ペルー、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ、ブラジル、ニホン、ワカモノ 神里雄大

2018.11.13

13ブラジル(3) ヨシオ・ヨシザネ

 

 パラグアイのラパス移住地で会った秦泉寺明さんの紹介で、ヨシザネ・ヨシオさんに会うことになった。ふたりは日本に研修で来ていたときに知り合ったという。ヨシオさんはこのとき26歳、父方の祖父母が、太平洋戦争前に岡山と山形からブラジルに渡ったという日系3世だ。

 お母さんはブラジル人だというが、ブラジルというのは(南米のほかの国もそうだが)移民国家なので、日系人とブラジル人といった分け方が正しいのかわからない。ここでは今後、日本からの移住者をルーツに持つ人、という意味で「日系」という言葉を使いたいと思う。彼は、日系人であり、ブラジル人だ。

 日系の人たちの中には、自分たちのことを日本人だと考えている人たちも多い。本人がそう考えているのだから、それでなんの問題もない。同時に、住み育って来た場所の人間だとも考えている。それは矛盾しない。

 ヨシオさんと会った時期には、彼/彼女が自分をナニジンと考えているかということについてはどちらでもいいのではないかとぼくは考えるようになっていた。だからそういう質問もしなくなった。

 日本人たちが自分たちを日本人と言い、相手を○○人と呼ぶとき、それは血のことを意味している。だが、アメリカ大陸やオーストラリアのような移民がその国の根本である国では、そういう血統の話をしたところで意味があるのだろうか。どこまで遡るべき話なのだろうか。

 もっと言えば、その人が持つ文化的な背景でブラジル人かどうかを語ろうとしても、それは個々によって異なるので、これもナンセンスな気もする。日系の家庭でも日本食を食べ日本文化を継承しているところもあれば、もっとほかの、様々な文化がミックスされて形成されたブラジルの食/文化を大事にしているところもある。

 エドゥアルドもそうだが、ヨシオさんの容姿は「日本人」たちからすれば、日本人とは見えづらいかもしれない。けれど彼らのルーツに日本という国があることはたしかだし、何かしらのつながりを持っている。それでいい。日本人かブラジル人か、という問いは、それを問う人間がどこに重きを置くかによって、意味が変わる。血統のことか国籍のことかあるいはもっと別の思想などのことか。

 ヨシオさんと会うにあたってメッセージのやりとりをしたが、それはすべて日本語で行なわれた。「どこか見たいところはありますか?」と聞かれたので、ぼくが20年前にZARDのアルバムを買ったリベルダージのレコード屋がまだあったら、そこに行きたい旨を伝えた。彼は親切にも探してくれたのだが、けっきょく該当するようなレコード屋はもうなくなっていたのだった。残念。

 彼とは、パウリスタ通りというサンパウロでも有数の大通りにある駅で彼と落ち会い、食事をすることになった。何が食べたいか聞かれたので、ラーメン屋に行きたいと告げた。ブエノスアイレスを出てからのこの旅では、もうほとんど日本食ばかり食べている……。

 リベルダージの駅からしばらく歩いて、薄暗い下り坂の路地を行ったところに、最近人気だというラーメン屋があった。店の前は行列というか、列はできていないが、順番待ちをしている人たちであふれていた。アジア系の顔立ちをした人から、白人系、ミックス、日本からのビジネスマンなどなど。路地裏の、ほかには何もないようなところに行列のできるラーメン屋があるというのは、日本ぽいなと思った。さすがサンパウロである。

 けっきょく1時間くらいは待つのではないだろうかという人混みを前にしてに、会って早々のぼくたちは会話が持つはずもないので、大通り沿いにある、まだできてまもないらしい別のラーメン屋に行った。一度ラーメンの気分になってしまったら、豆料理を食べようという気分にはなかなかなれない。

 暖色系の照明が明るく、テーブルが整然と並べられた店内には待たずに入ることができたが、ほどなくして満席になった。醤油、味噌、塩があり、サイドメニューには餃子やチャーハンもあった。ぼくは味噌を頼み、ヨシオさんが何を頼んだかは、お腹が空きすぎていて覚えていない。餃子を一皿頼んでシェアした気がするし、アサヒの瓶ビールを飲んだような気もする。味は良くも悪くも普通。でも、サンパウロに住んでいたらちょこちょこ来るだろうなと思った。

