ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.4.26

02ペルー

 

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 大学生になったあたりから、自分の出身地を人に言うことが増えた。出身地というのは、出生地のことなのか育った場所のことなのかいつも迷う。生まれたところと育つところがだいたい同じ、ということが多いのだろうか。だから、いつも「生まれはペルーです」とぼくは言う。「育ちは神奈川の川崎市です」。

 このように自己紹介すると、多くの人が、たいてい次の2つの質問をする。

「ペルーにはどのくらい住んでいたのか?」
「血は混ざっているのか?」

 もう何度もくりかえし聞かれてきたことなので、質問されるよりまえに身構えるようになってしまっている。これらの言葉がやってくることに。あるいはあきらめのような気分もある。「きっと、この人もそうやって聞いてくるんだろうな」と、自己紹介をしながら思ってしまう。「日本には生後半年で来ました」と言うと、質問者はたいてい、がっかりしたような顔をする、気がする。なぜかぼくも期待に応えられず申し訳ない気持ちになる。
 はたして、この血は混ざっているのだろうか。ここで言われる、混ざっているかどうかというのは、おそらく「日本人」と「ペルー人」との混血であるということを期待されての質問だと推測される。ぼくの顔は比較的彫りが深くて、まつ毛も長い。たぶん比較的まゆ毛も濃い。でも、いったい誰と比較して?
「ああ、ペルー生まれだからか(その顔は)」というふうに言う人もいる。でも、それも間違いだ。もしも、ペルー人の血というのがあるのなら、おそらくそう定義される血はぼくの身体を流れてはいない、たぶん。たぶんというのは、その定義がぼくには馴染まないもので、そう言い切ることができないからだ。そもそも、「◯◯の血」ということに意味はない気がする。全身の血液は約4ヶ月で入れ替わるらしい。だから血が混ざるもなにもないわけである。そしてそういうことを聞かれているわけではないことも、もちろん知っている。
 先にふれたとおり、母親は北海道生まれの北海道人で、父親は沖縄生まれの沖縄人であった。だから血で言うならば、ぼくは「北海道と沖縄の混血です」と最近は回答するようにしている。
 ぼくはこういう説明を毎回のようにしている。顔が濃いのは沖縄系の家系だからなんじゃないかな。沖縄に行くと、ぼくみたいな顔の人がたくさんいて、つながりみたいなものを感じなくもない。そんなことを言っても、「じゃあなぜペルー生まれなのか」と質問する人もいる。つまり、日本人がほかの国に「移民」したという事実をそもそも知らないということ。そしてその事実をつたえても、肌感覚で理解してもらえないこと。ぼくがかつて、日系移民のことを情報としてしか知らなかったことと、同じことなのかなと思う。えらそうな顔をして、日系移民の歴史を語ることはできないけれど、できればもう少し興味を持ってもらえたらと思っている。

 

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 ぼくは演劇の作家として活動するために、まわりの作家との違いをつけたい、という比較的浅はかな理由で、自分のプロフィールに「ペルー生まれ」と記すことにした。だから、このような出生の事実を呪っていることはない。だが、出身地の話をすると、ぼくはなんだか愚痴っぽくなってしまうところがある。それは、何度も同じ質問を受け続けることによる面倒くささから来るものだと思う。どこかに旅行に行って、その旅の感想を会う人会う人に聞かれて答えるのがうんざりする、というようなものだ。
 最初は意気揚々としゃべっていた、たぶん、きっと。でも、くりかえしがくりかえしを呼んで、同じことを聞かれるたびに、「ぼくの血のことを聞いて、いったいなにを知りたいんだろう」と思うようになってしまった。
 職業柄、たまに雑誌かなにかのインタビューを受けることがある。インタビューが2時間くらいだとしたら、はじめの1時間はそういうぼくの生い立ちの話、そうしてようやく作品のことや今後の活動の方針みたいなことを聞かれる、というパターンが多い。たぶん、そういう人があまりいないから? ぼくだって、あんまり自分と同じような人に会ってこなかった。自分自身、ちょっとめずらしい生い立ちだということを利用してきた。めずらしさというのは、いちいちその説明しなければいけないということでもある。事実を話すしかない。でも、面倒くさいから愚痴っぽくなってしまうことがある。
 ところで、何度も自分の生い立ちの話をしていると、だんだんと記憶が上書きされて、それが以前話したものと異なっていくらしい。最近それを実感している。記憶は更新されている。過去に受けたインタビューで話していることと、最近のインタビューで話した内容が微妙に違っている、みたいなことが起きている。そして、だんだん「本当」の記憶がどういうものだったのか、わからなくなってしまう。
 同じ話を同じように語ることはできなくて、いつでも「いま」から取り出さなくてはいけない。体内をめぐる血がどんどん入れ替わっていくのと同様に、現在から見る過去というのもどんどん更新されてしまう。

