むろん「そうした“体系性”自体が、今や時代遅れとなったしまったのだ」と言ってしまうこともできるかもしれません。

 次回はそのことの意味についてもう少し考えてみたいと思います。

 

 

(第19回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年5月30日(火)掲載