 勢いよく食べ終わり、満腹感にぼーっとしていると、店の入口には待っている人たちが増えて来たので、出ることにした。ラーメンを食べて世間話をして、それで終わりになるわけもないので、どこかで飲みましょうとなって、でもバーは爆音で音楽を流していて話を聞くにはそぐわなく、歩き回って、比較的うるさくなさそうなピザ屋に入ることにした。

 ヨシオさんの出身はベロオリゾンテという、サンパウロから見ると北東に580キロほど行ったところだという。情報セキュリティの勉強をしに、大学院に通うため、サンパウロに引っ越して来た。日本には親の仕事の関係で、2度住んだ。ほとんど覚えていないが、2歳から4歳まで富山に住み、小学校2年生から6年生までを静岡で過ごした。静岡にはブラジル人の労働者が多く住む関係でブラジル学校があり、56年生のときはそっちでポルトガル語の勉強をしたという。一人っ子。なお、ブラジル学校はブラジル人の多い愛知や岐阜、静岡の中部地方、関東では群馬など、全国に数十校あるらしい。半分以上の学校はブラジル政府からの認可を受けているそうだ。

 ぼくはやっぱり、移動するということや生まれたところとは別の場所に住むことについての話題が気になるので、「来年には卒業ということですが、そのあとは地元に戻るんですか?」とまず聞いてみた。

 ヨシオさんは、落ち着いた口調で答えてくれる。見た目も態度も穏やかで、友達が集まって来るような人柄だな、とぼくは思った。「わからないですね。仕事次第。でも夢は、世界一周みたいな感じで、例えばアメリカで3ヶ月働いて、その後カナダでまた3ヶ月働いて、いろんな国でちょっとずつ働きながら旅行してみたいですね。大学院終わったら、そういうことするつもりです」それはぼくもぜひしてみたい

 ほかには日本やタイで仕事してみたいと言うことだった。「なぜタイなんですか?」

 「そうですね、文化がおもしろいというか、変わってるというか。タイはすごく独特に感じるので、仕事ができるかはまだわからないけど、行ってみたいですね」

 もちろん旅で訪れることと住むことは別のことだ。けれど、旅行することと働くことが、同時に成立するのであれば、それは理想的なことなのではないかと感じた。

 旅行が趣味なんですかと聞くと、旅行は好きだと言って、続けてこんなことを話してくれた。「趣味は、変わったものを見るのが好きですね。たとえば変わった食べ物を食べるのが好きだし、変わったところに行きたいし、いつも新たな体験をしたい。エキサイティングなことが好きなんです。アドベンチャー。自分のいつもしていることが毎日続くのだとすると落ち着かないんです」

 「自分のいるところが一番いいから他のところ行きたいくない」というような人も多いような気がする昨今、ぼくはこういう話を聞くだけでうれしくなるのだった。「そういう新しい体験をすることで成長して、自分が変わっていきたいっていうのがあるんですね」「そうですね、はい」

 ヨシオさんは続ける。「サンパウロに引っ越したこともそういう思いのひとつです。ベロオリゾンテでもいまやってる勉強はできたんです。でも、いままで両親と住んでたんですけど、一人暮らしを体験しながら学校通うのもいいかなと思って。実際、自分で料理もし始めたし、洗濯とか部屋の掃除とか、“母ちゃん大変だったんだな”っていう感じもわかってきました」

 「それから、最近はボランティア活動をしていて、楽しんでいます。でも、ただのボランティアじゃなくて、実際に好きなのは、人を変えること。たとえばですが、この2ヶ月間、貧しいエリアにある学校で、毎週末子どもたちと集まって、勉強するんです。小学生の子たちに、視覚障害のある人たちにどうやって接すればいいかを考えてもらったり、もしくはもう少し上の年の子どもたちに、彼らがしてみたいと思ったことを率直に経験としてやってもらう。たとえば“料理してみたいです”と言えば、その子のために料理の授業したりとか。ボランティアの組織を通じて、彼らが体験する機会を作ってあげるようにしています。すごく楽しんでやってます」

 旅行が好きというのは、新しい体験をして自分が変わっていく感覚を楽しむということなんじゃないかとぼくは考えている。だから、ヨシオさんが子どもたちにも新しい体験をしてもらおうとボランティアをしているのは、旅行が好きということとつながっているのだろうと感じた。

 

 

(13・了)

 

この連載は隔週でお届けします。
次回:2018年11月15日(木)掲載