 更新されるといえば、ぼくの名字である「神里」というのも更新されているようである。いまは「KAMISATO」と読む。曾祖父が沖縄にいたころは、どうやらおそらく「KANZATO」と読んでいたらしい。彼が移住することになってパスポートの取得段階で、表記は「KAMIZATO」になった。
 これは、神戸だか横浜だか、大正時代の、パスポートを発行する役所が沖縄の名字に慣れていなかったということがあるらしい。そして、おそらくは曾祖父はアルファベットを読めなかったのか、もしくは役人に意見するということができなかったのかはわからないが、いずれにしても彼は「KAMIZATO」と記されたパスポートを持ってペルーへ行った。
 ペルーを含む南米の多くの国ではスペイン語が話されていて、スペイン語では、SもZも同じサ行の発音になるので、「神里」はいつからか「KAMISATO」と記されるようになったらしい。実際、リマにある曾祖父のお墓には「KAMIZATO」、曾祖母や祖父のお墓には「KAMISATO」と彫ってある。

 こういう話は、移民あるあるという感じで、よくあるらしい。たとえば千野さん。もともと「CHINO」と読んでいたが、スペイン語でCHINOは、「中国人」や「中国の」(英語でいう“Chinese”)という意味を持つ。

「おまえの名前はなんだ」
「CHINO」
「中国人なのか」
「いや、日本人だ」
「じゃあおまえの名前はなんだ」
「CHINO」
 ややこしいので、千野さんは読み方を「SENNO」に変えたとか。

 ほかにも、たとえば能勢さんの読み方は「NOSE」。スペイン語でNO SEは、"I don't know"わかりません、という意味だ。

「おまえの名前はなんだ」
「NOSE」
「自分の名前がわからないわけないだろう」
「だから、NOSE」

 名字でも名前でも、それらは他人に呼ばれることで存在価値を持つ。だから、人や環境が変われば名前も変わるという、そんなもののようだ。それはなかなか希望の持てることだと、ぼくは思う。名前が変わっても先人たちはなんとかやってきた。「血は混ざっているの?」という質問に対するぼくの反応も、いつか変わっていくと思うことにする。
 ぼくには「雄大」のほかに、「Julio」という名前もある。名字でなく、名前である。スペイン語読みで「フリオ」という。7月生まれということと、祖父も同じ名前だったことに由来する。ペルーのIDには正式な名前として、「Yudai Julio」と書いてある。ぼくは二重国籍保持者だ。日本で重国籍に対する拒否感を持っている人が一定数いることはぼくも知っているが、ここでは名前の話をしたいので無視することにする。国籍法のことを言う人がいるが、ぼくは問題なく二つの国籍を保持している。このことはあとで書くことになるだろう。
「Yudai」というのは、そこまで言いにくい音の名前でもないと思うが、スペイン語圏にはない名前なので、すぐに覚えてもらえないことがある。そういうとき、「Julio」と呼んでもらうようにしている。「Julio」はスペイン語圏ではよくある名前で、すぐに通用するから便利だ。
 よくよく考えてみると、一般的に姓と名がひとつずつしかない日本社会でも、場所や人間関係で呼ばれ方は変わるもので、名字で呼ばれたり名前で呼ばれたり、あだ名だったり、主語をとられてしまったりする。重要なのは、呼ばれ方が違えば、自分の感覚が変わるということだ。ぼくの場合、「雄大」と呼ばれると、自分のことを日本人だと感じるし、いまや「Julio」と呼ばれるとペルー人であると思うことがある。相手や環境によって、自分は変わる。

 

 

(了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年5月10日(木)掲載